名探偵木戸彦太郎シリーズ『宇宙海獣』

十晶央

事件篇〈1〉

 激しい吹雪により外の世界と隔絶された洋館の中、名探偵木戸彦太郎の助手である田中少年は嬉しそうに窓の外を眺めておりました。


「先生、外は真っ白ですね。これはもう絶対起こりますよ、連続殺人事件」

「随分愉快そうだね、田中君」

「それはもう、事件となれば僕達の出番ですから。

 気になるのは特に見立て殺人に使えそうなエピソードが食事中の会話で聞けなかったことですが ―まさか水鳥川氏の独りよがりな宴会芸が見立てに使われることはないでしょう― こんな絶好のシチュエーションを逃す犯人はいないはずです。

 そろそろどこからか悲鳴が聞こえてきてもおかしくない頃ですが……」


 そういって田中少年が耳を澄ますと、何やら奇妙な音が窓の外の方から聞こえてまいりました。

 吹雪の音に紛れて聞こえてきたゴオオオ……というような音はどんどん大きくなり、やがて大きな物体が探偵達の部屋に向かって突っ込んできそうになったのです。

 窓際にいた田中少年のピンチに、すかさず我等が名探偵木戸彦太郎は田中少年を抱え、部屋の外へと避難したのでした。

 衝突音が響き渡り、洋館にいた人々はすわ第一の殺人かと慌てて集まってまいりました。ここで到着が遅ければ犯人だと疑われかねないですからね。


「どうしたんだね木戸君、まさか君の部屋が密室殺人の舞台になったんじゃなかろうね」


 毎度おなじみ、木戸探偵とはずぶずぶの関係である安原警部もやって来ました。都合よく彼もこの洋館に招待されていたのです。


「さあて、鬼が出るか蛇が出るか……宇宙海獣が出るかもしれないよ」


 しれっとネタバレしながら木戸探偵がドアを開けると、部屋の中には謎の銀色の物体があり、直撃に遭って割れた山荘の窓からは吹雪が吹きすさんでおりました。


「これは……アダムスキー型UFOだ」

「あだ……なんだって?」

「おっと失敬、アダムスキー型UFOは戦後に流行ったものだったね。こう、薬缶の蓋とひっくり返した灰皿をくっつけたような形で……」


 この物語の時は名探偵華やかなりし時代であり、ざっくり第二次世界大戦前の世界なので戦後の話をしても誰にも通じないのです。

 部屋の中にあったUFOは衝突により破損している部分はあるものの、まさしくアダムスキー型UFOの形をしていました。

 どんな形かは画像検索していただいた方が早いことでしょう。


「形は見れば分かる。そのアダムスキーとやらは一体何なのだ」

「アダムスキー型UFOというのは宇宙人が乗る円盤のことさ。即ち、このUFOの中には地球外からやってきた宇宙人がいるんだ」

「なんだって。すると我々は宇宙人と遭遇することになるというのか」


 人々は驚き恐れながらも、宇宙人が出てくるのを固唾を飲んで見守りました。


「……出てこないな」

「この猛吹雪の中、窓に激突したUFOだからね。最悪死んでしまっていても、おかしくはない」


 その言葉を聞き、あまりの展開に呆然としていた田中少年が我に返りました。


「なんですって! つまり今回の第一の殺人は宇宙人が被害者だということですか!?」

「いやあ、流石にこれは墜落事故だろう。殺人の線は疑わしい。なあ木戸君?」

「犯人はUFOに細工をしていたのかもしれません。或いはこのUFOは偽物で、そういう趣向の見立て殺人なのかも。ですよね先生?」

「はっはっは、宇宙人が殺人事件の被害者とは斬新だね。そういったSFミステリも探せばあるかもしれないが……ひとまず本当に死んでいるのか確かめてみようじゃないか」


 我らが名探偵木戸彦太郎は勇敢にもUFOの中に入り込み、しばし後何かを抱えて皆の前に戻ってきました。

