英材教育

小狸

短編

 仕事帰りの電車内のことである。


 ああ、敢えて誤解を招くような表現をしているが、別段電車の中で事件があったとか、何か問題があったとか、そういうことではない。


 むしろ何もなかった、と言った方が正しいだろう。


 その方が、救いがあるような気がするのである。


 恐らく学習塾の帰りであろう、特徴的な鞄を背負った子ども複数人が乗って来た。


 僕はドア近くの席に座っていて、他に座る場所が無かったからか、子どもたちはその付近に固まっておしゃべりを始めた。


 電車が発車して、人が揺れた。

 

 まあ、社会通念上言わせていただくのなら「邪魔」の一言に尽きるが、ラッシュ時からは若干外れているし、車内も満員という訳では無い、いちいち目くじらを立てる必要もないか、と思った。


 見るからに、多分小学生だろう。


 電車は首都圏の、人口密度の高い場所を走っているので、恐らく中学受験をする子どもだろうか。


 そういう子どもは、比較的親の所得が高い傾向にあるから、車での送り迎えをするものかと思っていたけれど、どうやらそういう訳でもないらしい。


 塾――教育、ねえ。


 そんなことに思いをせてみた。


「思いを馳せる」という言葉が、ここまでときめかない意味で用いられるのを初めて観測したような気がする。


 結局人って、素材なんだよな。


 そう思う。


 人材という言葉が、まさにそれを示している。


 マジでこの言葉を作った奴は人でなしだと思う。


 いくら就活で必要だろうと、人と材を組み合わせるか普通。


 道徳教育とか、倫理観とか、そういうものを疑いたくなるくらいの熟語である。


 人は、素材じゃねえだろうが。


 それぞれ心ってものがあって、それは尊重されるべきものだろうが。


 と、声高に主張しても良いのだが、そうすると僕が異常者になってしまうのでやめておく。


 より良い素材になることができた者が、より良い中学校、より良い高校、より良い大学、より良い就職先に決まり、そこで社会の歯車として労働に従事させられる。


 目の前にいる子どもたちも、楽しそうに将来の話や、塾の授業の話、宿題の話をしているけれど、それだって結局、将来より良い「材」になるための努力に違いはない。


 バリバリに大人の意図と意思が絡んでいる。


 自分の子どもには苦労をさせたくない――良いところに就職してもらいない。


 その言や良し、しかしそこで働き、社会の駒として駆使されるのは、その子自身なのである。


 親側は、その視点が欠落している。


 たとえ良い(と世の中では見られている)企業に就職したとしても、それで終わりではない。むしろそこからが新たな始まりなのである。


 人生は始まりの連続なのだ。


 終わりは一つ――死しかない。


 いや、別段僕自身が、僕の就職先に異議申し立てを行いたいとかそういう訳ではない。


 体制としては、ホワイトな方だと思っている。


 しかし、それでも。


 世界にとってより良い「材」になるための今の教育のやり方は、正直言って、少し恐ろしいと思ってしまう。


 終着点が、就職なのである。


 その先は、全て自己責任なのである。


 こんな恐ろしいことがあるのか?


 敷かれたレールの上の人生が退屈だとは思わない。むしろ敷いてくれているだけありがたいだろう。


 ただ。


 勝手に敷くなら、最後まで敷けよ。


 と、そんな風に思ってしまうのは。


 きっと僕のようなひねくれ者だけなのだろう。


 小学生たちは、四駅ほどで解散していった。


 きっと二度と遭遇することはないし、これからの人生で関わることはないだろう。


 幼い才能の芽が、大人によって摘まれないことを祈りながら。


 僕は今日も、家へと帰る。




(「英材教育」――了)

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