第30話

 私は闇に向かって駆けていた。

 大切な一つの闇に向かって駆けていた。

 その闇はきっと、私のことを心待ちにしている。


 あの日のように、厚い雲に覆われた夜だ。

 月と星の明かりはない。だけど、私は己の感覚に従って木々を避け、弾丸のように走り続ける。

 あの子が待っている。急がなくちゃ。


 事の始まりは夕方頃、ご飯の準備をしようと思った時だった。

 どこかで巨大な存在が身をもたげた。

 それは私のことを呼んでいる。

 直感的にそれを理解した。


 場所は間違いなく、あの谷だ。

 山々の間にある思い出の地。

 私は制服のまま家を飛び出した。

 そして駆けること数時間。

 

 人家など全くない、木々と川の水音のみの場所。

 ほんの少しだけ息を切らしながら、私は見つけた。

 彼女を。


「ああ、驚いた。まさかもう見つかってしまうなんて」


 一人の少女が数メートルの高さに浮遊していた。

 夜よりもなお暗い闇の渦を、その身に纏っている。


 服装は黒のワンピース。

 これもあの日と同じだ。


「ふふ。ここでなにをしているの?」


 私は闇の少女に問いかける。


「世界を闇に包もうかなと思ったけれど、今はそれよりも」


 少女は闇の渦を展開したまま着地、こちらへ歩み寄って来た。

 私は渦巻く彼女の闇を拒まない。

 だって、闇の優しさを知っているから。


「凛、あなたとキスがしたい」


「もちろん、よろこんで」


 厚い雲に切れ目が生まれ、そこから月の光が降り注ぐ。

 倉落優香の顔が、はっきりと見えた。


 なるほど。

 前に、ファーストキスは思いっきりロマンチックなシチュエーションでやりたいと言っていた。

 なるほど。初めて出会った場所で、初めて出会った時刻に。

 これ以上ないくらいの素晴らしさだ。


 私は闇の渦に飛び込む。何条かに分かれた筒状のそれは、 嬉しそうに私の全身を撫でまわす。

 その後、渦は私と優香の周りを巡り始めた。

 キスに集中するためか、音は静かだ。


 優香が間近まで来た。

 そして、言う。


「これからもよろしくね、凛」


 唇と唇が触れ合う。

 次の瞬間、私は思わず抱き締めていた。愛しき暗黒の支配者を。

 

 






 キスをした後、私と優香は夜の山で遊びまわった。

 冬眠中の熊を見つけたり。

 暗黒で作った空飛ぶ絨毯に乗ったり。


 気づけば夜が明けそうだったので、急いで街に戻った。

 今は早朝の住宅地を二人で歩いている。

 手を繋ぎながら。


「あー、どうしようかな。とんでもないお邪魔虫じゃないか、僕は」


「え?」


 そんな時である。

 とっても普通な男性に声を掛けられた。

 どこにでもいそうな冬服のサラリーマン、といった感じの彼は、頭を掻いてちょっと気まずそうだった。


「もしかして、上忍さんですか?」


 私はそう聞いてみた。以前会ったときと顔は違っているが、なんとなくそう思えたのだ。


「その通り。君に会いに来た上忍さ。いろいろ言いたいことがあったんだけどなー。忠告を守らず、魔獣に突っ込んでいたことに対する文句とか」


「うう……あの、その……ごめんなさい」


「まあ、でもさ。二人の仲睦まじい様子を見てると怒る気も失せたよ。というか、早朝のデートを邪魔してごめん」


「いやいや、そんなそんな!」

 

 気にしないで下さい、と言おうとしたが。

 この会話をしている中でも、私と優香は手を放していなかった。

 仲睦まじい様子を思いっきり見せつけてしまっている。


「優香、一旦、一旦手を放そう?」


 そう言うと優香は手を放してくれた。だが、しかし。


「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」


 上忍さんに厳しい視線を送り続ける優香。

 明らかに警戒している。


「安心してくれ倉落さん。今回の訪問は良い報告を伝えるためのものだよ」


「……凛のテンプテーションについて、分析が纏ったの?」


 分析、か。最初の会談の時、感情を固着させる枯れ葉を使って、忍者たちは私の能力を調査した。

 その調査結果が出たらしい。

 ううむ、良い報告とは何だろうか。


「魔獣およびデフォルトとの戦いについての報告も、三葉から聞いている。その情報を加味しての判断だが……テンプテーションの成長は取りあえず打ち止めになったと考えていい」


「そ、そうなんですか!?」


「僕たちはそう考えている。君の願いは『対立した相手でも隣にいてほしい』だ。征服心ではない。これならば際限なく能力が肥大化する確率は低いだろう。『悪党と仲良くなりたい』なら世界中の悪人を洗脳することすらありえるけれども、市本さんはあくまで自分と関わった存在が対象みたいだ」


「ちょっと待ってください。それでも暴走する危険性はあるのでは?」


 例えば、三葉やドラゴンは敵対する意思のみでアウトだったではないか。


「大丈夫だよ。君は自らの想いを自覚したじゃないか。これは大きな前進なんだ。訓練を重ねればコントロールも容易くなるだろう。忍者の里も支援したいと思っている」


 なんかものすごくポジティブな言葉を掛けられている!?

 前回の会談は、私の負の感情を集めるためにわざと威圧的な雰囲気にしたと、あの手紙には書いてあった。

 もしかして、上忍さんはすごくいい人……?


「はあ、まったく。そう言って凛を取り込むつもりなんでしょう?」


「おっと、ばれてしまったか」


「ええ!?」


 上忍さんがペロッ、と舌を出した!?