 皆が彼の腕の中に注目すると、そこには気を失ったカワウソのようなイタチのような、なんとも珍妙な獣がいたのでした。

「あら可愛らしい」と呟いたのは水鳥川夫人。

 夫人の云う通り、茶色くぽわぽわふあふあした毛並みで、丸っこい頭がなんとも可愛らしい獣です。


「この獣はなんでしょう。宇宙人の愛玩動物でしょうか」

「ところが他に生命体の気配はなかったんだ。論理的に考えればUFOの主はこのラッコだということになるね」

「なんですって、この獣が宇宙人!?」

「これがラッコ? あの毛皮の?」

「こんなに可愛い生き物だったのねえ」


 皆の騒ぎが聞こえたのかラッコは目をさまし、おめめをくしくしとこすりました。


「あ、起きた」

「仕草も可愛いわ」


 ラッコは辺りを見回して大層驚き、ばたばたと手足をばたつかせて探偵の腕の中から逃れようとしました。


「こらこら、そんなに暴れては危ないよ」


 探偵がそっとラッコを降ろしてあげると、ぽてぽてぽてっとUFOのほうへ駆けだし、くるりと探偵達の方に向き直りました。


「貴様等がこの星の知的生命体か?」


 こんな可愛らしい生き物から出てきたとは思えない中年男性のような野太い声です。水鳥川夫人も「鳴き声は可愛くないのね……」と少し眉根を寄せています。


「まあ、この地球という星の知的生命体と云えば、我々人間のことだと云っても過言ではないだろうね」

「なんと毛の少ない奇妙な生き物……だが致し方あるまい……」


 ラッコはコホンと咳払いすると、皆の前でふんぞり返ってみせました。


「我はエンヒドラ・ルトリス三世! この星を支配するために偉大なるルトリス星からやって来たすごい大将なのである!」

「支配……? ラッコが……?」

「ラッコ? 何と間違えているか知らんが、我はエンヒドラ・ルトリス三世であるぞ。服従するなら今の内なのである」

「こんなとぼけた顔のラッコに偉そうなこと云われてもなあ」

「だからラッコではないというのに!」


 ラッコは苛立ちをあらわに足をだんだん踏み鳴らしましたが、全然相手にされません。


「どうしましょう先生、なんだか物騒な事云ってますし、毛皮をはいでラッコ鍋にでもしてやりましょうか」

「この子供物凄く物騒なことを云っておるぞ!?」

「どうしたんだい田中君。いつもは可愛いぬいぐるみを好んだりしているのに、このラッコはお気に召さないかい」

「ぬいぐるみのくまちゃんはもう卒業しました! 

 僕は悔しいのです。折角吹雪の洋館で起こるマーダーミステリーを華麗に解き明かす先生の名推理が見られると思っていたのに、いきなりこんな訳の分からない毛玉が飛んできて全てを台無しにしてしまったんですもん」


 林檎のようなほっぺでむくれる田中少年を、木戸探偵は優しくなだめました。


「確かに本格ミステリを期待していたら唐突に宇宙人が飛来してくるなんて素っ頓狂な展開は受け入れがたいだろうね。

 しかし僕達はこれまで幾度も難事件を解決してきた。

 その中には……あっただろう? 奇妙奇天烈な出来事と見せかけて、実はとんでもなく恐ろしい陰謀が隠されていたということが」

「あっ……ありました! 何故か具体的な事件名は何一つ出てきませんが、そういうことがあったという記憶だけはあります! つまり今回もとんでもない陰謀が隠されているのですね!?」

「ふふっ、それを断定するにはまだ証拠が足りないんだ。田中君、共に調査を続けてくれるね?」

「はい! 先生!」


 探偵と助手の美しくも熱い抱擁が交わされ、人々はなんとなく大団円のような気持ちになって拍手をしました。

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