第2話 接触

 名古屋すこし外れの工業地帯、その中の一際古い廃工場群のうちの一棟。

 ちらちらと舞うホコリに夕陽の光が幻想的だといつもなら思うところだけど、今日に限ってはそれどころじゃなかった。


 「僕と一緒に戦ってくれないか?――」

 

 それが私をここまで呼びつけてまでした、ルイのお願いだった。

 あまりに意味のわからないお願いに最初は頭が混乱していたけど、しばらくして平常心を取り戻した。


「た、戦いって……一緒にスポーツのチームでも組んでトップを目指そう!とかそういう感じ?」

「いいや、違う」

「そ、そうだ!機械いじりが好きなんだよね?ならロボコン用のロボットを一緒に作ってほしいとか――」

「それも違う。というかそれならキミの力を借りずしても1人で作る」

 

 あれこれ言ってみたけど全部ハズレ。

 するとルイは何やら気難しそうな顔をしながら後頭部をボリボリと掻き始めた。

 なにやら小難しい話をする予感がするぞ……。

 

「単純に言えば、僕らはとある勢力と抗争をしてるから、一緒に戦ってくれってことだ」

 

 文字通りの「戦う」だった。

 何かの大会や受験戦争のような比喩的な「戦い」じゃなくて、文字通りの肉体を交えた「闘い」。


「てなると……危ない、んだよね?」

「ああ」

「命を落とすかもしれないぐらい……?」

「……うん、そうだね」


 ……なら、答えは1つだ。


「……ごめん。それなら私は力になれない」

「えっ?」


 何かちょっとした手伝いならともかく、命の危険がとなると話は変わってくる。

 第一そんなことに興味はないし、もう幼稚園の時みたいに変なことに手を出して周りの人を危険な目に遭わせるわけにはいかない。


「……それじゃ、この話はもう終わりね。じゃ」


 そう告げながらそのまま席を立つ。

 ルイの要件を聞いて、それを断ったんだから私はもうここにいる意味はないよね。


「ま、待ってよ!」


 立ち去ろうとする最中で引き止められた。

 

「お、お金なら出す!」

「お金の問題じゃないの」

「そ、それなら……」


 ルイは何かを言おうとしたように見えたけど、そのまま口をつぐんでしまった。

 なんで私を呼び出したのかは分からなかったけど、ルイは私のことを頼りにしているみたいだ。

 でもなんで私?って思ったけど、まあそんなことはどうでもいいか。


 そんなことを思い浮かべていると、ルイはまた顔を上げて、か細い声で呟きだした。

 

「は、話だけでも聞いていってくれよ……」

「……」


 そうやってルイが捻り出した言葉は、少しおぼつかない印象を覚えた。


「話くらいなら……まあ」

「いいのか!?」


 暗かった表情が一転してパァと明るくなった。

 まるでさっきの表情が嘘みたい。

 

 さっきまで私が座っていた場所に腰掛け直す。

 正直なところ、これ以上何を話すというのかと思うところもあるけれど、まあ今日は特に用事があるわけでもないしちょっと付き合ってあげようと思っただけ。

 多分ルイが何を言おうと私の答えは変わらないと思う。

 けどここで無理に振り切って今後粘着されたりしても面倒だし、全部話を聞いたうえで丁寧に断ろう。

 

「……君は何も知らないみたいだから、まずは僕のことから話そう」


 さっき記憶がどうとか、前世がどうとか言ってたけど、冗談か何かと思って聞いてたから、またこうやって説明してくれるのはありがたい。

 まあ、あんな切り出し方されて真面目に受け取る人の方が少ないよね。


「……どうやら僕には”ルイ”という名の男の前世があったらしい」

「らしい?」

「うん。ていうのも、僕にはその前世の記憶ってのが名前以外無いんだ」


 そういえばさっきもこんな事を言ってたな……。

 ていうか相変わらず言っていることがめちゃくちゃだなあ。

 前世だとか記憶だとか、どこか飲み込みづらいんだよね。

 ただこれだけ大真面目に語ってるのを見ると、端から嘘だと決めつけるのも酷だしなあ……。


「けどさ……前世の記憶ったって、私もそんなの無いよ?なんで自分に前世があったって分かるの?」

「僕以外にも前世の記憶を持つやつらがいるからさ」


 ええ……。

 こんな頓珍漢なことを言ってるやつがルイ以外にもいるのか。

 この調子だとルイの頭がどうこうというより、輪廻転生を信じるカルト宗教か何かの手の平の上で踊らされていると言ったほうが良いかもしれない。

 

