第4話 イこうよ!伊香内さんっ!
「
僕は学習した。
確かに、映画もスイーツも家でどうにかなる。完全に僕の選択ミスだった。ということは、だ。家の中では無理なやつに誘えば良いのである。
「海行かない?!」
これでどうだ!
さすがに海は無理! そうだろう、伊香内さん?
けれど。
「行かない」
ノー長考で即答である。ねぇ、せめて一秒でも良いから悩んでくれないかな?
「もしかして泳げない? 大丈夫だよ、僕、浮き輪も用意してるし」
「泳げるよ。でも行かない」
「あっ、わかった。日焼けしたくないとか? 大丈夫、日焼け止めも用意したし大きなパラソルもあるよ!」
「日焼けもどうでも良い。行かない」
全然駄目。僕があの手この手でプレゼンしても全然首を縦に振らないんだ。
「わかった! 水着が恥ずかしいんだね! それかそもそも水着持ってないとか?」
「水着くらい持ってるし、恥ずかしくないよ。
「じゃあ、行こうよ!」
やった、水着の問題はクリアだ!
だって、外手君って僕のことだ。
イケる! 今日はイケるぞ!
「行かない」
お決まりの台詞を吐いて、伊香内さんは立ち上がった。もちろん左手には眼鏡熊のぬいぐるみだ。あれって、なんかのキャラなのかな? 僕は知らないんだけど。
ていうかもしかして伊香内さん、ここに海を……? いやいやまさかさすがにそれは無理でしょ。
なんて僕の嫌な予感はピタリと的中。
伊香内さんはなんと水着姿で戻ってきたのだ!
ここに海を作るつもりだ! いや、どうやって!
しかもその水着だって、学校指定のスクール水着じゃないぞ。さすがにビキニとかでもないけど。右肩にだけ肩紐があるタイプのおしゃれなデザイン。色は白。腰回りにはスカートみたいなヒラヒラもついてて(色んな意味で)安心だ。肌の白い伊香内さんが白い水着なんて、ちょっとドキドキしちゃうな。なんだか天使みたいで可愛い。
――なんて見惚れてる場合じゃない!
「伊香内さん、さすがに無理でしょ。だって僕は海に誘ったんだよ?」
クローゼットの中から出してきたブルーシートをせっせと床に敷き始めている伊香内さんに向かって叫ぶ。何だ、この部屋。いまさらだけどなんかおかしいぞ。毎度毎度、あのクローゼットはどうなってるんだ。だってあのクローゼットは伊香内さんの服が収められてるだけなのだ。押し入れのような広い収納スペースじゃないんだ。ハンガーをかけるためのパイプが通ってて、そこに伊香内さんの服がかけられてて、それから、シャツとか下着類用の小さなタンスも収められてる。だから結構ギチギチだ。
そんなギチギチのあの中にあんなでっかいシートをしまうようなスペースがあったか?
いや、それだけじゃない。
伊香内さんはこれまでにあそこから、僕用の座布団や、予備の折り畳みテーブルを出したのだ。そして、シートを敷き終わったいまは、あの、波の音を再現する時に使う、長方形のカゴ(なんかじゃらじゃらしたやつが入ってる)を取り出してる。待って待って待って。どう考えてもあんなの収めるスペースはないだろ。
ていうか、この部屋、こんなに広かったか?
伊香内さんは僕の言葉を無視して早速カゴをじゃらじゃらさせて波の音を再現している。おかしい。ほんとにおかしい。この部屋は、最初来た時には六畳程度のはずだった。そこに学習机、シングルベッド、そして真ん中にローテーブルがあるだけの部屋だったのだ。
にもかかわらず、だ。
いまはどう見てもその倍はある。
気付けば、ブルーシートの上には砂が敷き詰められ、どこからか――ってたぶん十中八九あのクローゼットだろう――取り出したビーチチェアにゆったりと座ってカゴをじゃらじゃらさせているのだ。もちろん器用にも左手には眼鏡の熊だ。目をつぶればここはもうどこかの海岸だ。
おかしい。
絶対におかしい。
「伊香内さん!」
「わぁっ?」
駄目だ、こんなまどろっこしい方法じゃ駄目なんだ。
実力行使だ!
僕は伊香内さんの右手を掴んだ。
その衝撃で彼女の手からカゴが落ちる。中に入っていたのは小豆のようだ。それがざらざらとこぼれた。
「もぉ、何するの」
「行こう!」
「は? 行かないって」
「行こうよ、伊香内さん!」
「行かない」
「水着も着てるじゃん」
「着ただけだし」
「本物の海に行こうって」
「君とは絶対に行かない」
どんなに伊香内さんが拒んでも、所詮は女の子だ。僕が本気を出せば女の子一人引っ張り出すくらい簡単だ。
その証拠に、伊香内さんの身体はずるずると部屋の外だ。あともう少し。部屋の外に出すだけじゃ駄目なんだ。外に。この家の外に出さないと。
あと少し。
もう少し。
そう思っていたんだけど。
ぐい、と強い力で引っ張られた。
えっ、何? 伊香内さん、そんなに力強いの?!
驚いて彼女の方を見ると。
引っ張っているのは伊香内さんじゃない。
伊香内さんを引っ張っている者がいたのだ。
それは――、
眼鏡熊のぬいぐるみだった。
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