なんてことない、いつかどこかであったかもしれない話
七転
第1話
年末は静かな中にも高揚がある。燃え上がるようなクリスマスが終わった後には、落ち着いた凪が香る。
「お雑煮、食べたいなぁ」
形のいい唇が紡いだその一言から、俺たちの年末年始は始まった。
時は12月のはじめに遡る。
彼女とワインに舌鼓をうっていた俺は、消え入るつぶやきを聞き逃すことは無かった。
「じゃあ俺が作るよ」
そう意気込むと、彼女は驚いて真っ赤な唇の端を重力に逆らわせる。
ありがとうと微笑んだ顔は、酔いが回ってたせいかいつもより綺麗に見えた。
彼女は俺と同じ社会人1年目だ。年末はぎりぎりまで、年始も1月1日から仕事があるため実家に帰れないらしい。
そんな彼女と、俺は年を越すことにした。
12月31日の夕方、あの子の家目指して静かな街を泳いだ。最寄り駅に着くとチャットを飛ばす。待ちきれないらしく、電話がかかってきた。
「お雑煮の具はなににする?おもち、人参、大根、関西だから白味噌にしないとね!」
楽しそうに話す彼女の声は、冷たい風に晒された心を溶かしていく。
家に着くとコートを着て準備万端な彼女が待っていた。
財布とスマホと、それとマフラーにくるまれた可愛い生き物を携えて、俺たちはスーパーへ向かった。
1月1日に仕事な彼女は、お弁当を持っていくらしい。どうせお雑煮もつくるならと、お弁当の材料を買い物かごに詰めていく彼女は、期待を込めた目でこちらを見ていた。
材料を買い終わると早々に部屋へと足を向ける。
レジ袋は2つ、彼女は俺の手からひとつもぎ取ると楽しそうに笑った。
「2人で持てばいいじゃん〜」
そう言うと俺の左腕をとった。
彼女の声がいつもより近い距離で聞こえる、紅い唇が愉快に踊る。
まだ低い月が、綺麗だった。
家に着くと彼女はいそいそとこたつに潜り込んだ。
ここからは俺の出番だ。先に年越し蕎麦という名の晩御飯を準備する。一人暮らしのキッチンはそこまで広くない。
たまに彼女はこちらに歩いてきて、洗い物だけしてトコトコとこたつへと帰っていく。前世は犬だったんだろうか。
晩ご飯を食べ終わると、そのままお雑煮の準備に取り掛かる。新年はじめに彼女の口に入るものだからと、いつもより丁寧に包丁を使う。
お弁当用に玉子焼きを焼く俺を、彼女は鼻歌交じりに見ていた。なんで付き合ってないんだろう。
完成したお雑煮とお弁当を見て、彼女は歓声をあげた。夜も遅いのに……お隣さんに迷惑にならないといいけど、なんて言いながら、俺は口角が上がるのを止められなかった。
踊り出しそうな彼女をなだめながら、お寺へ行く準備をする。年越しの瞬間は外ですると決めていた。寒がりな彼女はダウンジャケットを手に取ると、何かを決意したかのようにクローゼットへと戻した。
「せっかく隣歩くんだからかわいい服着たい」
そう言うとロングコートを着て、夕方と同じようにマフラーと手袋を取り出した。彼女は、かわいい。
部屋から2駅、23時過ぎにお寺に着いた。終日運転してくれている交通機関には頭が上がらない。
お寺の境内に乱立する出店に並んでおでんと熱燗を買う。
寒いからと半分以上も奪われた熱燗は、口をつける時にはもう温かった。
ベビーカステラの列に並んでいると除夜の鐘が鳴り、0時を告げる。
右手におでんを持ちながら居住まいを正して、あけましておめでとう、今年もよろしくと彼女が言った。
その不釣り合いにも綺麗な姿勢に笑ってしまった俺を見て、彼女は頬を膨らませた。
今年も、今年こそよろしくと返すとふっくらした唇は、半月へと形を変えた。
高く昇った月は相変わらず綺麗で、同じ色したベビーカステラは甘かった。
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