お花の巫女

マキシ

葵と桔梗

【語り手】

 時は鎌倉、弘安の頃。鎮西ちんぜい筑前国ちくぜんのくに※外れの海沿いに小さな村がございますが、そちらから程近いところに古いおやしろがございます。

 そのお社の片隅にございますお部屋のひとつに、文机に向かって座しておられるお若い女人がいらっしゃいます。

※今の九州、福岡県の辺り


若い女人:

 「おや? お前様。浜辺で倒れていたと聞いたけれど、もう起き上がって大丈夫なのかい?


 ……そう? お前様が大丈夫ならいいのだけれどね。

 あたしの名はあおいだ。お前様の名は?


 ……涼やかな、いい名だね。お前様は村の人ではないね? 何、その名の響きでそんな風に思っただけだよ」


【語り手】

 そのお部屋の前に、少々ご年配のお方が立ち寄られます。


年配の方:

 「葵、ここに居たのか。じきに夕拝の時間だぞ」


葵:

 「はい、とと様。すぐに参ります」


【語り手】

 ご年配のお方は、きびすを返されてお社の奥へ立ち去られました。


葵:

 「……驚いたかい? 今のはあたしの父で、このお社の神主なんだ。このお社は二百年程前からあるらしい。あたしはお社の巫女ってわけさ。

 ただうちでお祀りしている神様は、八百万やおよろずには数えられていないらしいんだ。うちの一族は神様の末裔だとか言う話もあってね。色々厳しいシキタリなんかがあるのさ。全くうるさいったらなくてね……」


【語り手】

 神主様が去られた後、巫女様らしいお若い女人がお部屋の前に参ります。


巫女らしい女人:

 「姉様? もう夕拝が始まります。お急ぎくださいませ」


葵:

 「先に舞殿ぶでんに行っててくれるかい。あたしもすぐにくから」


【語り手】

 その女人は小さなため息を一つつかれて、お社の奥へ去って行かれます。


葵:

 「今のはあたしの妹でね。桔梗ききょうって言うんだ。

 美人だろ? あたしなんかより、全然さ。うちの一族には神様の力が伝わっているって言うんだが、あたしはさっぱりでね。妹はまあ、こんな姉貴なんぞより余程出来がいいって評判なんだ」


【語り手】

 葵様は立ち上がられて、手早くお着替えを始められます。


葵:

 「さて、もう行かないとね。

 夕拝ってのは、夕刻にやる祝詞のりとまいを神様に捧げる祭事のことさ。遅れると父がうるさいからね」


【語り手】

 葵様はお着替えを終えられると、お部屋を出て舞殿に向かう渡り廊下を小走りで行かれます。

 葵様が舞殿にお入りになると、浄衣じょうえ姿の父君と白小袖に緋袴姿の桔梗様が、既に夕拝のご準備を終えられて葵様を待っておられました。父君は葵様をちらりとご覧になって咳ばらいを一つなさいますと、祭壇の前まで進まれて御幣みへいを構えられます。


神主: 

 「けまくもかしこ大神おほかみ

 御禊祓みそぎはらたまひしときせる祓戸はらへど大神等おほかみたち

 諸諸もろもろ禍事罪穢有まがごとつみけがれあらむをば

 はらたまきよたまへとまをこときこせと

 かしこかしこみもまをす 」  


【語り手】

 神主様が祝詞を唱えられると、それにお応えになるように葵様も祝詞を唱えられます。


葵:

 「ひぃふぅみぃよぉ いつむぅなぁやぁ

 ここのぉとぉ もぉちろぉらぁねぇ」


【語り手】

 葵様が祝詞を唱えられるのに合わせて、桔梗様が舞をお舞になられます。


桔梗:

 「……」


葵:

 「しぃきぃるぅらぁねぇ ゆぅゐつぅわぁぬぅ

 そをぉたはぁくぅめぇかぁ うぅおぉゑぇ

 にぃさぁりぃてへぇ のぉまぁすぅ

 あぁせぇえぇほぉけぇれぇ……」


【語り手】

 葵様が祝詞を唱え終えられるのに合わせるように、桔梗様も舞を終えられます。


神主:

