第16話
「愛しのネズミ! 愛しのネズミ! 恋の大捕り物を始めよう!」
ダンス! ダンス! ダンス!
虫かごに入った一匹の雌ネズミへ、私はラブコール。
学校で習った創作ダンスを踊りながら、彼女へ情熱的に迫る。
さて、レディのご様子は?
「お、おお! なんか凛を見つめているような気がするぜ!」
「これは良い感じですよ凜さん!」
美奈子と三葉が喜びの声を上げる。
ふふ、マウスさんは私に対してホの字のようだ。
チェケラ☆ チェケラ☆
「…………………………………バカみたいな光景が目の前に広がってる」
優香の呆れた声が、2月の青空に響いた。
いや、その。
はい、その通りです。
「なにごと? わたしが公園に来るまでに、毒キノコでも食べて錯乱したの?」
「えっと……テンプテーションの修行をしようと思って」
土曜日。三葉と戦ったあの公園に、私たちは再び集まった。
今日は私のテンプテーションについて理解を深めようと、三葉が提案してくれたのだ。
三葉が用意したのは虫かご。
その中には、メスのネズミが一匹入っていた。
「ネズミに対して人々が感じるのは不快感、そして、どこかへ行ってほしいという敵意。ならばこのネズミも立派な女ヴィランということ!」
「な、なるほど!!!」
というわけで、ネズミに対してテンプテーションをかける挑戦が始まったのである。
だがこれまで私がおこなったテンプテーションは、みんな自動的に発動したものばかり。
意識的に能力を使うにはどうしたらいいのか。
それが今の私には分からなかった。
それでまあ、いろいろやってみたのである。
般若心経を唱えたり、大地に祈りを捧げてみたり。
しかし、ネズミはお尻を向けるばかり。
三葉曰く、能力の行使には意識のスイッチが必要なんだとか。
異能者の精神に必ず存在する、世界構造そのものへアクセスするためのボタン。それを探し出して押さなければいけない。
多くの能力者は、ボタンを押すのに適した、短い言葉を使っているらしい。
要するに。
今の私は能力発動の為の呪文を探しているというわけだ。
「それで辿り着いたのが、あのダンス? 呪文を探しているんじゃないの?」
「半ばヤケだった……」
「ちょ、ちょっと分析してみましょうか。舞踊には呪術的な意味が込められることもあります。けれど、凛さんのダンスからは、なにか特異なものは感じませんでした。超常的な力が込められた踊りでは無かったと思います」
「要するに、ダンスには意味が無かったってことか。踊り損だな!」
踊り損だったか……!
しかし、改めてネズミの様子を確認すると、今もまだ私の方をじっと見つめているようだ。
テンプテーションが確かに効いているように思える。
「もしかしたら、凜さんの能力行使に必要なのは集中と……愛の言葉なのではないでしょうか。ダンスをして集中力が上がり、その上で『愛しの』と言った。これが能力発動の理由かもしれません」
良かった、踊り損では無かった!
というのは置いといて。
集中と愛の言葉、か。
それが意識的な能力発動のためのキーワード。
「私がテンプテーションを使うには、集中して『好きだ』と唱える、これだけでいいということ?」
「端的に言えばそうです。凛さんのテンプテーションは強力そのもの。能力が覚醒した瞬間から、敵対者を一瞬で無力化できるほどです。ここまでのレベルになってくると特別な呪文は必要ない。単純な愛の言葉があれば、それで事足りるのだと思います」
なるほど……。
ん、ちょっと待てよ。
「私のレベルが高いとすると、それは能力の制御にどう関わってくるだろう?」
意識的な発動が出来ても、無意識的な能力の垂れ流しが止められなければ、制御が出来ているとは言えない。
「むずかしいですね。レベルが高いから制御が困難というケースもありますし、逆に術者の格が高いからこそ容易に能力をコントロールできるパターンもあります」
「そうか。そうなると今はとにかく、前者か後者かを探るため、繰り返しの修行あるのみだね」
だが、今日だけでも収穫はあった。
テンプテーションの把握について、一歩前進だ。
私は能力をある程度、自由に使える。
私は振り回されるばかりではないのだ。
「ねえ、みんな。ちょっと休憩してケーキを食べない? お父さんが用意してくれたんだ」
優香はそう言うとカバンから紙の箱を取り出す。甘い匂いがこぼれた。
「用事で遅れてしまったお詫びだよ」
「おお、うまそうだ!」
パン! と美奈子が喜びの拍手を一回。
私たちは公園に備え付けてあったテーブルへ向かう。
ここで私は独り
「可憐な少女たちがケーキを囲い談笑する。暖かい私服を身に纏い、冬の空の下、楽し気な時間を過ごす……」
ただちょっと変わっているのは、ドブネズミの入った虫かごがケーキの横にあるということだろうか?
