大本営からの書簡

ブランチュール中毒者

日常 ― ある異世界の、ある大戦争の話。

※本作はフィクションであり、実在する歴史的事象、人物、組織、国家、民族等との関係はありません。

――――――――――――――――――









 セダンの窓外に流るる景色の中で、私はある百貨店デパートメントストアが目に留まった。

確か2年前程は、あの建物の正面に…帝国陸軍の挙げた大戦果が堂々と翻っていた筈である。

 今日、酷く寂れて見えた百貨店デパートメントストア

去りし日の垂れ幕は一体、何処へ行ってしまったのだろうか。


 セダンは交差点を左折して、大通りに差し掛かった。

ツートンカラーの路面電車がちょうど川魚の如く流るる先には、凱旋門の壮麗なる姿が覗いている。


 今世、幾度この道筋を辿ったであろうか。

自宅から皇宮までの……通勤経路―――日常の一部。


 戦時下であるにも関わらず、この帝都には日常があった。




 ―――この話は…私が未だ、帝国陸軍参謀本部兵站局の次官を努めていた頃。

大帝国が未だ、惨憺たる大戦争の泥濘に―――深く埋没していた頃の、「戦場」における一幕である。



 ある時、私の元に一通の書簡が届けられた。

差出人は、前線に近い大本営に居るローゼンブルク公ルドルフ元帥閣下。

内容は―――私に対して、一種の「助言」を求むるものであった。


 〝親愛なる友へ。〟


 ―――その言葉で始まった冒頭の後には、この件は内密にして欲しいと言う旨が続いていた。加えて、陸軍参謀総長次官としての立場上…憚れる内容であり、口に出し難い。それ故に、信頼出来るDuに助言を貰いたいのである、とも。


 〝Du〟―――それは親しい間柄において使用される二人称。彼からそう呼ばれるのは久方ぶりであった。




 我が親愛なる友―――ルドルフは、私の陸軍幼年学校時代の同輩。

若くして非凡の才を見せ、彼は齢二十五にして帝国陸軍参謀の長机に座し、戦術研究でその才を揮った。遂には陸軍参謀総長次官として帝国指導部に肩を並べたのである。


 一方の私は…既に敷かれていた道を歩む様な…ごく一般的な陸軍官僚の出世街道を辿っただけ。

 私が騎兵小隊長として軍務に就いた頃、彼は既に近衛騎兵連隊長の幕僚であった。

私が騎兵連隊長に任命された頃、彼は既に陸軍参謀本部に居た。

私が遂に陸軍参謀本部地形課に配属された頃には、彼は既に参謀本部の中枢で戦術研究に没頭していた。

 私と違って、急速に天上へと登って行った、俊才なるルドルフ―――距離が離れて行く中で、何時しか交友は絶たれてしまっていた。



 ―――しかしながら、そんなルドルフ元帥閣下から助言を求められるのは些か奇妙である。少なくとも私は兵站局の次官であるし、それなりの事は助言出来る自負はある。

 だが兵站局の知恵が欲するなら、「君」の傍に居る兵站総監(兵站局の長)に訊けば良いものを。

 そう思って、私は続きに目を通した。



 〝助言して頂きたいのは、IFもしもの話である。IFもしも、帝国領内への侵攻を許してしまう事があった場合の、「IFもしもだ。〟


 ―――それは確かに、立場上憚れる相談…もとい「弱音」であった。

もし他の人間が聞けば、「何だそれは、そうなると言っている様なものではないか。帝国陸軍参謀総長次官―――即ち参謀総長たる皇帝陛下の代理人と言う立場の人間が、この様な弱音を吐いて戦争指揮が務まるのか。」と言う感情を抱くであろう。

 勿論、たった今この文面を見た私にも、そんな感情が無い訳では無いが。

 ―――まぁ、私も同じ状況に置かれれば、その様な相談は「弱音」を利用しそうにない人物に相談したい。


 〝国家の存亡に関わるIFもしもがあるならば、皇帝陛下を何処かへ退避させる必要がある。かつて初代皇帝が諸侯を従え、帝都で再起を図った様にである。〟


 あぁ、君の良い癖だ―――重要な頼みごとをする時に限って、壮大な故事を持ち出す。

「知識をひけらかしたいのでは無いか」と…幾度思った事か。



 幼少期の私は臆病なもので、学校の先生に対して畏敬―――いや、恐怖の眼差しを向けていた。

 その性分は今に至っても…ほんの少しではあるが引き継がれていて、兵站総監殿に意見具申する時など、背筋を冷風がなぞる様である。


 話を戻すが、陸軍幼年学校時代に私が、何らかの用事で(今となっては何の用事であったか忘れてしまったが)職員室に行かねばならなかった時、私は道中の廊下で、恐怖に立ち尽くしてしまっていた。