「まあ他にも僕に前世があったと証明する他所はあるんだけど……それは今はいいか」


 にわかに信じがたい話だけど、とりあえず今は信じていることにしておこう。

 多分、今はそっちの方が都合がいい。


「でだけど、他のやつらはこっちに来た時は大人の姿で目が覚めたらしい。けど、僕はこっちに来た時は赤ん坊だったんだ。僕が”ルイ”って名前しか前世の事を覚えてないのも、多分これが原因だと思うんだ」


 ……まあ、言ってることはなんとなく理解はできる。

 私も三歳にならない頃のことはよく覚えてないしね。

 けど今はそんなことはどうでも良くて、それ以上に突っ込みたいところがある。


「今の話に何の関係があるの?」

「……」


 私はルイからお願いをされているのであって、彼の身の上話をずっと聞き続けるわけにもいかない。

 こうやって話しているからには、何の関係のない話をされても困るしね。


「ていうかさ、私達学生だよね。なんでそんなことやってるの?親の稼業の手伝いとか……って、そんなことないか!なんちゃって!」


 そうとぼけてみたが、ルイは下を向いてもじもじとしている。

 まるで何かを迷っているかのような仕草。

 

「……しだ」

「……?」


 何か言った気がするけど、よく聞こえなかったな。


「なんて言ったの?」


 それとなく聞き返すと、ルイはいきなり立ち上がって声を荒げた。

 

「……自分探しだ!なんかおかしいか!」


 ちょちょちょ、そんなに怒ることないで……しょ?

 

 立ち上がったルイの表情を見て、思わずびっくりした。


「なんで泣いてるの……?」


 ルイは目の端に涙を浮かべ、頬を真っ赤にしながらこっちを睨みつけていた。

 私がなにか聞いちゃいけないことをきいちゃったのかな……?

 と思ったけど、その理由はすぐに分かった。


「……昔、仲間に馬鹿にされたんだよ。お前、そんな理由でここにいるのかって」


 なるほど。だから私にも馬鹿にされると思ってさっきはあんな反応をしてたんだね。

 

「お義父さんに、自分が何をするべき人間なのか気付けた時に人間は大きく成長するって教えられて……って、あはは。この話は関係ないね」


 そう語りながらルイは頭の後ろをぽりぽりと掻くルイの姿は、どこか懐かしそうに見えた。


「……そうなんだね」


 なんていう素っ気ない返事を返すと同時に、この会話がルイのただの自分語りで終わることをなんとなく察した。

 ま、元々話を聞くっていったから聞いてるだけだしね。


「……って、もうこんな時間か」

 

 ルイは壁に掛けてある時計を眺めながらそう呟いた。

 時間も気付けば午後六時。

 帰るには良い頃だろう。


「……ま、こんな時間だし。私はもう帰るね」

「……うん、今日は来てくれてありがとう」


 そう言って席を立ったが、今度はルイは私のことを止めなかった。

 もっとしつこく勧誘されるもんだと思っていたけど、存外そんな事はなかったな。


「けどだ!僕は諦めないからな。お前が僕と一緒に戦ってくれると言うまでな!」

 

 ……そう思ってたのは私だけだったみたいだ。

 

「……まあいいけど、ストーカーみたいにはならないでよ?」

「ああ。あと……もし良かったら、これからここで会わないか?」

「それは勧誘のため?」

「それもだけど、前々から鈴原さんには良くしてもらってたからね。その中で君のことを聞いてたんだけど、ちょっと興味があってさ」


 もしかしてだけど、香蓮の言ってた「紹介してくれって言ってくる男の子」ってルイのことだったんだろうか。

 ……ま、そんなことはどうでもいいか。


「……まあ、いいよ」

 

 そう告げると、ルイの顔がぱあと明るくなった。

 本当は断っても良かったけど、香蓮には「他の人と関わってみたら?」って言われたからね。

 さすがに1回会ってはい終わり、では今度こそ香蓮に見放されかねないしね。

 

「あ、そうそう。ここに来た時に遠いだなんだって言ってたよな。よかったらうちの者に言わせて車で送って……こう――」

「……?」


 そうやって送迎の提案をされたけど、なんだかルイの様子がおかしい。

 さっきまでの明るい表情が一転、私の方を見て神妙は表情を浮かべている。


 ……いや、私のことじゃないな。

 ルイの目線は私の後ろに合わさっている。

 何か変なものでもあったのかと思い、後ろへふと振り返る。


「……ってあれ、香蓮?」


 そこには私にここへ来るよう言った張本人、鈴原香蓮がいた。

 香蓮の格好は学生服のままだ。

 いつもなら家に着いている時間だけど……。

 ははーん、もしやあれだな?私が上手くやれてるかって心配になって見に来たな?

