第2話 街へ向かう道中で
師匠が隠居生活に選んだ“古龍の峰”近辺の大森林は人が寄り付かないだけでなく、人里からもかなり離れたところにある。
歩いて向かったら半日は掛かってしまう。
年に何回かの買い物では、魔法で身体強化し、走る。走って行って、走って帰る。
そうすると往復でも半日掛からない。
だが、今回はそうしない。急いでないし、旅立つ時くらいはゆっくりしたい。
「って思ってたんだけど、ここ魔獣多過ぎだろ………」
結界を出てからと言うもの、ひっきり無しに魔獣が襲って来る。買い物の時以上に襲われるのは歩いているからだろう。ここは走り抜けてしまった方がいいのかもしれない。
しかし、そんな考えが思い浮かんだ時には既に森を抜ける頃合いだった。
「っ————?」
驚くことに人がいる。
誰も近寄らい人里離れた森に人がいるのだ。
隠居生活の十年間、森で人を見掛けたことなんてなかったので驚かざる負えない。
ゲオルラの群れに囲まれる人———女性は一本の剣で立ち向かっている。剣を振るうと風が森を駆け抜ける。同時に女性の正面にいたゲオルラの腹部が切り裂く。
魔法剣士のようだ。
濃紺色の髪を風に揺らし、蒼瞳に宿るのは焦燥。
女性は見るからに追い詰められている。放った風の刃は確かにゲオルラの腹部を切り裂いたものの、全身を覆う剛毛によってほとんど効いていない。ゲオルラに対抗できるほどの威力がないのだ。
ここは弱肉強食の世界で、常日頃から魔獣同士で争いが起きている。森に足を踏み入れた人間が魔獣に襲われるのは当然のことで、足を踏み入れたからには魔獣に殺される覚悟を持つべきだ。と師匠は言っていた。
そう言って、師匠はシノンを一人森の中に置き去りにした。あの時は本当に死にかけたし、丸一日掛けて結界のある家まで戻って来た。あの時ほど師匠を恨んだ記憶はない。
ゲオルラに襲われる女性を見捨てることは出来る。
見なかったことにして、このまま森を抜けてしまう。もう少し歩けば森を抜けられる。
女性も頑張ってゲオルラの包囲から脱することが出来れば、まだ逃げられる可能性はある。
「いや………おれは師匠じゃないし」
ここで見捨てたら寝覚めが悪い。
旅立ちの日にそんなのは御免だ。
————ゾーン・レティア
シノンの手の平に白い光束が集束する。
それはやがて色を変え、薄緑色の球体を形成し、周囲に散った。
そして放たれるのは無数の風だ。
森の大樹を震わせるほどの暴風をともなって、風の刃はゲオルラの頭部を切断する。
女性を囲う七匹のゲオルラ、その全ての頭部が一斉に宙を舞った。
突然の暴風と頭の飛ぶ光景を前に女性は地面に腰を落とした。それでも剣を握ったままなので、剣士としては立派なものだ。
助けを必要としていなかったのだとしたら、余計なことをしてしまったかもしれない。
周囲を警戒する女性から、シノンは逃げるようにその場を後にした。
見つかりでもしたら、一体どんな説明をすればいいのか。
言ったところで誰も信じてはくれない。
それに力を誇示することは魔法使いの矜持にあらず。師匠からそう教わっている
大森林を抜け、あとは街までの平坦道のりを歩くだけになった。もちろん、ここにも魔獣は生息しているけれど、森の中と比べれば雲泥の差だ。
しばらく歩いて、後方から迫って来るのは地を駆ける音。地竜の駆ける音と似ている、と言うかそれだ。
森を抜け、しばらく歩いて背後から地竜の足音。
嫌な予感はするものの、振り返ることなく足を進めるシノンだったが、地竜の足音が背後で止んだ。
地竜ではない足音が地に落ちる。
「あなた、動かないで」
背後から響くのは強い声音だった。
動くなと言われたのでシノンは足を止める。
「あの時の魔法、あなたよね。こんな場所を地竜もなしに歩いてる人なんて普通じゃない」
「普通じゃないと思うなら、声を掛けるのはやめた方が………?」
「そうね。だから、少しでも動いたら殺す」
「怖いって………」
変わらない強い声音で殺すなんて言われたら、殺されるわけが無いと分かっていても怖いものがある。
ゆっくり振り返ると首元には銀色の輝きを見せる剣の切っ先が向けられていた。
「あなた、冒険者?」
「冒険者じゃないよ。なろうとは思ってるけど」
「それじゃあ何者?」
「君こそ、あんな森の中に一人で行くのはやめた方がいいよ」
「余計なお世話よ。あれくらい、一人でも平気」
「平気そうには見えなかったけどね」
首元に突き付けられた剣の切っ先がさらに迫る。
「うるさい。わたしの質問に答えて。あなたは何者なの」
蒼瞳できつく睨んでも女性の顔立は崩れない。濃紺色の長髪と雪のように白い肌のコントラストが、精緻な顔立を際立たせている。
白銀の鎧を纏っているが軽装の部類で、やはり魔法剣士なのだろう。とても気が強そうなので、言い逃れは許してくれなさそうだ。
「シノンだ。名前はシノン。ただの魔法使いだよ」
「魔法使い………」
数十秒に及ぶ思考の末、女性は剣を下ろしてくれた。何かを思いついたかのような表情を浮かべたように見えたのは気のせいだろうか。
「わたしはステラ。あなた、冒険者になりたいのよね」
「路銀が心許ないからね」
そう。路銀のあてと言うのは冒険者だ。
今から向かおうとしている街には冒険者協会があって、そこで冒険者として日銭を稼ぐことが出来るのだ。魔獣討伐が主なので、シノンにとってはこれ以上にない仕事だろう。
師匠も冒険者として荒稼ぎしたと昔話を語っていた。
「街まで連れて行ってあげる。わたしの推薦で冒険者にもならせてあげる」
「えっ、なに急に………お金とか求められても、路銀は心許ないから」
殺すと言われた相手が急に態度を変えた。
声音は強いままだが、どうやらそれが標準らしい。
親身に街まで連れて行き、シノンが冒険者になる手筈も整えてくれると。怪しまないわけにはいかないだろう。
地竜に乗ったステラはシノンを見下ろしたまま答える。
「お金はいらない。代わりに———わたしに魔法を教えて」
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