第27話
「奏汰、くん……」
しかし、時すでに遅し。
廊下に出た時にはもう、彼はずっと遠くにいた。
もはや声を掛けられる距離ではない。なら、大声で叫ぶ? 流石に恥ずかしくて、できなかった。
そうして自問自答を繰り返し、階段へと向かう彼をただじっと見つめていると。
彼が走り去った無人の廊下にヒラリ、ヒラリ。一枚の小さな紙が舞い落ちた。
「あっ!」
「落としも、っ……」
まだどこか緊張しているからか、呼び止めようとするも、すぐに途切れてしまう。
それに既に彼はもういない。虚しいままに時だけが過ぎていく。
コツ……コツ……コツ……、カサッ。
そんな中一人、彼が落としていった小さな紙切れを拾い上げた。おそらく時刻を確認しようとスマートフォンを出し入れした際、ポケットから飛び出てしまったのだろう。
「これ……は?」
定期券ほどのサイズであるその紙には、赤字で大きく「ルーム料金20%オフ」と明記されていた。さらに文面の最後には、「有効期限:7月3日」と記載がされている。
彼が残していったモノ。それは今日まで使用可能な、カラオケ店の割引チケットだった。
「あっ、いたいた!」
「ねえねえ神宮寺さん! この後みんなでカフェにでも寄ってかない?」
ちょうどその時、教室からスクールバッグを肩にかけた佳奈が声を掛けてきた。
慌てて振り返ると、そこにはいつも仲良くしているめぐ美と響子の姿も。
「ああ……はい。いぃ、ですね」
「じゃあ決まりっ! で、どこのカフェ行こっか」
先導する佳奈が早速、めぐ美たちに行き先を相談し始める。場所はまだ未確定らしい。
「神宮寺さん、どこかおススメのお店知ってる?」
「あっ、でもでも、高級な店はダメだよ。ウチラでも気軽に行けるレベルでさ!」
「もう……またそんなこと言って」
予めこちらの反応をわかっていたかのように冗談交じりに話す佳奈に対し、響子たちがツッコミを入れる。
彼女への返答を思案しながらも……。私は例の紙切れへと再び視線を流していた。
どうして彼は、カラオケの割引券なんか……。
こう言うと失礼かも知れないけれど、その見た目からはとても想像ができなかった。
それにカラオケって、歌を歌う場所よね。
―――っあ!
歌を歌う? 歌うのが好きってこと?
奏はバンドのヴォーカルで。
……ってことは。
そうやってまた、強引に結び付けて。
もう。本当にどうしちゃったんだろう。
脳内論戦をひたすらに繰り返しつつ、それでも消えようとはしてくれない胸騒ぎ。
やっぱり……。
もぅ……ダメ。
気になって気になってしょうがなかった。どうしようもなかった。
だから。
確かめたい。
「あ、あのっ!」
「おっ、神宮寺さん。どこかイイ店でも思い出した感じ?」
「わ……わたくしっ。ココに行ってみたいです」
「え、どれどれ」
佳奈を含めた三人が差し出された紙を凝視する。
「ええっと……カラオケ? これ、カフェじゃなくてカラオケだよね?」
「っ、はい」
「ですので、カフェはまた今度にして。今日はココへ行くのはどう……でしょうか」
自分でも何を言い出しているのか分からなかった。けれど。それでも知りたい、突き止めたいという衝動が言葉となり溢れ出す。きっと彼は今、この場所にいるはず。
「でもココさ、電車に乗って行かないとだよ。ちと遠くない?」
「では、わたくしがご、ごちそうします! なのでどうでしょうか」
「どうしても今日、行きたくて」
「え! いいの? んじゃあ、いこいこっ!」
「ちょっと佳奈、あんたってばもう」
真っ先に賛同する佳奈。一方でめぐ美と響子は佳奈に再度ツッコミを入れながらも、「神宮寺さんがそこまで言うなら」「いつもの駅前も正直飽きてきたし、たまには目新しい街まで出てみるのもいいかも」と言い、「うん、行こっか」と最終的には同意してくれた。
確証はない……だけど。
そうして一縷の可能性にすがる思いで、私は友人と共に校舎を後にした。
「いらっしゃいませ」
その後私たちは、例のカラオケ店へと到着。
「では、こちらの受付用紙にご記入お願いします」
「はーい! じゃあここはあたしが書いてあげるね!」
「あ、ありがとうございます……」
本来なら誘った自分が率先すべき所を、佳奈が代行しペンを取る。
じつは私自身、カラオケに行くのは人生初だった。