 もー、心配性さんなんだから。

 

「もー香蓮、大丈夫だって!中学の時みたいにいきなり男子の事殴ったりなんてことはしない……から……?」


 違和感。

 何か、違和感を感じた。

 香蓮はああやって立っているときは、いつもは手を前に組んでる。

 昔、「そんなところまでよく見てるだなんてちょっときもいね」と本人に言われたことはちょっとショックだったけど、今はそんなことどうでもいい。

 その香蓮が、手を後ろに組んでる。

 

 ていうか、なんか怯えてる……?

 顔がガクガク震えてるし、目線が定まらないうえに虚ろな目つき。

 鈍感な私でも、さすがに何かあったことは察しが付いた。

 

「か、香蓮……?何かあったの?」


 そう言いながら恐る恐る近づく。

 香蓮は、ここまで何ひとつ言葉を口にしていない。

 何か嫌なことでもあった?もしかして私がなにかやってしまったのかも……。

 なんにしても様子がおかしい。近付いて、手を取って、話を聞いてやらなきゃ――。


 そうやって香蓮の元まであと数歩といったところまでたどり着いた時、香蓮の「震え」の正体に気がついた。

 香蓮の顔の震えは、「震えて」いたんじゃなく「横に振って――。


「っておわっ!?」


 それに気がついた瞬間、私の体が後ろに引きずられると同時に、目の前をタイヤみたいに鈍重で黒い物体が通り過ぎた。


「ッ痛!」


 後ろへ引っ張られた勢いのまま、何かに激突した。

 視線の端に、カッターやドライバーが転がるのが見えた。

 多分、ルイの机に激突したんだと思う。

 けど助かった。

 私と机の間にクッションか何かがあったおかげか、私は大怪我せずに済んだ。

 

「痛ったー……。ってルイ!?」

 

 なんで!?ていうかいつの間に私の後ろに居たの?

 と思ったけど、ルイは私の両腕を後ろから抱きかかえていた。

 ……もしかしてだけど、ルイが私のことを抱きかかえながら後ろに飛んだってこと?


「ご、ごめん!大丈夫?」


 ルイは腰を痛めたのか、腰を手で抑えてよろめきながら立ち上がり、香蓮の方向を指さした。

 

「そんなことはどうでもいい!大和、よく見ろ!」

「な、何を?」

「鈴原の左だ!」


 香蓮の左……?

 よくよく目を凝らすと、突貫工事で埋めたようなトタンの板の壁の向こうに、人形の影が見えていた。


「だ、だれかいるの?」


 そんな私に構わずルイは背をまっすぐ伸ばす。

 そして右手をまっすぐ前に向ける。

 伸ばした右手に細かい光の粒子が集まり、そして集まった光の粒子は細い刀身の剣を形作った。

 

 えっ!?今のなに!?どうやったの?

 私でも思わずそう聞きかけたけど、状況がそれを許さなかった。


「こそこそと汚い手を使わずにでてこい。それでも王冠の一員であり一部を名乗るつもりか?ジャン・ド・モンフォール」


 ルイがそう問いかけると、トタン板に映し出された影が到底人間のものとは思えないような動きで蠢き出し、その姿を現した。


「シャルルんとこのガキがこんなところに居たのかぁ、こりゃ驚きだあ!」


 男……いや、ジャンはねっとりとした醜悪な声で私達に語りかけた。

 深緑で腕まであるワンピースのような衣服を着ており、腰にはベルトを巻いている。正直なところ、かなり浮世離れしている印象。

 それ以上に目を見張るのは、そのワンピースの下の隙間からタコのような触手が伸びており、それらが蠢いていたことだ。

 触手の合間には人間の足らしきものが見えるのだが、それを持ってしても到底人間の容姿とは思えなかった。

 昔見た人魚姫のアニメ映画の悪役にこんなのが居た気がする。


 けれど私の関心が寄せられたのはその異形の男じゃなかった。


「な、なんで香蓮が……!」


 香蓮は触手によってその両腕を後ろに縛られていた。

 ひどく怯え、目は虚ろい、端には涙が溜まっていた。


「シャルルさんとの休戦協定はどうした」

「いやぁ今日の用事はお前じゃなくてそっちの娘さぁ!」

「……大和のことか!」


「ああ、だからこの嬢ちゃんを攫ってきたんだけどねぇ……嬢ちゃん、もっと上手に”誘わないと”だめでしょう?じゃないと……ほら!」

「ひっ……」

 

