第10話 犬と寿司とスタートライン③

 カァカァカァー……とカラスの声が聞こえる。


 人がどんなに嫌な気持ちになっていても、それはどうやらやってくるらしい。というかそこはちゅんちゅんちゅーん……じゃないのかな。一応、朝なんだし。


「目が……痛い……」


 カーテンを開けながら少しだけ、空に――神様に感謝した。


 今は土曜日の午前十時。花の女子高生とは到底思えない土曜日の朝。ほんと笑える。

 部屋にある大きな鏡で自分の顔を見ると、私にお似合いな酷い顔だった。

 ふと、いつもの癖でスマホを開いた時に思った。あ、今はやめておいた方が――。


『(湊)この前会った時顔色悪かったように見えたんだけど、大丈夫?』


「――え」


 なんで……。


 それは、湊からのメッセージで。

 それは、私を心配してくれたメッセージで。

 それは、あの日ちゃんと私の顔を見てくれていたというメッセージで。


「…………ふんっ!!!!!」


 思い切り頬を叩き、テキパキと着替え、大きな鏡の前に立つ。

 相変わらず酷い顔がそこにはあったけれど、さっきよりは少しはマシになったと自分に言い聞かせる。


「見つけなきゃ、ちゃんと」


 喜ぶのは、その後だ。


 ◇


「ごめんね、甘ちゃん! 朝から急に!」

「や、私はいいけど……小春、だいじょび? どしたの」


 私を見た途端に持っていたシェイクをテーブルに置き、心配そうに見つめてくる。

 そんな優しい彼女の名は、八色甘やいろあまちゃん。茶髪でポニーテールの似合う運動神経抜群な女の子だ。


「これは、その……とにかく私が悪くて」

「えっと」


 なんと言えばいいのか、甘ちゃんは言葉を探しているように見えた。

 そんな彼女を見て、少しだけ元気になる。


「でも知らなきゃいけないことがあるの。だから甘ちゃん、手伝って欲しい」

「……聞かせて?」


 うんと頷き湊の名前は避けて、足りない頭で出来る限りの言語化をし、伝えた。


「――って感じなんだけど」

「うーん? なるほ、ど……?」

「どうかな……なにか思い当たるもの、ある?」


 そう聞くと甘ちゃんは少し言いづらそうにこちらを見つめる。

 そりゃそうだよね、そんな簡単に答えが見つかるわけが無い。分かってるよ、甘ちゃん。

 それでも、少しでもこうじゃないかなって、そんな意見が聞きたい。


「……や、小春。ちょっと言いづらいんだけどさ」

「うん、大丈夫だよ」


 出来るだけ甘ちゃんが気を使わないように、私も余裕を持った感じで、さっき頼んだ白ぶどうジュースを飲む。


「それ、小春がよく話す『湊クン』でしょ」

「ゴボッ!」

「……だいじょび?」


 変なところに入ったみたいだ、視界が少し揺れる……あ、背中さすってくれてありがとね、甘ちゃん。


「な、なな何でそう思うの!?」

「いやぁ、そりゃあだって……ねぇ?」


 どうやら甘ちゃんは色々分かっているらしい。

 マジか、ウィキペディアもびっくりだよ。アマペディアだよ。

 もしかして何か話してたかな……と思い、確認する。


「私が湊を振ったこと、話したんだっけ?」

「……は? …………はああぁぁぁ!?」

「う、え? 声が大きいよ、甘ちゃん」


 口をパクパクさせてお魚みたいだね甘ちゃん、白ぶどう飲みたいのかな。

 そう思い手渡すと勢いよく飲み干された。あれ、ちょっとだけだと思ったんだけど。


「ば、バッカじゃないの!? 何で!? 他に好きな男子いたの!?」


 甘ちゃんはポニーテールを揺らしながら珍しく声を大きくする。

 好きな人? なんでそんな話をしているのか。


「……? いやいるわけないじゃん」

「はああぁぁぁ…………」


 頭を抱えて、本当に小春はバカなんだねと盛大なため息をついた。

 私が甘ちゃんと友達になってから初めてレベルの盛大さだったんだけど。


 よく聞きなよ? と真剣な顔になる甘ちゃん。ごくりと私の喉も鳴ります。


「あのね、それ『恋』っていうの」


「こい?」


 こい、コイ――『恋』。

 それはつまり、湊が私に持っていた感情で、キスとか――そ、それ以上の事とか、したくなるというアレ……で。


「…………ぁ」


 ストンと何かが――――落ちた。


「……ぇ、あ、れ。ちょ、ま、待って……み、見ないで…………」

「うわぁ、顔真っ赤。こういう事になるんだ……人が恋に落ちるところ初めて見たかも」


 あ、わ、私……私、湊の事――、


「湊クンが?」

「銀河一……大好き」


 ――――湊の事が、好き。


「銀河一と来たか、ごちそーさまでーす」


 シェイクに意識を戻す甘ちゃん。

 しかし私の頭の中にはそんな情報入ってこない。


「み、みなと、みなと。みなと? ……みなとみなとみなとみなとみなと」

「やば、なんかブルブル震えてるし。キャパ超えてぶっ壊れちゃった」


 この感情の名前は『恋』。その言葉を大切に大切に……包み込む。


 湊が好き、好き。好き好き。大好き。愛してる。

 湊に会いたい。湊の声が聞きたい。

 湊の望むことを何だってしてあげたい。


「おーい? 湊クンもいいけど甘ちゃんもいるぞー?」


 下から覗き込む甘ちゃんが視界に入り、意識が現実に戻される。


「……ぁ、ごめん、大丈夫。うん、もう大丈夫」

「ほんとに? いつものめんどくささが無いよ? ほんとにだいじょび?」


 いつものめんどくささって何だろう。

 というか『湊クン』とは。今更ながら気になり出す。


 何故か、私の目から光が消えた気がした。


「甘ちゃんさ。湊のこと『湊クン』って呼んだよね? なにそれ、呼んでいいよって湊に言われたの? 私に隠れて仲良くしてるの?」

「めんどくさ! あーごめん話したことも無い湊クン! 私はモンスターを生み出しちゃったかもしれない!」


 そんな事より『湊クン』とは? ちゃんと話して欲しいんだけど。

 甘ちゃんはその後少しだけ静かになり、何かを思いついたように口を開く。


「あ! 『湊クン』だ!」

「え!? ど、どこどこぉ……?」


 サッと前髪を抑える。どこかな? どこにいるのかな……?


「嘘だよ」

「は?」


 私は殺意の目を甘ちゃんに向けた。それは彼女と出会って初めてのことだった。

 あぁ、恋は盲目って多分こういうことなんだ。くっつきたいな、付き合いたいな、湊とお付き合いしたいなぁ。


 あ、でもそんな大好きな湊を私が振ったんだよね。……。…………。


「うわぁ! いきなり机に頭を打ちつけるなぁ! あ! 店員さん……だ、だいじょぶなので……!」

「こ、ころっ殺してくれぇ……っ! 私を出来るだけ苦しめて殺してくれぇ……っ!!」

「お前いい加減にしろぉ! どんな初恋だよぉ!!」

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