環はあの世を駆けめぐる

春日野 霞

序章 ペリデレオ<首飾り>

第1話 昇天(?)

「うひょでぃゃん」


 嘘じゃん、と言ったつもりだった。


 めぐるは、雪の中に横たわっていた。唇の自由がきかないほど凍えきった体に「これはもう死ぬやつだな」と考えていた。


 でも、なぜ、こんな所に横たわっているのだろうか。


 うすぼんやりとした視界に映るのは、輝かしい満月。それと、真っ黒い橋の影。

 橋から落ちたのか。記憶をたどるが、まったく思い出せなかった。頭を打ったショックで、消えてしまったのかもしれない。


 なすすべなく、意識が遠ざかっていく。環は目を閉じた。死は恐ろしいものだと思っていたのに、まどろみのように心地良い。あたたかいものに包まれ、ふわっと体が軽くなる。


 めぐるは目を開けた。広がる星空が、徐々に近づいていく。小さな雲が、自分をグイグイ押し上げていた。死んだから、魂があの世へ連れていかれるのだろう。下を見ると、自分の体があった。


 雪の中で動かない自分を、不思議な気持ちで見つめた。かたく目を閉じ、ピクリとも動かない。橋の上を通る車は、その下に死体があるなど思いもしないだろう。


「早く気づいてあげてほしいな」


 お通夜には誰が来てくれるんだろう。皆泣いてくれるだろうか。彼氏、友達、家族……。

 親しい人の顔が脳裏を横切る。ちゃんとお別れを言いたくなって、涙が出てきた。環は、近くなる月を見上げる。泣きながらあの世に行くなんて嫌だった。


 何度かまばたきをして、涙をひっこめる。最後に、故郷を目に焼きつけておこう。再び下界を見る彼女の茶色い目が、大きく見開かれた。


 自分の肉体が動いていた。


 むくりと身を起こし、スタスタ歩き出したのだ。何事もなかったかのように、赤いダウンのポケットに手をつっこんでいる。腰まであるライトブラウンの髪が、快活に揺れていた。


「ちょ、どういうこと⁉」


 驚く魂に反応したかのように、肉体がこちらを見上げる。切れ長の大きな目。まっすぐ伸びた鼻筋。薄い唇。まぎれもなく自分の顔のそれが、化け物じみた笑みを浮かべた。


「生きてるじゃん。てか何、乗っ取られたの⁉あんた一体誰なのよ!」


 めぐるの叫びもむなしく、魂は上昇を続ける。気味悪く笑った肉体が、環に向かって手を振った。

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