 ジャンはそう言うと、そのデロデロに濡れた触手で香蓮の頬を撫で回した。

 その跡にはねとっとした粘液が頬から垂れていた。


 ああ、そうか。

 香蓮は、私を誘い出す餌に使われたのか。

 

「ご、ごめんねめぐちゃん……あたし……”また”……」


 ああ……。

 ごめん、ごめんよ香蓮。

 謝るのは私の方だ。

 元からこんな所来なければ良かっただけに。

 

「ッ!」


 さっきので地面へ落ちたカッターを拾い上げながらジャンの元へ突撃する。

 

「大和待てっ!何をする!」

「うおぉぉぉ!」


 彼の声は私の考えまで届かなかった。

 ただただ闇雲に、カッターを突き立てながらジャンへ突っ込む。


 また”あの時”の事を繰り返してくない。

 私のせいで、”また”香蓮が傷つくだなんてことはあってはならない。ならないんだ――。


「っ!?」


 いきなり足元が不安定になった。というか、何かに転げさせられた。

 そしてその衝撃でカッターが手から滑り落ちる。

 

 しまった、拾わなきゃ、じゃないと、香蓮が。香蓮が。


 手を必死に伸ばしたけれど、ジャンの触手のうちの一本がそれをひょいと拾い上げた。


「だめじゃないか嬢ちゃん、こんな危ないモノを人に突き立てちゃ……!」


 ジャンは私の右手首をその触手で巻き上げ、そのまま私を持ち上げた。


「くそっ!離せ!香蓮を解放しろ!」


 手首の激痛に耐えつつ抵抗したけれど、なんだこれ!力が強いってもんじゃない!

 左の拳で触手を叩いても殴ってもびくともしない。


「香蓮……ああ、この人質のことかぃ?お前をロムルス様のところへ送るまでは解放しないえ!」

「くそっ!いますぐ解放しろ!」


 ジャンの言うことに目もくれず必死に抵抗していると、私の後ろから駆け寄ってきたルイが私の手首を巻き上げているジャンの触手を切断。

 そしてそのままルイは落下する私の体を抱きかかえ、後ろへ飛び跳ねる。


「ちょっと、ルイ!まだ香蓮が!」

「うるさい黙れ、今の状況を考えろ!」


 だけど、それが香蓮を見捨てて良い理由にはならない。

 いつもそうだ。これだから他人は信用できないんだ。

 

「さっきロムルスがどうとか言ってたけど……なぜロムルスが出てくる?」

「ふふふ……ならばこれを見よ!」


 そうすると、男は左腕の袖を捲って二の腕に刻まれた紋章を見せつけてきた。


「これこそ列強が三位、ロムルス様の傀儡の刻印!恐れ慄け!」


 男の二の腕には、「ROME」というアルファベットを、両翼を広げたワシだかタカだかが鷲掴みにしているものだった。

 

「くっ……馬鹿な真似を……」

「……ってわけで、その女の体をロムルス様がご所望だ。今すぐ寄越せばお前は見逃してやる」


 そうやってジャンはルイに交渉を持ちかけたが、ルイはすぐさま返事をした。


「やだね。友達を売り渡すもんか」

「なら……力ずくでやるまでだ!」


 そう宣言したジャンは、その無数の触手をデロデロと伸ばし、部屋の中をまるごと薙ぎ払う構えを見せた。


「大和、ここは逃げるぞ!」

「逃げるったって……わっ!?」


 逃げるったって私はルイに抱えられたまま、と言おうとしたけれど、そんな私にお構いなしにルイは裏口へ飛び込んだ。

 裏口は工場の棟と棟の間に繋がっており、路地の裏を駆け抜けてそのまま臨海部に出た。

 対岸には名古屋港が広がっているが、今はそれどこれではない。


「ルイ、香蓮を見捨てるつもり!?」


 ルイの背中をぽこぽこと叩く。

 さっき触手に巻き付かれた手首がまだ痛い。

 