 「いまうつつ不思慮ゆくりなく大神おほかみ御門邊みかとべ欲過すぎなん

 つつしうやまおろがたてまつ此状このさまたいらけくやすらけく聞食きこしめせ

 かしこかしこみもまをす」


【語り手】

 神主様が祝詞を唱え終えられると、桔梗様と葵様、続けて神主様が祭壇に向かって深くお辞儀をなさって、夕拝の儀式が終了します。


神主:

 「葵、近頃祭事に来るのが遅いな。気が緩んでいるのではないか? もう少し早く来るようにしなさい」


葵:

 「はい、とと様……」


桔梗:

 「……」


【語り手】

 神主様は葵様にそうお言いになると、そのまま舞殿を出て行かれました。神主様のお姿が見えなくなるのを見計らって、桔梗様が葵様に話しかけられます。


桔梗:

 「あの人でしょ?」


葵:

 「あの人って?」


桔梗:

 「おとぼけけにならなくても……。姉様が晃蔵と岬でご一緒におられるのを見てしまったの」


葵:

 「……」


桔梗:

 「あの岬は村から外れたところにありますから、姉様は『村から出てはいけない』というお社のシキタリをお破りになられたことになります」


葵:

 「桔梗、そのことは……」


【語り手】

 葵様が少々窮したお顔を桔梗様に向けられますと、桔梗様はまた小さなため息をおつきになって言われたのです。


桔梗:

 「とと様にはお話ししておりません。桔梗はそのように野暮ではありませんもの」


【語り手】

 そこまでお話になってから、桔梗様は急にご熱心な表情におなりになって、葵様にお尋ねになったのでございます。


桔梗:

 「それより姉様? 姉様は晃蔵のことをお慕いされているの? お社の下男ではありませんか。巫女の姉様とは釣り合いません」


【語り手】

 そう仰りながら、桔梗様の頬は少々紅潮されておりました。葵様は、桔梗様が岬での晃蔵殿との逢瀬を父君に話しておられなかったことにご安心なされたご様子でお答えになりました。


葵:

 「晃蔵はいい男だよ。村の外のこともよく知っている。釣り合うかどうかは、あたしが決めるさ。

 ……とと様に話さないでいてくれてありがとう。とと様に知れたら、きっと晃蔵が厳しいお叱りを受けるだろうから……」


桔梗:

 「……姉様ったら、ご自分のことより晃蔵のことをご心配なさるのね。そのように晃蔵のことをお慕いなの?

 ね? 晃蔵のどのようなところがよいのです?」


【語り手】

 いつの間にか、桔梗様は身を乗り出して葵様にお尋ねになっておりました。あまりに桔梗様がご熱心なご様子なので、葵様は少々困り顔になっておいででしたが、やがて夢を見るようなお顔になってお答えになります。


葵:

 「晃蔵のいいところか……、そうだね。あたしに話しかけてくれる時の声とか、少し緊張したときの雰囲気とか、気が緩んだときの表情とか、少しうつむいたときに見えるひたいの感じとか、ふと振り向いたときの横顔とか、あの広い背中とか……」


桔梗:

 「まあぁぁぁ! 大変! 姉様は本当に恋をなさっているのね!

 姉様? どのようなお気持ちなのか、桔梗に教えてくださいませ。

 恋をなさった姉様のお気持ちがどのようなものか……」


葵:

 「そんな風に聞かれても困ってしまうけれど……。

 あたしは独りで庭を眺めている時とか、ふとした時に、いつの間にか晃蔵のことを考えていることに気が付くんだ。それで一度それに気付いちまうと、もう何やら胸の辺りが苦しくなって、どうにも落ち着かなくなっちまうのさ……」


桔梗:

 「気丈な姉様がそのようになってしまわれるなんて……。その姉様のお気持ちが、きっと殿方に恋をしたときの女人の気持ちなのですね……。 

 ……それで晃蔵は? 勿論、晃蔵も姉様を慕うと言っているのでしょう?」


【語り手】

 葵様は少し俯かれてお答えになりました。


葵:

