第2話

 薄曇りの下に広がる風景を、窓際の席からぼんやりと眺める。


 校舎の二階に位置する私の教室。

 そこから見えるのは、北風に揺れる木々と、足早に建物の中へ戻ろうとする生徒の群れ。

 

 実に、冬だ。

 暖房の効いた教室の外では、寒さが自由に遊んでいる。


 そういえばこれから軽く雪が降るらしい。けれど積もる程ではないとのこと。

 私立蜂森高校に入学して迎える、初めて冬。

 この学校が雪の白に染まる姿は、果たしてどのような眺めなのだろうか。


「冬だねぇ、凛」


「そうだね、理沙」


 クラスメートの咲岡理沙も、私と一緒に1月の景色を眺めている。

 私は窓際にある自分の席に座り、理沙は私の机の上に腰を下ろしていた。


「凛はさ、冬が好き? あれ、これ聞いたことあったっけ?」


「たぶん、はじめてだと思うよ。私は結構好きかな。寒さが大変だけれども、だからこそ、暖かさというものを心の底から感じることが出来る。熱の愛おしさを感じることが出来る」


「凛はロマンチストだねー。私は単純にあったかいおでんがおいしいから好きー」


 くすくすと、理沙は笑った。

 理沙と喋るのは、楽しい。


 かゆいところに手が届くというか、その瞬間にどんな言葉が必要か理解しているというか。


 いまこの時も、私にとって必要な行為を手助けしてくれている。


 そう。


 現実逃避、である。


「いつまでも現実逃避を続けるわけにはいかないよ、凛?」


「…………ですよね」


 私は窓の反対方向、教室の前方の扉へと顔を向けた。


 扉の端から、闇の少女がじっと、こちらを見つめている。

 私から決して目を逸らそうとしない。

 こういうのを情熱的な視線と言うのかな?


 ……辛い現実がそこにあった。


「えーと、凛? 倉落さんと何かあった? 困ったことがあったら、いつでも相談してね?」


「ありがとう、理沙……」


 でも、どう相談したらいいのだろうか。


 世界を闇に包もうとした少女に、いきなり告白されたなんて、当事者である私ですら未だに理解しきれていない。


 蜂森高校一年一組に所属する私、市本凛は昨日いきなりスーパーパワーに目覚めた。

 遠くの山の中で巨大な闇が出現したのを察知し、現場に急行。

 闇の少女と対面し、いざ勝負、のはずだったのだが。


『あなたに恋をしました』


 少女はこの言葉を言った直後、満足そうに気絶した。

 慌てふためく私。

 だが、やがて気づく。


 見覚えがあって当たり前だったのだ。

 だって、闇の少女は隣のクラスの、倉落優香さんだったのだから。

 

 直接、会話をしたことはない。

 けれど遠目から見ても、夜が舞い降りたみたいな黒髪は、とても印象的だった。


 腰まで伸ばした髪を揺らしながら歩く姿は、高貴なるお姫様を連想させ

た。

 

 私は急いで彼女を街まで送り届けた。

 とりあえず蜂森高校の前まで来て、どうしようかと悩んでいたら、倉落さんが覚醒。

 目の前で起こる状況に半ばパニックになっていた私は、彼女を置いて逃げ出してしまった。


「……理沙、とりあえず状況の整理が私の中で出来たら、ちゃんと話すよ」


「うん、オーケー。了解した。クラスのみんなにも私の方から伝えておくね」


 教室の中を見渡すと、男子も女子も関係なく、混乱しているようだった。

 当然だろう。

 今日になって突然2組の美少女が、休み時間の間ずっと、扉の端から私を覗いているのだから。


 倉落さんに近づいて声を掛けようとした女子もいた。

 だが『……なんですか?』というドスの効いた声を受けて、退散した。

 現在はお昼休みが終ろうとしている時刻。

 恐らくこの後も、彼女は同じ行為を続けるだろう。


 ……どうしよう?

 えっと、理沙にも私が車より速く走れるようになったことは、伝えないほうがいいのかな?