「違う、後から助ける!まずは一旦敵の力量を見極めつつ場所を変える!」


 ってったって、この間にも香蓮がどんな目に遭ってるかもわからない。

 いますぐにでも助けに行きたかったところだけど、ルイの力が思ったよりも強くて全く離してくれそうにない。

 ていうかこれどうなってんの?私、体重は60とかそこらあるはずなのに、私より腕の細いルイが軽々と運んでる。

 くっそ、ルイの力がもっと弱かったら今すぐにでも助けに行けたのに。


「……ってルイ!後ろから触手が追ってきてるよ!」

「分かってる!」


 ってたって、今は私の事を右手で抱えてるからさっきみたいに剣は使えないし!

 そうこう言ってる間にもどんどん触手が迫ってきてる!


 触手が私の目と鼻の先に来た瞬間、まばゆい数本の光の柱が触手を貫いた。

 貫かれた触手はしばらくその場でじたばたとした後、さっきのルイの剣を形作ったような光の粒子となって消えた。


「し、死んだ?ていうか何今の!?」

「死んでないし、今のは後で説明する!」


 そしてそれを最後に、私達の後を触手が追ってくることはなかった。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 私達が話していた、ルイの工房から10か20棟隣の廃工場の裏、そこに放置されていた腐った木箱の上に腰掛けていた。

 ふと木箱の隣に目をやると、白骨化した猫か犬の死体が転がっており、思わずぎょっとした。

 けれど今はそんなことはどうでもいい。

 

「はあっ……はあっ……」

 

 ルイは膝に手をつきながら、肩で息をしていた。

 下手したらルイよりも重い私を抱きかかえてここまで走ったんだ。

 すごい、というかもはや人間離れしている所業だ。


「……ふう……大和。右手、腫れてるな。借してみろ」


 ルイはまるでペンかなにかを貸してもらうかのようなテンションで私の腕の診察を始めた。

 

「え?あ、うん」

「……こりゃ脱臼だな」


 ルイは私の腕と手を交互に見ると、そう診断した。

 そしてまるでおもちゃのパーツを繋ぎ合わせるように腕と手のひらに力を加えると、「ゴキッ」という音と激痛が同時に襲う。


「どうだ、まだ違和感あるか?」

「い、いや……まだ痛いけど」

「なら大丈夫だ」


 すごいな、こんなに簡単に脱臼を治しちゃうだなんて。

 多分だけど、ルイは普段からこんな危ない環境に身を置いてるんだろう。

 

「……じゃ、ありがとう」


 そう言ってその場から立ち去ろうとすると、手を後ろに引かれた。


「どこへ行く」

「どこへって……逃げるのよ」


 その場で急ぎ繕った嘘を纏う。

 

「嘘こけ、お前は絶対にまた無謀な突撃をする。そして捕まる。だからこの手を離すことは出来ない」


 お見通しってわけね……。


「ああそう……よく知ってるのね、私のこと」


 皮肉めいたことを言い放つと、ルイは小さなため息を1つ吐いたあとに言葉を口にした。


「そういうお前は知ろうとしなさすぎだ」


 知ろうとしらなさすぎ……。

 昨日は神谷くんから、今日は香蓮から似たようなことを言われたっけ。


「とにかくだ!今は敵を観察しつつ助けを呼んだうえでここで機を伺って……伺って……」

「……?」


 そう言うと、ルイは自分の身体やポケットをまさぐりだし、そして私に聞いてきた。


「お前、スマホ持ってるか?」

「いや……カバンに置いてきちゃった」

「……僕もだ」


 この時点で、なんとなく助けを呼ぶという線が消えたことを思い知った。

 

「どうするの?」

「どうするって……一応、案はあるにはある」


 ルイは手のひらを手に上に向ける。

 最初は何やってるんだと思っていたけれど、しばらくすると建物の影からにぶく光る1つの光球がふわふわと空中を漂ってきた。

 

「な、なにこれ」

「これが僕の”異能”だ」

「異能……?」


 さっきのタコ男を見た後だとまだマシに見えるけど、触手を持った男だとか、いきなり手元に剣が現れたことだとか。

 光の柱やこの光の球だって、今日はちょっと現実味のない話が多すぎる。

 

「僕の異能は、この球に日光のエネルギーを集めて、それを指向放出するっていうもんだ」

「しこうほうしゅつ……?」

「あー、まあ体よく言えばレーザーだ。さっきの光の柱は、何かあってもいいように天井に待機させてたのを発射したんだ」


 ああ、つまりさっきの光の柱はこの球から発射された光線だったのか。

 

「前世の記憶を持ってこの時代に来たやつらはこんな異能を1人1つ持ってるんだ」

「それはルイの仲間も……?」

「いや……お前も持っているはずだ」


 ……え?

