「なんだ、おまえかよ……今、何時だと思ってんだ!? てか、なんでチャイム鳴らしてんだよ? 自分の鍵があんだろ? 鍵が!」


 にしても、こんな真夜中にこいつはいったい何をやっているんだ? 時間も時間だが、チャイムなんか鳴らさずとも自分の合鍵で開けて入ってくればいいものを……。


「鍵なくしちゃったんだよ。だから家に入れなくて……なあ、早くここ開けてくれよお」


 少々怒り気味に俺がその疑問をぶつけてみると、弟はそんな理由を簡潔に述べ、早く鍵を開けるよう再びせっついてくる。


「鍵なくしたって……おまえなあ、不用心だろ? それにこんな遅くまでどこで何してたんだよ?」


 急かす弟に対し、ドアノブへ手を伸ばす代わりに腕を組むと、呆れた俺は溜息まじりに再度、質問をヤツにぶつける。


「飲み会だよ。今日は会社の飲み会があるって言ってあっただろ? なあ、そんなことよりも早くドア開けてくれよお」


 会社の飲み会? そんな話聞いてただろうか……?


「飲み会にしたって、もう三時だぞ? 三次会までやってたのか? 明日も仕事あるだろうに……」


 さらに文句を口にしながらチェーンキーを外そうとする俺だったが、その時ふと、大きな疑問が脳裏に浮かんでくる。


 ……あれ? 弟の会社ってどこだったっけ? こいつ、なんの仕事してるんだ?


 そういえば、弟のしている仕事を俺はなぜか知らない……。


 長年、離れて暮らしているようならばまだしも、一緒に実家暮らししているにも関わらず、そうした話を一切していないというのはむしろ不思議だ。


「あれ? そういえばおまえさ。今、なんの仕事……」


 そう尋ねようとした俺であるが、その言葉を最後まで言い終わる前に途中で止めてしまう。


 ……いや、仕事なんかよりも、こいつの名前ってなんだったっけ?


 ふと思い返せば、俺は弟の名前を知らない……弟なのに?


 ……というか、俺に弟なんてほんとにいたんだろうか?


 ……いや、弟なんかいない……そもそも俺に弟なんていなかったんだ。


 どうして弟がいるなんて思い込んでいたんだろう……その事実を思い出し、チェーンキーに指をかけたまま俺は愕然とする。


 それに今、俺はアパートで一人暮らしをしていて、ここは実家でもない。弟はもちろん、この家に帰ってくる家族なんて誰一人としていないんだ!


「……いや、違う……おまえは弟なんかじゃない。俺に弟なんていない……おまえは、誰だ?」


 ようやく真実の記憶を取り戻した俺は、まったく意味不明なこの状況に頭を混乱させつつも、なんとか恐怖を抑え込んで〝弟〟を偽称する者に問い質す。


「……ザンネン。バレタカ」


 すると、先程まで架空の〝弟〟だったドアの向こう側の何者かは、騙すことを諦めたのか? あっさり偽物であることを認める。


 しかも、いつの間にかその声は先程までの〝弟〟のそれではなく、低く不気味な響きを持った気色の悪い男のものに変わっている。


「バレタノナラ、シカタナイ……サァ、ハヤクココヲアケロ! アケナイトブッコロスゾ!」


 騙すのに失敗したとわかると一転。そいつは穏便に事を進めることを放棄し、ガシャンガシャン…と激しくドアノブを回しながら強引にドアをこじ開けようとする。


 また口でも早く開けるよう脅してくるが、開けたら開けたで無事に済むわけがない……どっちにしろぶっ殺されるのだ。


 突如として訪れた命の危機に、さぁー…と、全身の血の気が失せてゆくのを感じる。


「う、うわああああぁーっ…!」 


 俺は恥ずかしげもなく絶叫すると一目散にベッドへと駆け戻り、頭から布団の中へと飛び込む。


「…なんまんだぶ……なんまんだぶ……」


 そして、ガタガタと震える身体を必死で抑えながら、目を固く瞑って念仏を口にする。


 澄ませたくなくても耳を澄ませてみれば、玄関の方ではなおもガシャンガシャン…とドアノブが騒がしく鳴り続けている。


 あれはどう見ても生身の人間ではないだろう……だとすれば、思い当たる節がないでもない。


 じつは今夜…いや、日付変わったので昨夜か? 俺は友人達と一緒に自分の車で、ちょっと離れた所にある心霊スポットへ行っていた。


 そこは廃村になった山間部の集落で、巷で囁かれているウワサによれば、他の住民とトラブルの絶えなかった素行の悪い一人の村人が、ある夜、相手の家族になりすまし、集落内の全戸で一家惨殺を繰り返したという、いわく因縁付きの場所だった。


 ちなみにその犯人も凶行後に自ら命を絶ったと云われているが……まあ、あくまでウワサの範疇にすぎない。本当にそんな『八つ墓村』や津山三十人殺しのような、凄惨な大量殺人事件があったかどうかも定かではない。


 だが、ウワサが真実か否かはともかくとして、その廃村では確かに奇妙な出来事が実際に起きた。


 廃屋の中で動く人影を見たり、どこからか断末魔のような女の悲鳴が聞えてきたり……恐怖が頂点に達した俺達は転がるようにして逃げ帰ってきたのだが、その帰り道でも怪異は続く。


 山中の集落と外界を結ぶ廃トンネルでは、突然、車のエンジンが止まってまったく動かなくなってしまったり……焦りに焦った後、なんとかエンジンがかかってまた走り出したのはいいものの、よく見ればフロントガラスにたくさんの白い手形がついていたり……挙句は峠道でハンドルが利かなくなり、危うく崖の下へダイブしそうになったり……ギリギリ落ちる寸前でハンドルが戻り、どうにか生きては帰ってはこれたのだが……まあ、とにかく大変な目に遭った。


 そんな心霊現象のオンパレードやあの廃村にまつわるウワサのことを考え合わせると……もしかして、村人全員を惨殺したという殺人鬼の霊が憑いて来てしまったのではないだろうか!?


 つまり今、ドアをこじ開けて入ってこようとしているのはその殺人鬼ということだ。


 ウワサでは、殺人鬼も家族になりすまして各家に侵入したということだし……死後も生前と同じように、まだその凶行を繰り返しているのだろうか?


 今なお玄関ではガチャンガチャン…と、激しくドアノブを引っ張る音がけたたましく鳴り響いている。


「…なんまんだぶ……なんまんだぶぅ……」


 俺はさらに固く目を瞑り、ガタガタと震えながら布団の中で身体を丸るめると、恐怖から目を背けるかの如く一心不乱に念仏を唱え続けた──。

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