第2話「東京への道」
春なのに、家の中は秋のように感じられ、葉が色づく季節のようだった。母と私はリビングでそば茶を飲んでいた。二人とも黙っていたが、今日は次の休暇まで会えない最後の日だと分かっていた。しかし、どちらも別れを切り出すことはなかった。家には秋が訪れていたが、心には春が咲いていた。今日はついに、親の家を出ることができた。東京の大学に合格したため、引っ越しせざるを得なくなったのだ。
「着いたら気をつけるのよ。女性に気をつけて、節度を守りなさい。いいわね、ダイゴ?」母は溜息をつき、少し微笑みながら氷を破るように話し始めた。その笑顔には痛みを抑えているのが分かった。「息子が家を出る姿を見るなんて、信じられない。小さい頃が昨日のことのようよ」
「母さん、もう僕は大人だよ。今日は僕が初めての部屋を借りるための旅立ちなんだから。それも、ルームシェアすることになるけど」
「それでも心配よ」
「大丈夫だよ。ユートさんはしっかりしているし、僕が東京で勉強できるように色々と手配してくれたんだ。それに、自分の国の都市も知らずに外国で生活できるわけないだろう?」と笑いながら時計を見た。
「それじゃあ、行くね。休みになったら必ず帰ってくるよ、母さん!」そう言いながら最後の抱擁を交わした。
「元気でね、ダイゴ…」
母の言葉を聞き、僕はただ頷いて微笑みながら家を出た。結局のところ、何が最悪になり得るのだろうか?
列車の窓から外を眺めながら、風景が変わっていくのを見ていた。今まで見慣れていたのは果てしなく続く緑の田んぼや家の周りの丘陵地帯だけだった。今、東京のコンクリートと輝く明かりが徐々に現れていた。東京は眠らない都市で、音や人々、そして光で溢れている。静寂に包まれた故郷とは全く異なる場所だ。
6歳の頃を思い出した。野原で兄や友達と遊び、足元に広がる新鮮な草の香りを感じていた。あの自由な感覚が、まるで永遠に失われない幸せのようだった。それが遠い昔のことのようで、今の僕はそれから遠く離れた所にいるのが信じられない。
「林!」幼馴染のユートが隣の席から声をかけた。心配そうな表情を浮かべながら、彼が言った。「もうすぐ着くよ。東京での生活、色々な意味で大変かもね。故郷とは違うから」
僕は窓を見たままため息をついた。ユートの言う通りだった。田舎での生活はシンプルで穏やかだった。東京はすべてが速く、騒がしく、人で溢れている。こんな広大で見知らぬ場所で、僕はどうやって自分の居場所を見つけられるのだろうか?
列車が静かに止まると、腹の奥がぎゅっと締め付けられた。これは僕の東京での初日で、田舎での生活を捨てる覚悟がまだ固まっていなかった。僕たちは列車から降り、駅の出口へと向かう人々の波に流された。東京の空気は活気に満ちていたが、不安も漂っていた。果たして、僕はここで順応できるだろうか?