 伝えない方が、いいよね。


 でもそうなると倉落さんのことは、だいぶ嘘を交えながら説明するしかない。うう、気が重い。

 

 とりあえず。

 とりあえず、だ。

 倉落さんと話をするしかないだろう。

 腰を落ち着けて。


 よし、まずはトイレに行ってスッキリしよう。

 私は立ち上がる。


「ちょっとトイレに行ってくるね」


「あ、ちょっと、凛」


 倉落さんにずっと見られていて緊張してしまい、なかなか行けなかったのだ。

 さすがにもう行っておいた方がいいだろう。


 理沙の制止に「ごめん!」と声を掛けて、早歩きをしながら教室を出た。


 同じ階にあるトイレへ急ぐ。

 すると、廊下の向こう側から男子の二人組が歩いてきた。

 喋ったことはないが、確か同じ一年生だったと思う。

 なんだか表情が、暗い。


「ところかまわず喧嘩を仕掛けられているらしいな。先輩までぶん殴られるなんて」


「うちの学校だけじゃないみたいだぞ」


「こえー……」


 ――――覚えておこう。


 さて、トイレだ。

 ドアを開けて入場。

 どうやらだれもいないらしい。

 いつも使っている個室へゴー、だ。


「良かった、だれもいないみたいだね。凛とゆっくりお話が出来る」


 ………………………………うん?


 これは、昨日聞いた声だ。

 意外と可愛らしい、彼女の声。


 私は後ろを、振り返る。

 振り返りたくないけど、振り返るしかない。


「ああ、わたしの愛しい人」


 トイレのドアを背にしながら、倉落優香が立っていた。

 魅力的な笑みを、その顔に浮かべている。


 ………………………………やっちまった。


 二人きりの状況を、自分から作ってしまった。

 理沙が制止したのはこれを防ぐためだったのに。

 

 どうして私は考えなしに行動するかな~~~~~~~~~~!!!!!

 私のバカ~~~~~~~~~~!!!!!!!!!


「ねえ、凛」


「は、はい!!! なんでしょうか倉落さん!!!」


「優香でいいよ」


 え、えっと。じゃあ、まずは頭の中で呼ばせてもらおう。

 

 優香は私に語り掛けてくる。


「私の闇を恐れず敢然と立ち向かうその姿。まるで、勇気という概念が人の形をとったみたい。ふふ、きっとわたしはその輝きに心を奪われてしまったんだ。世界を闇に包むのは止めたよ。あなたという光を、失いたくない」


「こ、光栄です……」


「恋って、こんなにも胸をときめかせるものなんだね。昨日は家に帰っても寝られなかった。ずっと、どきどきしていたから」


 これは、おかしい。

 明らかに、おかしい。

 昨日会ったばかりなのに、こんなに好意を向けられるなんて。


「ねえ、あなたの顔をもっと近くで見せて」


 優香が私の方へと歩み寄る。

 彼女の白い肌が、どんどん近づいてくる。


「えっ、えっと……優香?」


「あなたにもっと、もっと近づきたいの」


 もう吐息を感じるほどに、近い。

 それなのに、これ以上……?


 視界の端に鏡を捉える。

 そこに映るのは、綺麗な優香と平凡な私。


 髪だって、神聖さすら感じる長髪と、どこにでもあるだろう肩まで伸ばした頭髪。

 不釣り合い、だ。


「凛……」


 優香の手が、私の腰へ回ろうとしている。

 彼女が私を、抱きしめようとしている。

 ああ。

 とても美しいものが、目の前に、ある。


「………………………うおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」

 

 トイレのドアへは向かえない!!!

 その方向に進むと優香に捕まる!!!


 ならば、取るべき選択は……逆!!!


 私はトイレの窓へと猛ダッシュ!!!

 ガバッと窓を開ける!!!

 寒い!!!


 2階の窓から、一気に飛び降りた!!!!!!


「おおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!」


 一秒ほど落下の感覚を味わうと、難なく着地。

 あって良かったスーパーパワー!

 

 よし、誰にも見られていないようだ。

 その場から遁走!!!!!!!


 ……危なかった。

 いや、具体的に何が危なかったというのは分からないけれども。

 あの甘美な雰囲気に呑まれていたら、危なかった。


 トイレは、別の場所を探そう。

 

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