 「いいや晃蔵は……、あたしの気持ちには応えられないと言っていたよ。とと様がお許しにならないだろうことは、自分にはできないと……」


桔梗:

 「……晃蔵は小さい頃に両親を亡くして、一人になったところをとと様に拾われたそうですから、晃蔵にとってとと様は恩人なのでしょうけれど……。

 それでは姉様は、晃蔵とのことは諦めておしまいになるの?」


葵:

 「そんなこと……、あたしにだってわからない……」


【語り手】

 その時はお二方ともそれ以上何も言葉にすることができず、そのままお別れになってそれぞれのお部屋に戻られました。


葵:

 「……見てたのかい? なんだい、決まりが悪いじゃないか。

 そうだよ、あたしは晃蔵のことが愛しくて堪らない。でも晃蔵には応えてもらえないんだ……。


 ……それより祭事での桔梗の舞を見ていたか?

 美しいだろう、桔梗の舞は……? あたしはいつも祝詞を唱えながら桔梗の舞に見とれているんだ。あの子は本当に神様の申し子のような巫女なのさ……」


【語り手】

 一方、丁度その頃、晃蔵殿が神主様のお部屋へ参られました。


晃蔵:

 「当主様……」


神主:

 「晃蔵か。どうだ、状況は?」


晃蔵:

 「元軍は既に博多津の湾内にて、幕府軍と合戦かっせん中との報にございます……」


神主:

 「何?! それで戦況は?」


晃蔵:

 「幕府軍は善戦しております。元軍は一旦博多津への上陸を諦め、志賀島しかのしまに陣を敷いたとのことにございます」


神主:

 「そうか……。七年前の元の来襲後、鎌倉殿のお声掛けで鎮西諸将が防塁を築き、防備を固めていたことが功を奏したのだな。しかしその様子では、まだ元の本隊は……」


晃蔵:

 「左様にございます。事由は不明ながら、未だ元の本隊は南宋を出港していないようでございます。本隊が到着すれば、元軍の総数は先の五倍程にもなりましょうが、本隊が到着せぬようであれば……」


神主:

 「此度のいくさしのげそうか……。

 晃蔵、鎮西各地に散っている隠者かくれのもの達を集め、合戦かっせん中の元の先鋒隊と、南宋側から渡ってくるであろう元軍本隊の動きを追ってくれ」


晃蔵:

 「心得ました」


【語り手】

 実はこの村は、その昔鎮西を襲った海賊、刀伊といの一党から逃亡した者達がお作りになったのです。

 これより二百年程遡りました頃、当時鎮西近海を荒らし廻っておりました刀伊の一党が鎮西を襲撃いたしました。しかし彼等は鎮西を守る諸将との争いに敗れ、追い落とされました。


 刀伊の者達の一部には、超常の能力を持つ者達がおりました。その者達は、やむにやまれぬ事情から刀伊に加わっておりましたが、刀伊の一党が鎮西諸侯から追い落とされた際に逃げ遅れたふりをして鎮西に隠れ住んだのでございます。


 彼等は土地の者達と馴染みてこの地に根を下ろし、村を築きました。そしてお社を建立し、特に超常の能力に恵まれた者を神主に据えました。


 また一部の者達はお社を守る為の間者として、鎮西を始めとした日ノ本各地や、時には海を渡り、各地の情勢をお社へ伝えて参りました。お社の神主様は、間者達の働きによって日ノ本各地や、高麗、南宋などの海を隔てた地の情勢にまで通じておられたのでございます。

 その間者達は隠者かくれのものと呼ばれ、各地でのお役目を果たす為、またはお社をお守りする為に、武芸百般に通じていたとも伝えられております。


葵:

 「晃蔵……、ああ晃蔵……。今日もお前に会えなかった……。

 随分会えていない気がするよ。お前は今どこで何をしているのか……」


【語り手】

 幼き頃に神主様に拾われ、隠者かくれのものとしての修練を積んでおりました晃蔵殿は、今や鎮西衆を柱とする隠者かくれのもの達の統率役のようなお立場でございました。

 神主様の命を受けた晃蔵殿は、急ぎ鎮西各地に散っている隠者かくれのもの達と通じ、博多津の湾内で展開している元軍対幕府軍の戦況の他、平素より大陸側の情勢を探っている隠者かくれのものからも元の動向についての報を集めておられました。

