聖なる夜のサンタの恋

いとうみこと

聖なる夜のサンタの恋

 今夜はクリスマスイブ。イルミネーションが映る水面を眺めながら、俺はポケットの中の小さな箱をまさぐった。ドラマならここで川に投げ入れるところだろうが、さすがにもったいなくて俺にはできない。

 それにしても、世の中にはどうしてこんなにたくさんのカップルがいるんだろう。なんで俺はこいつらの仲間になれないんだ。

 本当なら今頃彼女とクリスマスパーティの会場で乾杯してたはずだ。それから告白して、いいムードになって朝まで……だったはずなのに、会うなりそのカッコじゃ恥ずかしくて一緒に歩けないってどういうことだよ。あっちから誘ってきたのにあんまりじゃないか。今日もいつものスーツで来れば良かったのか? いったい何が正解なんだよ。


「俺ってそんなにダサいかな」

「間違いない」

「んあ?」

 いつの間に来たのか、女が隣に立っていた。全身黒ずくめでフードを目深に被り、黒縁のメガネと口もとには黒マスクの見るからに怪しげな女だ。

「小汚い白のダウンに赤いニット帽かぶって靴まで赤とか、今時子どもでもそんな組み合わせ嫌がるよ。サンタの衣装のほうがマシなくらいだね。そりゃあの人じゃなくても逃げ出すって」

 女は憐れむような目で俺を見た。こいつ、さっきの俺達のやり取りを見てたんだな。


「うるさいな、おまえに関係ないだろ」

「関係ないけど気になるの! そもそもなんでそのチョイス?」

「なんでって、上着はこのダウンしか持ってないし、今日のラッキーカラーが赤だったから……」

 俺の言葉を遮るように、突然女が俺の体を触り始めた。

「おいっ、何すんだよ!」

 女は構わず腰や脚まで掴んでくる。

「おじさん、身長いくつ?」

 おじさんって、俺はまだ二十七だぞ。

「百八十。って、それ聞いてどうすんだよ! やめろって」

 女は俺の反撃を逃れて後ろに飛び退くと、そこから全身をなめ回すように見て言った。

「おじさん、リベンジしない?」

「はあ? 何言ってんだ、おまえ」

 俺はその時初めて正面から女を見た。声がなければ少年に見える。若いというより幼い。中坊か? ただ、明らかに伊達とわかる眼鏡のその奥の瞳の輝きが不思議と俺を惹き付けた。

「リベンジって何だ、何を企んでる?」

 女がマスクの下でニヤついているのが丸わかりだ。

「おじさんのポテンシャルを見抜けなかった女へリベンジしたくないかって聞いてるんだよ」

「どうでもいいからおじさんはやめろ」

 俺は好奇心に負けて女の話を聞いた。リベンジとはつまり、この女がコーディネートすることで俺はイケてる男に変身し、その姿で俺を振った同僚の前に現れてぎゃふんと言わせるということだ。って、ぎゃふんって今時の女子は使わないぞ?


 俺はこの馬鹿げた計画に乗ることにした。どうせ今夜はもうやることがない。

「じゃ、まず服だね。こっち来て」

 女は慣れた様子で路地を抜けて一軒の古着屋に入った。

「ただいま」

 ただいま?

「ここ、おまえんちなのか?」

「違う、下宿先」

 下宿先ってことは学生なのか。それとも社会人? 俺がそのあたりを問いただそうとしたとき、奥から派手なバンダナを巻いたロングスカートの年増が出てきた。

「あら、おかえり。お客さん?」

「そう、今からコーディネートするの」

「そう。頭もなんとかしたほうがいいね」

「うん、おばちゃんに頼みたいんだけどいい?」

「任せといて」

 話をする間にも女はせわしなく店内を歩きながら次々と服を選んでいる。そして手招きすると、服といっしょに俺を試着室に押し込んだ。

 それを3回ほど繰り返して、やっと女は納得したのか俺をレジへと引っ張って行った。

「特別に三万円にしといたげる」

 え、金取るの?

「嫌ならここでやめる。でも、その前にそこの鏡で全身見て」

 俺は大きな鏡の前に立った。なんてことはない組み合わせなのに、やたら脚が長くかっこよく見える。靴まで揃ってこの値段は安いくらいじゃないのか?


「払います」

「そうこなくちゃ。で、女の子はいる? その方がさっきの彼女さんにインパクト与えられるんじゃない?」

 へ? どういうことだ。まさか、同伴ってこと。

「ま、まあ、可愛い子ならありかな」

「別料金で一万円、オッケー?」

 俺は頭の中でそろばんを弾いた。プレゼントを返品すれば余裕でお釣りが来る。

「じゃ、契約成立。おばちゃん、この人の頭セットしてあげて」


 そう言うと女は奥へ引っ込んだ。俺は店の隅の洗面台に連れて行かれ、ものの十五分ほどで別人級にイカした青年へと垢抜けた。このおばさん、何者だ?

 俺が鏡の前で悦に入っていると、さっきの女の声がした。振り向いた俺は腰が抜けそうになった。そこにいたのが韓国アイドルも真っ青の完璧ガールだったから。


「お、おま、おま……」

「おじさん、お待たせ。こんな感じでどう?」

 か、可愛い! こんなに可愛い子にならおじさんって呼ばれたいとさえ思ってしまう。

「おまえ、ほんとにさっきの、えっと、お嬢さんですか?」

「ええ、奈南ななみです、よろしくね」

 そう言うと、奈南は小首をかしげて軽く唇を突き出した。やばい、うっかり吸い付いてしまいそうになる。いや、待て、自分。いくら何でもこんなに変わるもんか?

「おじさんだってすっかりかっこよくなったじゃない」

 確かに、一時間前に恋人候補と信じていた同僚から冷たくあしらわれた俺と今の俺では別人と言っていいくらい違って見える。てか、やっぱりおじさんって言うな。

「あたしはメイクアップアーティスト目指してるの。今日のは韓国アイドル風メイク。おじさん、こういうの好きそうだから」

 間違いなく好きだ。でも、なんでわかった?

「それにしてもよくそんなに変われるもんだな。さっきのおまえ、いや、君は少年みたいだったのに」

「そりゃ、腕がいいからね。それにメイクはなりたい自分になれる魔法なんだよ。綺麗になれば自然と背筋が伸びるでしょ。だから生き生きして見えるんだと思う。おじさんだって、さっきよりずっと元気そうだよ」

 言われてみれば、さっきまでの世界中を呪いたいような気分はとっくに消え失せてむしろうきうきしている俺がいる。着替えて髪をセットしただけなのに? そうか、自分に自信が持てたってことか。


「あんたたちふたりなら、その失礼な女にぎゃふんと言わせられるね」

 あ、ぎゃふんって言った。

「じゃ、おじさん行こう」

「俺は鈴木朋也だ。今夜は朋也って呼んでくれないか」

「いいよ、おじさんじゃなくて朋也さん」

 うわ、その語尾を上げた言い方、痺れる。

「じゃ、あたしのことは奈南で」

 なんかめちゃくちゃ照れるんだが。

「な、奈南」

「オッケー、さあ準備完了。いざ出陣じゃあ」

 勇ましい掛け声と共に奈南が店の出口へと向かう。その後ろ姿を見ながら、俺はもうリベンジなんてどうでもよくなっていた。それより今は奈南にずっと「朋也さん」と呼ばれたい。俺を見送るバンダナのおばちゃんがやれやれと両手を広げている。いやいや、おばちゃんよ、今夜の俺はちょっと違うぜ。

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聖なる夜のサンタの恋 いとうみこと @Ito-Mikoto

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