「さぁ、林、もうすぐだよ。」ユートが自信に満ちた笑顔で言った。「アパートは近いから、すぐ着くよ」
引っ越しはあっという間だった。僕たちはモダンな建物の前に立っていたが、想像よりも小さかった。壁が近く感じられるような場所で、常に明かりが輝き、街の音が絶えないような場所だった。胸に不安が走った。この新しい場所で何が待っているのか分からなかったが、選択肢はなかった。
ドアを開けると、中には意外にも人がいた。僕たちと同い年くらいの、黒髪の女の子が興味深そうにこちらを見ていた。彼女の目には驚きと疑問が入り混じっていた。
「こんにちは?」彼女は少し恥ずかしそうに言った。「渋崎叶子です。よろしくお願いします」
しばらく沈黙が続いたが、僕が反応を示すと彼女も少し緊張が解けたようだった。
「僕は林大悟。そして、こっちは黒崎ユート」
会話はぎこちなかったが、少しずつ彼女も僕も緊張が解けていった。僕は思い切って、重要な確認をした。
「ごめん、渋崎さん、君はここで彼氏と一緒に引っ越しを手伝っているのか?」
渋崎さんはじっと僕を見つめ、不思議そうな顔をした。
「違うよ...」と彼女は戸惑いながら答えた。「ここに住むのは私なの」
僕は目を丸くして頭をかいた。
「女の子と住むの?大家さんは男と住むって言ってたのに、ユート!違うよね?」
ユートは退屈そうに笑いながら、溜息をついて僕を見た。
「そう言ってたけど、どうやら相手が変わったみたい。彼女もここに住むらしい。仕方ないよ、大悟」
僕は信じられない思いで目を見開いた。どうして女の子と一緒に住むことになるんだ?頭の中で色々なことが駆け巡り始めた。
「どうしよう…彼女が僕に恋してしまったら!」僕は半ば叫びながら言った。
それまで穏やかだった渋崎さんが、突然片眉を上げ、腕を組んだ。
「そんなわけないでしょ、バカ」彼女は皮肉な笑みを浮かべて言った。「あなたに魅力なんてないし、私は彼氏がいるの」
僕の顔は真っ赤になった。なんてことを言われたんだ?
「僕は恋人にはなれないよ」と僕は恥ずかしさに耐えられず言った。
渋崎さんは疲れた顔をして、一歩近づいてきて目を光らせた。
「そんなこと絶対にないわよ、クソ野郎!」と彼女は怒鳴った。
隣でユートが笑いを堪えられず、渋崎さんの強気な態度に笑い転げていた。僕は完全に黙り込んでしまい、この場がいつからコメディになったのか分からなかった。
渋崎さんは深呼吸して落ち着くと、「今年は長い年になりそうね」と言った。
渋崎さんが部屋に入っていくのを見送った後、僕はただ窓から外を眺めて笑った。二人でこの空間を共有するのは不思議な感じがするが、こうあるべきなのだろう。東京に来たのは勉強のためだった。故郷を思い出にするわけにはいかない。東京は僕に何か特別なものを与えてくれるかもしれない。
準備を進めながら、ノスタルジーと期待が入り混じった感情を感じた。窓から外を見て、故郷を思い出させる何かを探したが、東京は僕の村とは違った。すべてが新しく、恐ろしかったけど、同時に興奮していた。
「東京の景色が気に入ってるみたいだね」とユートが言った。僕は彼に向き直り、少し微笑んだ。
「まさか、こんなところで終わるなんて思わなかったよ、東京でね」僕は人工の星のように輝く光を見つめながら言った。「でも、この新しい生活がどうなるか楽しみで仕方ない」
ユートが肩を軽く叩きながら近づいてきて、微笑んだ。
「これが始まりさ、林。東京にはまだまだたくさんのことがあるんだ。それに、ここでもきっと君が探しているものが見つかるよ」彼はにっこりと笑って、「ただ目を開いて、流れに身を任せればいいんだ」と言った。
「分かってるさ。ただ…」僕は夜の風に顔を当てながら街を眺め、微笑んだ。「ただ、これが僕の最初の大きな一歩だって思うだけなんだ」
「最初の一歩、だって?」ユートは少し混乱したように僕を見つめていた。
「その通り!」僕は手をピストルの形にして、「バン!」と小さな音を立て、まるで競馬のスタートを切るように言った。「まずは東京を制覇して、そのあと世界を征服するんだ。海外で暮らして、大成功を収めるんだ!」
それを聞いたユートは笑い出し、「本当にいつも無邪気だな」と言った。
「いや、本気だから。飛行機で見送ってくれる時に、泣きながら僕に言われるよ、『お前こそ無邪気じゃないか』ってね!」
夜が更けていく中、街は活気に満ち溢れていたが、僕の心は静かに、故郷の田園風景と、もう戻れないあの涼しい風を思い出していた。しかし、深く考えれば、この道を選んだのは自分自身で、いつか東京もまた僕の家となることを信じていた。
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