雪に透けるかすかな燈

かいまさや

第1話

 目には白んだ息がかかって、前も後ろもわからぬままに僕と君は雪路を進んでいた。消えかけの誘蛾灯をたどりながら、暗く染まる天上につり下がった明星をめざして、深雪に囚われまいと不器用に脚をもがきうごかしていると、そこに木造の小さな教会があらわれた。凍てつく夜寒にどうにかなりそうになっていた僕は、目も合わせないで君の手を引くと、君は声も出さずにそれに従ってくれた。

 静かにとびらをあけたつもりだったが、相当古くなっている様で低くかなって音を立てるので、少し緊張したように肩を震わせたが、教会のなかは想像しがたいほどに落ち着いた雰囲気で満ちていた。何よりとても暖かくしてあって、僕と君は大きく息をなでおろすと、近くにあった低い長椅子に腰を下ろした。耳をすますと前方から微かに讃美曲が聴こえてくる。僕たちをのぞくと、来客は静かに前方で座っている老夫婦のみであった。広間を二つに分けるようにとおる赤いカーペットは毛並も粗く処々はげていて、その両側に5、6並んでおかれている檜の長椅子は漆が擦れて少し原木が露呈している。天井からは絢爛とは到底言えないが大きなランタンが暖かく、広間全体をつつんでいて、僕たちの心すらも氷解してくれる。黒縁の小窓からは降りはじめた細雪の様子がのぞける。前をみると、祭壇上の聖母像が、背後のステンドグラスから淡く透る光に照らされて佇んでいて、隅っこの管の束を伸ばしたオルガンの音色に耳を傾けているようだった。長旅にすっかりくたびれていた君は、隣でうたた寝しはじめたので、僕は自分の外套を君にかけてから、祭壇のある前方に進んでみた。

床と革靴の当たって鳴る音が心地良く感じたので、わざと歩幅を小さくしてみたが、狭い部屋だったのですぐに壇下までついてしまった。木目をみせたままの聖母はとても朗らかな表情のまま、前で優しく両手をにぎってささやかに我々の幸せを願っているようである。背中のステンドグラスからもれる光のせいで、まるで聖母は光の生絹を身体に纏ったようにみえ、周りの細かな埃も煌いてみえるので、なにか僕を神聖で敬虔な気分にさせる。右隅に目をやると、小ぶりなオルガンに腰を曲げて座る老紳士が穏やかな曲調を奏でながら、目をとじているようにも見える。僕が前を向きなおすと、少しだけ聖母が嬉しそうな顔つきになったように感じたが、それはきっと僕の気のせいだろう。

 振りかえって遠目に君をみつけると、コクコクと頭を傾けながら深く背凭に寄りかかって、すっかり居眠ってしまった様子である。最前列の老夫婦は二人とも目をとじたまま、ただ互いの手を重ね合わせて静かにしているだけであった。彼らが祈っているのか、オルガンに耳を傾けているのか、はたまた眠っているのかすら分からなかったが、僕は彼らを起こさぬよう、相変わって忍び歩くことを心がけて、君の隣の席に戻った。前の老夫婦を見てみれば、婦人は頭を紳士の肩に任せて、紳士も彼女の方へ身をよせてそれに応えていた。それに気がついた頃、君もまた寝返ろうと僕の肩に頭をぶつけて目が覚めたようなので、僕は君の寝ぼけた表情に微笑みをこぼした。君は少し焦った様子で、実は頬を赤く染めていたのかもしれないが、セピア調におおわれたその場所では、それが定かであるかは確かめられなかった。君は不貞腐れたように顔も合わせず僕の外套を返してきて、僕がそれを受け取ると、席を立って、そそくさと後ろの方まで歩いていってしまった。僕は温もりの残った外套に袖を通してから、君の方へついていった。祭壇の方を振り返ってみると、もうすでに老夫婦の姿はなくなっていて、静まって暖かな空間に聖母の奏でる鎮魂曲だけが微かに響いていた。君は「どうしたの」と言わんばかりに不思議そうにして僕の顔を覗くので、わずかに首をふって僕は「またこよう」とつぶやくと、君は小さく相槌をうった。そして、僕はまた君の手をとってその礼拝堂をあとにした。

 教会のとびらがとじるのを見送ったあと、僕と君は隣り合って歩き始めた。するとすぐに、君は僕が泣いていることに気がついた。目尻から洩れつづける滴は、頬を伝ってまだ少しだけ暖かい。僕はその訳がわからずに動揺して、雪の上に腰を落としてしまった。僕のぼやいだ世界には、聖母のように笑みを浮かべる君が写ってみえて、まるで静かな空が仄かな燈に照らされたように思えた。

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