 ……そうしてひと月程もした頃の夜半時の事にございます。


神主:

 「元軍の本隊が南宋から出港したと……!」


晃蔵:

 「左様にございます。元の先鋒隊も七年前程の船足ではございませぬが、それでも猶予は幾何いくばくか知れませぬ。この上は、せめてお花の巫女様方を……」


神主:

 「お花の巫女か……。そうだな、あの娘らは村の衆からお花の巫女と呼ばれておる。まさに我らの花よ。何に換えてもあの娘らに危害の及ぶようなことがあってはならぬ。もしものことあらば、あの娘らの母に冥途で会わす顔がないでな……」


晃蔵:

 「御意にございます……」


【語り手】

 葵様と桔梗様は、既に寝所でお休みでございました。


晃蔵:

 「葵様、恐れながら申し上げます。どうかお目覚めください」


葵:

 「……晃蔵か。何事だい?」


晃蔵:

 「一大事にございます。大陸より日ノ本に軍勢が攻めて参りました。葵様におかれましては、急ぎ桔梗様とお逃げいただくようにとの当主様のお言葉にございます」


葵:

 「なんだ、違うのか……」


晃蔵:

 「重ねてお願い申し上げます。どうか……」


葵:

 「目ならとっくに覚めているさ……。逃げるって、今から? お前やとと様はどうするんだい?」


晃蔵:

 「私めは葵様と桔梗様をお連れしてこの地を離れ、お二方をお守りして本土の地へ参ります。彼の地には同胞の隠者かくれのものもおりますので、ご心配には及びません。

 ……当主様はこの地に残られます。村を守られるお役目がございますれば……」


葵:

 「そんな……」


【語り手】

 とと君を置いては行けぬと言い張る葵様と桔梗様を説き伏せて、晃蔵殿はご用意されていた荷馬車にばしゃにお二方を乗せて本土に向けてご出立なされたのでございます。

 その道中、一人の若者が晃蔵殿に近づいて参りました。


若者:

 「晃蔵殿……」


晃蔵:

 「平助か、如何いかがした?」


平助:

 「元の先鋒隊が志賀島しかのしまから撤退したとの報がございました。どうやら平戸沖辺りで、南宋側から来る本隊と合流するつもりのようにございます」


晃蔵:

 「思いの外展開が早い……。一刻も早くこの地を去らねば……」


【語り手】

 そう仰る晃蔵殿に葵様がお声をおかけになります。


葵:

 「待って晃蔵……」


晃蔵:

 「葵様、最早猶予はございません。当主様のお覚悟を……」


葵:

 「いいから待ってくれ、桔梗が泣いているんだ」


晃蔵:

 「!……」


葵:

 「こういう時の桔梗には、話を聞いてやらなくちゃいけないんだよ。頼むから少しだけ時間をくれ」


【語り手】

 葵様は忍び泣く桔梗様を優しく抱きしめられて、幼子にでもするように桔梗様に話しかけられたのでございます。


葵:

 「桔梗……? どうした、怖いのかい?」


桔梗:

 「いいえ姉様……。 桔梗はただ……、桔梗のせいでかか様がお亡くなりになってしまわれたのを思い出しただけなの……」


葵:

 「かか様が亡くなられたのは、桔梗のせいでは……」


桔梗:

 「いいえ、いいえ……。あの日かか様は、桔梗に『想う力』を使えるかお尋ねになったの。桔梗はかか様に桔梗の力を使おうと思ったのだけれど、できなかったのです……。

 かか様は微笑ほほえまれて、気にするなと、この事はお忘れなさいと仰って、お社を後にしてそのまま……」


【語り手】

 事情を掴みかねた葵様は、晃蔵様にお尋ねになりました。


葵:

 「晃蔵? どういうことかわかるか?」


晃蔵:

 「巫女様方の母君は、御身を風に変える『想う力』をお持ちでございました……。

 一族の間では、元を追い払ったのは母君の『想う力』だと伝えられておりますが、母君は元の船団を追い払えるほどの風を起こすことなどできなかったはずなのです。恐らくはかなりご無理をなさって元の船団に『想う力』をお使いになられたのであろうと当主様は仰っておられましたが……」


【語り手】

 桔梗様はご自身の『想う力』についてお話になりました。


桔梗:

 「桔梗の『想う力』では、かか様や姉様のように風になることはできません。その代わり、姉様のような方の『想う力』を『解放』して差し上げることができるのです」


晃蔵:

 「葵様……?」


葵:

 「あたしの『想う力』のこと……、知っていたのか……」


桔梗:

 「桔梗は幼い頃から、どうしても桔梗自身を信じることができないでおりました。でも姉様は、桔梗の舞を美しいと褒めてくださったの……。

 桔梗はいつも姉様の祝詞を聞くのが大好きでした。姉様の凛とした美しいお声で唱えられる祝詞が……。その姉様から桔梗の舞を美しいと褒めていただいたから、桔梗は自信を持つことができて、いつの間にか桔梗にも『想う力』があることを感じることができるようになったの……」


葵:

 「桔梗……」


【語り手】

 桔梗様は意を決してお話になります。


桔梗:

 「姉様は一族の中でも稀なくらい強い『想う力』をお持ちなの。

 夕拝に遅れそうになって舞殿にお急ぎになる時、ほんの一刹那、風になられて渡り廊下をお渡りになられましたね? おまといになっていらした白小袖と緋袴もその身とご一緒にです。

 そのようなことができた者は、これまでの一族でもほんの一握りなのです。その姉様の『想う力』を桔梗が『解放』して差し上げたら、きっと敵の軍勢を追い払ってとと様を……村を救うことが……」


晃蔵:

 「恐れながら……、そのように確証のないお話で葵様のお命を危険にさらすわけには……」


葵:

 「あれを見られていたとは……。しかし晃蔵、とと様や村人達の命が掛かっているのだ。桔梗の言うことをやってみよう」


晃蔵:

 「桔梗様の仰ること……?」


葵:

 「桔梗? よければあたしに桔梗の『想う力』を使っておくれ」


桔梗:

 「はい……。桔梗は姉様の『想う力』を信じております……」


【語り手】

 そう仰った桔梗様は、葵様に向き直って葵様を抱きしめられたのでございます。


葵:

 「桔梗?」


桔梗:

 「じっとなさって、姉様。桔梗の言うことを繰り返して唱えてください」


葵:

 「わかったよ、桔梗。……それでは頼む」


【語り手】

 そうして桔梗様は、力を込めて『解放』の言葉を唱えられたのです。


桔梗:

 「『想う力』は、森羅万象を叶う力!」


葵:

 「『想う力』は、森羅万象を叶う力……!」


 ……ドクン!!


【語り手】

 晃蔵殿と平助殿は、お二方のお姿が一刹那、光を放ったように感じられました。


晃蔵:

 「葵様……」


葵:

 「ああ不思議だ……。あたしがどこまでも広がって、この辺り一帯が全てあたしになってしまったように感じる……。風のそよぎ、木々のざわめき、小川のせせらぎ……、全てあたしの中で起きていることのように感じるよ……。茂みに潜む兎の息遣いまで感じるんだ、頭がどうにかなっちまいそうだ……」


晃蔵:

 「葵様……、お気を確かに……」


葵:

 「心配させたね、大丈夫だよ……。あたしは大丈夫だ。

 それどころか、今のあたしにはできないことなんて何もないかのように感じるよ。何やら神様にでもなったような心地ここちだ……」


桔梗:

 「姉様……」


【語り手】

 そうして葵様は、確信をお持ちになったご様子で仰ったのです。


葵:

 「晃蔵、ここで桔梗を守って待っていてくれ。あたしは大陸から来たって言う軍勢を追い払いに行く」


晃蔵:

 「お待ちください、葵様! それはあまりに……」


葵:

 「いいかい、見てな……」


【語り手】

 葵様がそう仰った途端、葵様のお姿がその場にいたお三方から見えなくなってしまいました。


晃蔵:

 「葵様?」


【語り手】

 晃蔵殿が葵様のお姿を求めて周囲を見回しますと、途端に周囲一里程にもなる範囲の木々が一斉に揺れ出しました。


 ザザザザザァアア!!