 よく「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と言うが、私に虎狩りをする勇気はそうそう無かったのである。


 そんな時、中々教室に戻ってこない私を心配してくれたのか、君は私の前に現れて―――、いや、何の故事であったかは思い出せないのだが、少なくとも君は、私を後押ししてくれた。


 …今思えば、確か共に陸軍大学校に通った時にも―――。



 「大丈夫か?顔色が悪いぞ…?」

「…。」



 その時の私は―――人と話せる様な気分では無かった。恐らく…連日の勉強疲れが祟って、社交の気力を失っていたのだ。元気が無かったから―――そう…だから―――



「古のローゼンブルク公ハイミリヒは…連日の過労が祟って風邪で亡くなった。君ぃ…自分の体調には気を使った方が―――」


 「それは自慢か?

―――得意になって、知識を見せびらかしたいのか。」




 君の驚く顔が―――未だに脳裏にへばり付いて離れない。

私は心身共に疲労困憊で―――だから…私は君に……少々きつく当たって―――


…いけない、また―――。



 ―――欺瞞の笑みが溢れる。己の感情を抑える欺瞞である。

今思えば、あれからだ。

一切、視線が合わなくなったのは。


 方や公爵ヘルツォーク、方や男爵フライヘル

私達はあって・・・然るべき・・・・「壁」・・・を構築しただけ―――。




 ……嫌な事を…思い出したな。





……友……か…。


 彼は書簡の暁に、〝親愛なる友〟と……。










〝親愛なる友、ルドルフへ。〟





 さて、君は皇帝陛下の亡命先をお探しらしいな。

探してやるよ―――君とて忙しいんだろう。何せ元帥閣下なのだから―――。



 先程とは一転、何だか清々しい気分になって、私は思考の中に浮かんでいた。

参謀総長次官殿―――いや、秀才なる友から頼りにされる事が、嬉しかったのだろう。









 〝コンコンコン〟



 ―――しかし、暫時の考え事は、扉より響いたノックが…直ぐに消し去ってしまった。


 汗が滲み、疲労困憊の様子で現れた将校は、驚く私と目があった途端、我を取り戻した様に敬礼を取った後、やはり焦った様子で口を開く。

「さ…先程帝都に―――帝都に空襲警報・・・・が…

空襲警報が発令されました……!」



 私は信じられぬ面持ちで、将校の目をまじまじと見つめた。

先程のげんまことかと、言わんばかりに。




   ―――それから暫くの事は、あまり記憶に遺っていない。

強烈なる記憶は―――その直前と、直後の記憶を、曖昧にさせてしまうものである。




 帝都上空に"鯨"が浮かんだ。

破滅を齎す巨鯨である。

 対空砲火を避ける為、遥か高空に至った巨鯨達は、かなり小さく見える筈だったが、その威圧感から、まるで天空を覆い尽くすかの如く―――私の眼に写った。



 ―――かくして帝都にあった旧き日常は、文字通り灰塵に帰したのである。

そこにあるのは、新しき「日常」である。



――――――――――――――――――



 本稿に登場する「書簡」は、大戦争末期に、帝国陸軍参謀総長次官のローゼンブルク公ルドルフ・フリードリヒ・ヘルツォーク・フォン・ウント・ツー・ローゼンブルク=イェルス元帥が、帝国陸軍参謀本部兵站局のハンス・フライヘル・ツー・アルフドルフへ送付したものと考えられている。

 しかし「書簡」の実物は現存しておらず、本稿における空襲―――帝都大空襲における最初の航空攻撃にて焼失したものと考えられ、本稿は「書簡」の存在を示す数少ない証拠の一つとなった。


 ―――それも、本稿の作者ツー・アルフドルフ元帥は、本稿の出版前に死を迎え、フォン・ウント・ツー・ローゼンブルク=イェルス元帥もまた、戦争指揮の最中に病床へ伏し、「書簡」の存在を語らぬまま息を引き取ったのだから。


 結局の所、二人の友情が二人の視線と共に、再び結ばれる事は―――無かったのだ。

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