 いやいやいや、そんなまさか……。


「わ、私はそんな人外みたいな力持ったことは……」


 そう言うと、ルイはむっとした。


「人外呼ばわりされたことは置いておくとして……情報屋から入手した情報が正しければお前は持っているはずなんだ」

「だから私に声を掛けたの?」

「……まあ正直に言えばそうだ。それにロムルスもお前を求めてるんだから、まあそれで間違いないだろう」


 私にこんな人間離れした力が……?

 今目の前で起こっていることすら現実味がないのに、私にそんな力があるだなんて言われてもにわかに信じがたいな。


「まあ、今はそんなことはどうでもいい。僕のこの光球にエネルギーを貯められるだけ貯めて、それをあいつにぶっ放す。それしか勝つ方法はない」

「私はどうすれば?」

「僕と一緒にエネルギーを貯める時間を稼ぎつつ、鈴原を救出する。救出出来なければあのタコ男と一緒に鈴原さんもお釈迦さ」


 思わず私は唾を飲んだ。

 失敗すれば、香蓮がお釈迦……。


「けど私は武器もないし、どうやったら役に立てばいいか分からないよ……」

「まあ、その場その場で決めよう。最悪、石でも投げて陽動してくれれば良い。……あ、あとそうだ。これも渡しておこう」


 そう言うと、ルイはポケットから大ぶりのナイフを出してきた。


「お守り程度の役にしか立たないかもしれないけど……一応持っておいた方が良いと思う」


 鞘からナイフを取り出すと、鋭利で光り輝く刀身が挨拶した。

 まな板の上でなく、直接肉を切りつけ、人を傷つける形をした凶器。

 さっきカッターを人に突き立てようとした私が言うことではないかもしれないけれど、私はその恐ろしい形に軽く恐怖した。

 

 そこでふと、誰かの足音が聞こえた。

 微かに聞こえる程度だった足音は一步を踏みしめるごとに大きくなっていく。


「……誰か来る、隠れよう」

「うん」


 木箱の裏に隠れてしばらくすると、ジャンの声が聞こえてきた。


「おーい、ガキ共!これはかくれんぼじゃねーぞー?早く出てこねえとこいつを殺しちまうぞー?」


 ジャンは私達に聞こえるぐらいの大声でそう喧伝していた。

 

 不安と緊張、そして殺気で動悸がする。

 決して虚ろな心情というわけではないけれども、自分の息が上がっているのを感じる。


(大和、今は待て。鈴原が死んでしまえば、僕らはあとは逃げるだけってことをあいつは分かってる。だからあいつは鈴原を殺さない。分かったか?)

 

 ルイのその言葉に、返事はしなかった。

 香蓮が死ぬ可能性というのはほんの少しでもあってはならないのだ。


 暫く経つと少しだけジャンの姿が見えた。

 ジャンは触手をばたつかせながら、その細い足で廃工場街を闊歩している。


 そしてその恰幅の良い胴体の背中に、香蓮が触手で縛り付けられているのが見えた。


「かれっ!むぐっ!」


 思わず声を上げてしまった。

 私の口元をルイが押さえつけるが、そのときには既に遅かった。

 

「おやぁ?そっちにいるのかいぃ?」


 しまった、こっちに来る!

 お互い木箱の裏に隠れながら息を殺す。

 

「おやぁ?いないねぇ」


 ジャンの触手が私達の頭の上を通過するほどまでに近付いてきたけれど、バレそうな気配は無かった。

 彼がその場を通り過ぎようとしているのを、私は息を殺しながら眺めているしかなかった。


 しかし、私はそこで見てはいけないものを見てしまった。


「……ッ!」


 香蓮が、触手で口を塞がれながらも助けを求めるような目でこちらを見ていた。

 よもや流す涙さえ枯れてしまったかのような表情で、目元を真っ赤に腫らしてこちらを見ていた。


 私をその場から突き動かすには、十分すぎる材料だった。


 「……ごめん」


 ルイに一言謝罪を残し、鞘からナイフを抜く。

 バッと駆け出し、ジャンのその巨大な背中に飛び乗る。


「おやぁ?そんなところにいたのかいぃ?って痛いなこの野郎!」


 香蓮をジャンの背中に縛り付けていた触手を、次々に切断していく。


「ぷはっ!めぐちゃん、だめ!逃げて!」

「待ってて!今助けるから!」

 