晃蔵:

 「!!」


【語り手】

 晃蔵殿が警戒して桔梗様の身を庇われますと、葵様がお姿を現されて仰いました。


葵:

 「驚かせたね。どうだ晃蔵? 信じたか?」


晃蔵:

 「……驚きました。確かにこれ程の『想う力』は聞いたこともございませぬ。しかし……」


葵:

 「晃蔵、村には女子供もいるんだ。かか様のお守りになった村を、あたしにも守らせてくれ……」


晃蔵:

 「それ程までに仰られるならば……。しかし葵様にもしものことあらば、この晃蔵、当主様への償いにこの腹を切らせていただきます。そのことをどうかお忘れなきよう」


葵:

 「本気だね、晃蔵……。わかったよ、気を付けるさ」


【語り手】

 そこまでお話になって、突然葵様はどなたもいらっしゃらないところへ向けて声をお掛けになったのです。


葵:

 「ああ、お前様……。まだそこにいたんだね。

 お前様もこんなところにいないで、そろそろ故郷へお帰りよ。もう気が付いてるんだろ? お前様は海で難破して浜に打ち上げられたが、助からなかったんだ。何か未練があったのかもしれないが、そんなものは断ち切っちまった方がいいんだよ」


桔梗:

 「姉様……、また亡くなった方とお話ししてらっしゃるのね。そのお力も風の『想う力』を持つ方のみの力……」


晃蔵:

 「葵様……」


葵:

 「もう行くよ、晃蔵。桔梗を頼んだよ!」


【語り手】

 葵様がそう仰った途端、再び葵様のお姿がお三方から見えなくなってしまいました。文字通り疾風となられた葵様は、まっすぐに平戸沖を目指されます。


 葵様が平戸の手前、鷹島たかしまの辺りまで来られた時、元の本隊と合流する先鋒隊の船が見えました。葵様は本隊と先鋒隊の合流が終わるまで鷹島の上空でお待ちになった後、上空から海面まで一気に降下されて仰ったのです。


葵:

 「あたしらの国から出ていけぇ!!」


 ゴォオオオオオオオオオオオオ!!


【語り手】

 鷹島近海は稀に見る大嵐に見舞われました。元の船団は実にその大半を失い、本国へ撤退することとなったのです。

 葵様は次々に海に沈む元の船を見て眉をひそめられた後、鷹島を後にされました。


葵:

 「桔梗! 晃蔵!」


晃蔵:

 「葵様! ……ご無事で何よりにございます。

 先に葵様のお姿が見えなくなってから一刻いっとき程しか経っておりませんが……、終えられたのですか?」


葵:

 「ああ、終わった。奴らの船は、あたしがほとんど沈めちまった……」


【語り手】

 葵様はそう仰られて俯かれました。そのような葵様を桔梗様は抱きしめられて仰ったのです。


桔梗:

 「姉様……。姉様の背負われた重荷は、桔梗が半分お持ちいたします……。姉様を戦場いくさばにお送りしたのは桔梗ですもの……。姉様は村をお救いになられたのですよ? ですから涙をお拭きになって……」


葵:

 「……ありがとう、桔梗」


晃蔵:

 「桔梗様の仰られる通りです、葵様は英雄にございますよ。お社へ戻りましょう。当主様もさぞやお喜びになられましょうぞ。

 平助、お前も来い!」


平助:

 「心得ましてございます!」


【語り手】

 そうしてやっと笑顔の戻られた葵様と桔梗様は、当主様のお待ちになるお社へお戻りになりました。

 しかしお社では、当主様がご安心なされた一方、不穏なことを口になさったのです。


神主:

 「未だ信じられぬ……。葵が『解放』されて、元の大船団を沈めてしまったとは……」


晃蔵:

 「当主様、あまりそのことは……」


神主:

 「そうか……、すまんな葵。

 しかしな、元の来襲はこれで終わりとは限らぬのだ。そのように気にしてもおられぬぞ」


葵:

 「あの船団が、またやって来ると仰るのですか?」


晃蔵:

 「左様にございます、葵様。元の首領は支配欲の強い男。そう易く日ノ本を諦めますまい」


【語り手】

 暫く目をお閉じになって考え込まれていらした葵様は、目を開かれてこう仰いました。


葵:

 「それじゃあ、あたしは大陸へ行くよ」


神主:

 「……何を言い出すのだ、葵!」


葵:

 「元の首領とやらが何を考えているのか知らないが、あんなに無駄な人死にはもうたくさんなんだ。あたしは大陸に渡って戦の根源をなくしてくる」


晃蔵:

 「何とご無体な……。とても可能なことではございません」


神主:

 「……いや、一概にそうとも言えぬな」


晃蔵:

 「当主様?!」


神主:

 「今の葵は神も同様の力を持っておる。無体な話も今の葵になら可能やもしれぬ」


晃蔵:

 「恐れながら葵様は、世間をお知りになりません。あまりに危のうございます」


桔梗:

 「……それなら晃蔵が姉様と一緒に行けば?」


晃蔵:

 「それは……」


神主:

 「それは良い考えだ。頼むぞ、晃蔵」


桔梗:

 「姉様? 大陸でのお仕事を無事終えられてお帰りになったら、晃蔵とご祝言ですからね。必ずお帰りになってくださいませ」


晃蔵:

 「桔梗様!」


【語り手】

 神主様と桔梗様にまでそのように言われて困り果てた晃蔵殿が葵様の方をご覧になりますと、葵様は頬を紅らめて仰ったのです。


葵:

 「晃蔵は嫌か? あたしが相手では?」


晃蔵:

 「葵様を嫌などと言う者が居りましょうか……。

 ……私めでよろしければ、何卒宜しくお願い申し上げまする……」


葵:

 「うん!」


【語り手】

 大陸に渡ったお二方がその後どうなったかと申しますと……、それはそれは様々なことがあったのでございますが、その辺りのことを細々と申し上げますより、遥か後の事と成ります、この地のご様子をご覧になられるのがよろしいかと存じます……。

 ……これより七百五十年程も経た頃にございます。


葵:

 「晃一こういちィーー! どーーこーー?」


晃一:

 「お前の頭の上だよ、第十四代葵様よ」


葵:

 「そんなたっかい木に登ってぇ! さてはまた『想う力』を使ったなぁ!」


晃一:

 「ふん! 『想う力』は祭事の時以外使っちゃいけないなんてシキタリ、巫女に対してだけだろ? 俺は男だから関係ないんだよ!」


桔梗:

 「葵ちゃん……、晃ちゃんに何言ったって無駄だよ。筋金入りのヒネクレモノなんだから……」


晃一:

 「うっせぇ、桔梗! 姉貴だからって偉そうにすんな!」


桔梗:

 「おまけに地獄耳……」


葵:

 「どうでもいいから、早く降りてきてよぉーー! ライブに間に合わなくなっちゃうーー!」


晃一:

 「へなちょこバンドのライブになんて、行きたくねぇって言ってんだろがぁ!」


桔梗:

 「あぁーーあ……、幼馴染って難しいねぇ。仲いいんだか、悪いんだか……」


【語り手】

 さて……、それではこの物語は……。


晃一:

 「おい、あんた? 随分昔からいるような雰囲気だな。

 何か未練でもあんのか? そんなもん断ち切って、さっさと故郷にでも帰った方がいいぜ!」


葵:

 「晃一こういちィーー!」


晃一:

 「うっせぇーー!」


【語り手】

 ほら、そこのあなた? この物語は一旦ここまでとさせていただきますよ。またお会いできることがございましたら、その時は宜しくお願いしますね……。



Fin.

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