第4話

「ひどいな。三島さん。こいつの味方しちゃって。おれの味方してくださいよ」


「味方って……」


 少し拗ねたような声色に心臓が跳ね上がった。


「ほらほら。いいから。片づけて。今晩は遅いし。なにか買って帰るからね」


「また~? ってかさ。春介が夕飯当番なんだから。こんな遅くまで居残りしないで夕飯でも作ってなさいよ」


「おれだって忙しいの。議会の時期は、どこも一緒」


「また~。平なんだから、少しくらい融通効くくせに。夕飯作りたくない言い訳だ」


 天沼さんが腰を上げて帰り支度をし始めたので、おれは、はったとして声をかけた。


「すみませんでした。お疲れ様でした」


 退室しようと思ったのだ。すると二人はおれを見て笑顔を見せた。


「これから朝まででしょう? 三島さん、お疲れ様です」


「お疲れ様でした」


 二人が自分たちの会話に戻るのを聞きながら、おれは副市長室を出る。廊下は非常灯の光だけで、しんと静まり返っていた。


 ――見てはいけないものだったのだろうか? 夕飯当番だって? それって……一緒に住んでいるってこと?


 覚束ない足取りで暗い廊下を進む。


「『ひな』って……名前? 『春介』って名前……」


 二人は確実に親しいのだ。そして一緒に住んでいるのだ。


 妄想しているだけでいいのか?

 自分は天沼さんに対して、『どうしたい』――?


 脳裏には彼の笑顔が浮かぶ。


『あいつ』

『こいつ』


 親しい間柄。


 ――これから二人はどうするの? 一緒に帰るのだ。


『今日なに食べる?』


『この時間だと、コンビニしかないな』


『じゃあ、コンビニにしようか。でも、食事どころじゃないな。今晩は……』


『あ、ひなは本当にいやらしいんだから。おれのこと食べたい?』


『ち、違うし。別に』


『いいよ。おれ。ひなだったら――』


 あの『春介』は、きっと二人きりになった瞬間、天沼さんを引き寄せて抱きしめるんだ。そして唇を寄せる。


 伏目がちだけど、嬉しそうに頬を赤くして、天沼さんはその口づけに応えるにきまっている。


 ――天沼さんの舌の感触ってどうなんだろう?


 男だから固いのかな。唾液を絡ませて、ねっとりとしたキスをするんだ。天沼さんの唾液だったら飲んでしまいたい……。


 口の中を味わいながら、天沼さんの躰の隅々まで撫で回したい。首筋に触れて、鎖骨から、肩へ。腕をずっと降りて、指先一本一本まで。


 彼の中に入り込んだら、温かくてたまらないんだろうな。自分で握ってみても虚しいだけじゃないか。天沼さんの中でドキドキして、そして思い切り出してみたい。


 そんな妄想会話が脳裏に流れて、顔が真っ赤になる。


「い、いかん。なんだ。おれは。どうした、おい! しっかりしろ」


 頬を抑えて、熱くなりそうな下半身を抑え込む。


「うう……。一番、卑猥なのはおれだろ~……」


 内心泣きそうになった。だって、さっきの天沼さんは、いつもの天沼さんじゃなかったんだ。


 あの『春介』って男といる彼は、笑みがこぼれて、本当に嬉しそうに瞳を細めていた。


 艶っぽくて、あれは……エロいっ!


 あの笑顔をおれにも向けてもらえないものなのだろうか。

 

 『春介』との距離も自然と近かった。あれはただの関係ではない。


 ムリだ。

 だっておれは他人だ。

 他人同士。

 そして他人ではないあの二人の間に、おれが入る余地はない――絶望的だ。

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