 ルイには悪いけど、私は捕まっても良い。

 せめて、私のせいでこんなことになっている香蓮だけでも解放しなきゃ。そうしないと、私が香蓮に顔向けできない。


 触手は合計六本。既に四本切断した。


「痛えんだよこの野郎!大人しく捕まりやがれ!」


 ジャンの触手が、さっきよりも強く私の胴に絡みつく。

 それと同時に、私の口から見たこともないような量の血が吹き出された。


「めぐちゃん!」


 私の胴が強く圧迫されるごとに、私の頭にまるでスクイーズを無理やり握りつぶしたときのように血が偏るのを感じる。

 そんな中でも死にものぐるいで背中にしがみつき、触手が最後の一本になるまでこぎつけた。


 あと一本!あと一本で香蓮が解放される。

 そうすれば、私はもう、もう――。


「なぁにやってるんだぁ!?痛いからやめるんだぁ!」


 その瞬間、残り一本だった触手に五本が追加で継ぎ足され、私の努力は露となって消えた。


「くっそおおお!」

 

 ルイも私を救い出そうと突貫してきたけど、ジャンの触手のその一撃でかるく吹き飛ばされ、ゴミ山に埋もれてしまった。


「ルイ……」


 意識が朦朧とする中で、私は砂煙の向こうで地に伏すルイを見ていることしかできなかった。


「まったく、お前が何も学ばずに突っ込むことしか脳の無いやつで助かったえぇ!ケハハハハ!」


 ジャンの高らかな笑い声が、あたりに木霊する。

 私は首を座らせることすら困難なほどに意識が薄らいでいく中で、ひたすら「どうにかしなきゃ」「どうにかしなきゃ」というもはや意味のない義務感に苛まれていた。


「さて、じゃ帰るとするべぇ」


 ジャンはそう独り言をつぶやくと、触手を自分の足元にキュッと集めたうえで、それをバネのようにして飛び上がった。


「さて……こいつをロムルス様に差し出したあとはこっちの小娘をどう料理するかぁ……下手に解放して軍に見つかったらめんどうだなぁ……やはり捨てるべきかえぇ?」


 ジャンがそんなことを独り言で呟いている中。

 消失しかけていた意識が、またぼんやりと戻った。

 

 あれ……私、何をやってたんだっけ。

 ああ、そうだ。

 香蓮を助けなきゃいけないんだ。

 ……何から助けるんだっけ。

 ……まあ、いいや。

 そんなことよりも、あっちに見えるのは、香蓮の髪だ。きれいだなあ。昔よりも、断然綺麗だ。

 てことは、あっちに香蓮が……。


 ジャンは、跳躍に伴って触手の締付けが弱まっていることに気がついていなかった。

 そして、私がその手を香蓮の方へ伸ばしたその瞬間。

 私の体は、ジャンの触手から滑り落ちてそのまま地面へ、真っ逆さまに――落ちた。

 それと同時に私は体のコントロールを完全に失い、宙空を舞う。

 

 これ、何メートルぐらいだろう。まあいいや、よくわかんないや。

 時間の流れがゆっくりに感じる。

 横目に写ったジャンの表情がはっきり見える。頭を抱え、驚愕している。

 顎がは外れんとばかりにあんぐりと空いている。

 あれ、なんでこうなったんだっけ。

 私はただルイのお願いを受けて話をしにきて、けどジャンが私を攫いにきて。

 私はただ、話を聞きにきただけなのに。

 

 もう少し、よく考えて動けばよかったなと思いつつ、西へ目を向ける。

 時刻は夕刻、陽の色は橙色に光り輝いていた。

 最期に見る夕日は、綺麗だった。

 まだやりたいこといっぱいあったけど、ここで終わりだ。

 結局、香蓮のこと助けられないまま終わっちゃった。

 ていうか、アハハ。私、”あの頃”となんも変わってないや。

 私の人生、なんだったんだろう。

 そう思いつつ、私はゆっくりと目を閉じた。

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