「まあ、市本さんとはこれから、持ちつ持たれつの関係になっていきたいね。僕たちも秩序を守る側に立っている。色々と協力し合っていこう」


「……あの、すいません上忍さん。一つお願いがあります」


「なんだい?」


「三葉に会ってあげてください。きっと喜びます」


 上忍さんは顔をほころばせた。

 なんとも底の見えない人だけれども。

 そもそも、今のこの顔が本物かすら分からないけれども。

 それでも。


 心からの笑みだと、そう思えた。


「市本さんと同じように、あの子にかけられた隔離体制も解除だ。そうだね、可愛い弟子が修行をさぼっていないか見に行く必要があるだろう」








 狼型の魔獣やデフォルトと戦ったあの日から、ほんの少し時間が流れた。

 冬の寒さは和らぎつつある。季節が代わる境目に、私は立っていた。


 上忍さんと会った朝から数時間後。学校の昼休み。

 廊下の窓から青空を眺めていると、理沙が話しかけてきた。


「凛、ドラゴンさんの出発はもうすぐだよね。それじゃ、私と一緒に部室へ行こうか」


「了解、そうしよう」


 私と理沙は並んで歩く。

 ……理沙には私に関わる大体のことを話した。


 デフォルトによる怪我は無事に回復。今は傷一つ残っていない。全ては三葉の処置のおかげだ。


 そして回復後に、奇妙奇天烈摩訶不思議なあれこれを、説明。

 彼女は『そういうこともあるんだね』とすんなり受け入れてくれた。

 もう器が天元突破である。


「そういえば。謝りに行くんだよね、みんなに」


 部室に向かう途中、理沙がそう言った。


「うん」


「凛が小学6年生の時に殴った全員に、か。律儀だね」


「これも私のわがままかもしれない。優香たちをだいぶ心配させちゃった」


「凛の過去に付け込む人がいるかもしれないからね。でも過去を利用して悪事を考える奴がいたら、優香たちが怒ってくれると思うよ。その時は怒りを止めないであげて。それは凜を大切に想ってくれている証拠だから」


「……私は誰かに頼ってばかりだね」


「大丈夫、そういうヒーローがいても良いんだよ」

 

 ボランティア部室の扉を開ける。

 優香、美奈子、三葉の三人は既に揃っていた。


「レッドドラゴン先輩、また会った時は武勇伝を聞かせてください! それまでにオレはもっともっと強くなってみせます!」


 机に乗っている、子猫ほどの大きさのドラゴンへ、美奈子は最敬礼をしていた。

 ぽんぽんと、ドラゴンは美奈子の頭を前足で叩く。おそらく激励をしているのだろう。

 

 魔獣によってもたらされた傷はすっかり治り、彼女は再び次元の旅に出発する。今日はボランティア部総出で見送りだ。

 おや? 私のスマホが振動している。確認すると、メモ帳アプリに文章の入力が。ドラゴンからのメッセージである。


『正義の味方は苦労するというのが、次元の八方界全体における共通事項だ。そなたも善き者であろうするならば多くの試練を乗り越えねばならんだろう。だがそれでも。奇妙なる誘惑の術の使い手よ、汝が汝であり続ける限り、その強さは朽ちることはないのだ』


「それって……」


 私が私であり続ける限り、か。

 

 あなたはどう思う?

 私は自分の心に声を掛けた。

 デフォルトは、答えない。


 体が消滅し魂の状態で私の中にやってきたデフォルトは、あの日以来、沈黙を貫いている。

 だけど、あの子が内在しているという確かな実感はあった。

 いつか、また再び会話の出来る時がくるかもしれない。


 私は寂しがり屋なヒーローだ。

 誰かが隣に居てくれることを欲している。

 実際、デフォルトが自分の中にいることに、大きな幸福感を感じていた。


 ドラゴンの真意は分からない。こんな風に、寂しがり屋であり続けることが私の強さなのだろうか。

 これからゆっくりと、考えていこう。


『さらばだ』


 赤き竜は部室の窓から飛び立っていった。

 青い空に一瞬、黒い穴が開いたかと思うと、そこに突入する。

 彼女が次に迎えるのは、如何なる戦いであろうか。


「く~、体がうずいてきたぜ!」


 竜を見送った後、美奈子が言った。


「組み手しようぜ凛! 特訓だー!」


 抉り込むようなアッパーを私へ向けて繰り出す美奈子!

 ひええ!?


「あ、あの、凛さん」


 三葉がおずおずとした感じで言った。


「竜の看病などで忙しく、あまり甘える時間が無かったので……イチャイチャしましょう! さあ、優香さんも!」


「ふふ、三葉も積極的になってきたね。いいことだ」


 優香の手を引きながら、三葉が近づいてきた。

 そして私の体を抱き締める。

 優香も続いて、私を抱き締める。


「久しぶりに愛を囁いてやるぜ!」


 そこに美奈子も参戦! 

 私はもみくちゃにされた。

 理沙は楽しそうにこの風景を眺めている。


 なんとも賑やかな私の日常。

 これが私の自然体デフォルトなのだろう。


 開きっぱなしの窓から暖かい風が吹き込んだ。

 これからの予定としては、まず美奈子との組み手。

 それから……よし、これだ。


 お散歩がてら、咲いたばかりの野花を見に行こう。

 みんなと一緒に、春を探しに行こう。

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新人ヒーローの私は女ヴィランにモテモテ! え? テンプテーションがデフォルト? 坂井そら @sora_novel

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