あと、さっきのダンスを公園を歩く人たちに見られたんだよね……。
みんな目を丸くしていた。
「うーん、奇妙!」
「ネズ公にも食わせるか、ケーキ!」
素晴らしい甘みにテンション爆上げの美奈子は、虫かごのケースを開けてしまった。
しかしネズミは逃げ出すことなく、私をジーと見つめるのみ。
美奈子がケーキの端を虫かごに投入しても、見向きもしない。
「逃げないとは思ったが、ケーキも無視! 凜に夢中だな!」
「……私の力は、確かに強力だ」
ケーキを食べ終わったら、解除の練習を頑張ろう。
能力の制御に対する意欲を新たにしたところで、ふと思った。
そういえば昨日のあれ、なんだったのだろう。
「ああ、そうだ。みんなに聞きたいことがあるんだけれど。昨日の夕方、空に変なものが飛んでいたんだ」
「変なもの? 鳥だ、飛行機だ?」
優香が首をひねる。
空飛ぶ超人ではないと思う。そして鳥とも、飛行機とも、シルエットが違って見えた。
「一瞬だったからよく分からなかったのだけれども……」
こういう小さな違和感を見過ごすべきではないと、私は知っている。
なにせ部室の天井から人の気配がした時、そこには忍者が隠れ潜んでいたのだから。
「空、ですか……」
私たちはなんとなしに空を眺める。
どこまでも広がる青色に、雲の白がいくつか配置されていた。
いつも通りの空、のはずだ。
「…………うん? おい、みんな。あれなんだ?」
美奈子が、何かに気づいた。
青空に向かって指をさす。
私は示された場所を見ようとした。
その時である。
「――!?」
私たちの近くを小学生ぐらいの男の子が走っていた。
だが、その男の子が一瞬で消えた。
周りから人の気配がしない。
これは、間違いなく。
「想天!? みなさん、気を付けて!」
私たちは誰も想天を使っていない。
そうなると、他の誰かにいきなり隔離空間へ放り込まれたことになる。
三葉は既に戦闘態勢だ。いつまのにかその手に、クナイが握られている。
「なにか空から降ってくるぜ!?」
「闇の壁よ、並べ!」
状況は進行し続ける。
優香の言葉と同時に、私たちの周りを闇色の壁が囲んだ。壁の向こうが見えないほどに、闇が濃い。
壁を厚いということか? それだけ厚くしなければいけないほどの相手が、迫っている?
「くっ! だめ! ひびが!」
どごん!!!!!
闇の壁に何かが激しくぶつかると、闇に亀裂が走る。
数秒後、亀裂をこじあげようと巨大な爪が姿を現した。
「あ、あれは!?」
私が驚いたのと、爪の主の全身が見えたのは、同時。
対応する暇が無かった。
人を簡単に丸呑みできそうな口が見えた。
それは私を挟み込んだ。
そのまま一気に、上空へ。
ああ、トンビに捕まったネズミってこんな感じなんだ。
公園がどんどん遠くに去っていく。
「なんて、ファンタジー」
思わずそう呟いてしまう。
いや、これは誰がどう見てもファンタジーだ。異論を挟む余地は無いだろう。
私をくわえているのは、竜。
全身が赤い鱗に覆われている、ドラゴンだ。
立派な角が、頭に二本生えている。
ドラゴンは優しく私をくわえている。
しかし同時に興奮もしているのか、鼻息が荒い。
爛々と輝く目で、私を見つめている。
推論が、頭の中で手早く組み立てられていく。
このドラゴンは昨日、私を襲おうとしたのだろう。
敵意をもって、私をみつめた。
無自覚に私はそれを察知し、テンプテーションを発動。
ドラゴンは私に恋をした。
このドラゴンは、メスである。
ふむふむ、なるほどね。
なるほど。
「今度はこうきたかあああああああああ!!!!!!!!」
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