「ウソ!?」「ホントに?」などと、到着するまでにビックリされたりもしたけれど……「じゃあ神宮寺さん、ずっと行ってみたかったんだね」と解釈され、かえって意欲的になる三人。本当の理由は別にあったけれど、ひとまず調子を合わせ「……はい」と頷いた。
「ハッ!」
「神宮寺さん? どうかした?」
「えっ? あぁ、いや……。べ、別に、何でも無いです」
くしゃみが出そうになったと誤魔化し、どうにかその場を濁す。
でも、実際は違った。
一縷の可能性――その片鱗は、すぐに見つかった。
受付表一覧。私たちが記載する枠の二つ上。その氏名欄には「ヒラカタ」の四文字が。人数欄には「1」の数字、性別欄には「男」に〇、そして年齢欄には「16」との記載があった。
彼だ。奏汰くんだ。間違いない。
絶対にはもう、彼としか考えられなかった。
「お部屋は向かって右側、105号室になります」
「じゃあみんな、行っくよー! ほらほら、神宮寺さんも」
「……はい」
指定の部屋へと向かうも。
もはや「歌う」という主目的は、既に上の空だった。
利用時間は二時間。部屋に着くと早速、めぐ美がドリンクを注文し、佳奈と響子がデンモクで送信予約を入れていく。
正直歌唱力に自信は無いけれど、歌うこと自体に特段抵抗は無い。デンモクを受け取った私は、大好きなロックでは上手く歌いこなせない、それに皆も知らないだろうと判断し、ひとまず歌いやすい大衆向けのポップスを選曲した。
「すごーい、神宮寺さん上手だねっ!」
「……ありがとう、ございます」
「でもでも、あたしだって負けてないから!」
そう言ってマイクを手に取る佳奈。自分の歌唱力は可も無く不可も無くであると自覚している。だから決して上手ではなく、むしろ褒め上手だと思った。
カラオケ初体験であるからなのか、拍手をし褒めてくれる三人。みんな優しい。
楽しむ佳奈たちを見つめながら、私は思った。高校二年生にして初めて、同級生の友人と年頃の遊びをしている、と。一年の頃には決して叶わなかった体験だった。
時間が経つにつれ、室内の盛り上がりは順調に醸成されていく。初めてのカラオケは想像していた以上に楽しい。――が、その間にもずっと、頭の片隅に残る彼の存在。
「すみません。ちょっと、お手洗いに」
隣に座っていためぐ美に言付けを残すと、私は席を立った。
が、向かう先は全くの別。
目的の部屋は「114」号室。受付時、彼の記入欄の横にスタッフがなぶり書きしたであろう部屋番号をずっと記憶していた。
こんな事は良くない。
わかってはいるのに……。
逡巡している間に。気づくと既に、目的の部屋のすぐ傍まで辿り着いていた。
扉の中央部、透明な箇所にチラリと視線を流すものの、彼の姿は見えない。というよりちょうどガラス張りの部分に、目隠しみたくジャケットが掛けられている様子だった。
目視では不可能。だとしたら。
「歌声」で、確かめて見れば。
さらに一歩、近づく。耳を澄ましてみるものの、店内のBGMに妨害され声がうまく聞こえない。
その後三分、五分と待ち続けるも……声はおろか伴奏や振動すらも感じない。
なぜ? どうして? 歌わずに、室内で何か作業でもしているのだろうか。
それともトイレ? だとしたら、どうしよう。こんな所を見つかってしまったら……。
思索は焦燥へ切り替わり、私は軽いパニック状態になってしまっていた。
「ほい」
「ひゃあっ!」
「神宮寺さんそこに居たんだ。どうしたの? 全然帰ってこないから、みんな心配してたんだよ」
「え? あ、ああ……すみません」
「じつはその、ええっと……。へ、部屋番号がどこだったか、忘れてしまいまして」
「えっ!? もう神宮寺さんってば。105だよ。ウチら105!」
「頭脳明晰な神宮寺さんでも、おっちょこちょいな所あるんだね、ハハハッ」
「ほらほら、みんな待ってるから早く戻ろっ」
「……は、はい」
――いったい、何をしているのだろう。
居合わせた響子と共に部屋へと戻りながら。自分のやっている一連の行動を客観的に見て、ただただ虚しい気持ちになった。
きっとライブが終われば、この胸の
うん……そうよね。
そしたら、ライブの感想を話しに行こう。
これなら話題にも事欠かなくて、気まずい空気も生まれない。
うん。うん。
念入りに何度も首肯し、長かった空想に区切りをつける。
こうして、結果的に――。
彼とは一切会うこともなく、私はその日を終えた。
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