烏姫のサムライ

七野りく

序章

第1話 襲撃 上

 目標の古びた屋敷は静寂に包まれていた。昨今の国内情勢を考えれば、たとえ深夜であろうと異常な程だ。

 周囲で息を潜め待機中の戦狂いな傭兵共を率いる俺――『戦狐せんこ』ローガン・ピワソは巨木の陰に隠れ、黒フード下の獣耳を動かした。

 何も聞こえず、魔力も感じない。

 それどころか、灯りすら見えず、二十数年に及ぶ傭兵稼業で、俺を助け続けてくれた直感も反応しない。

 ……これはもう間違いないだろう。

 今宵の『獲物』は警戒態勢を全く取っていないのだ。

 異国から持ち込まれた最新式の速射式魔銃を左肩に載せ、やや呆れつつ俺は眉を潜める。


「女王の病重く、『継承戦』は既に開始されているってのに、仮にも『七家』の一角がこの体たらくか? 噂通り、ローガンの『烏姫からすひめ』は緒戦で老ルイを喪って、未だに意気消沈しているみたいだな」

「隊長、屋敷内の魔力反応は二つしかありません。情報通り、陽が落ちると、えている者達は街へ戻るようですね」

「この分なら、今晩の仕事は楽そうだ!」

「『烏姫』傘下に碌な勇士はもういないと聞きます。老ルイの孫娘が多少名の知れた魔法士な程度です」

「世間巷では、『花姫はなひめ』様は次期女王候補と専らの噂らしいぜ?」

「そりゃそうだろ。何せ隊長と俺等が味方についているんだ!」

「とっとと片付けて、姫さんをトレニアの女王にしてやらないとなぁ」

「そうしたら、俺等も晴れて血腥ちなまぐさい傭兵稼業は廃業。堂々と往来を歩ける堅気の騎士ってわけだ」

「ちげぇねぇ、ちげぇねぇ」


 長年苦楽を共にしてきた部下達が、愉快そうに抑制された笑い声を発した。

 俺も闇の中で、ニヤリと唇を歪める。

 ――そうだ。

 世の中に行き場がなく、戦場でしか生きられない俺達を拾ってくれた我等が姫に勝利をっ! 他の六人の姫を悉く打ち倒し、女王の座をっ!!

 出撃前の演習場へ、一人で俺を訪ねて来た花姫様の憂い顔が脳裏に浮かぶ。


『ローガン、此度の作戦でエマール家との戦いは終わりにします。老ルイを喪い、最早戦意もなく、まともな交戦も不可能でしょう。……考えてみれば、気の毒な子なのです。幼い頃から謂れのない差別を受けて。継承戦がより激化する前に屈服させるのが、せめてもの慈悲だと思っています。ただ……もし、もしも抵抗するのであれば、その時は』


 ええ、分かっています。分かっていますとも。

 この手の汚れ仕事は、姫を守護する騎士様と魔法士様の領分じゃない。

 凄惨な戦場で生まれ育った俺が為すべき事だ。

 次期女王を選ぶこの苛烈な『継承戦』において、勇士達だけでなく、姫自身の血が流れることは決して珍しくないのだから……」。

 

 全ては、『花姫』様の御為に! 未来の女王陛下の御為にっ!!


 冷たい夜風が吹き、白いものが最近増えてきたフード下の髪を靡かせた。

 右手を掲げ、俺は口を開く。


「総員傾注」


 無駄口が一斉に収まり、夜の静けさがたちまち戻ってくる。

 人種、年齢、略歴――どれもこれもまるで一致しないが、身寄りのない俺にとって家族同然の連中だ。

 闇の中、淡々と作戦を再伝達する。


「此度の目標は『烏姫』――リズ・エマールだ。お前等も知っての通り、『七家』の中では最弱とされ、先だって『白騎士しろきし』殿が名高き老ルイを討った。他にまともな臣下もいない。対する俺達は、殺しても早々死にそうにない四十七名だ」


 失笑が漏れた。

 戦歴の浅い連中を外してきたのは正解だったな。

 笑みを消し、冷徹に告げる。


「この様子だと抵抗らしい抵抗もないだろうが……油断はするなよ? 姫は拘束が第一。拒絶した時は『処理』する」

『――……はっ』


 やや空気が重苦しくなるも、闇の中で光る部下達に動揺は見受けられない。

 最早賽は投げられている。

 次の女王が決まるまで、俺達は戦い続ける他に路はなく、それ以外の未来を受けいれるつもりも更々ないっ!

 黒フードの縁に触れ、俺は小さく頷いた。


「良し――じゃあ、狩りの始まりだ。征くぞっ! 野郎共っ!!」

『応っ!!!!!』


※※※


 轟音が鳴り響き、屋敷の表玄関は投擲された炸裂魔弾さくれつまだんによって、あっさりと粉砕された。結界すら張られていなかったようだ。

 花姫様の用意してくれた最新型魔銃を構え、部下達が突入していく。

 俺は襟に着けた通信宝珠で、副長に呼びかける。


「こちら、一班。二班、感どうか?」

『感良――裏門を突破しました。今の所、罠等は発見出来ていません』


 おいおい。エマール家はそこまで落ちぶれちまっているのか? なら、事前の降伏勧告をどうして受けなかったんだ?? あれだけ啖呵を切る書簡を送ってきやがったのに、不用心の域を超えていやがるぞ???

 継承戦において、交戦を公式に宣言した姫に対する横槍は原則として禁止。

 だとしても、襲撃を受けるすら想定していなかったんだとしたら……。


「甘い。甘過ぎるぜ、烏の姫さん。そんなんじゃ到底、列強と嫌でも渡りあわなくちゃならねぇ、トレニアの女王にはなれやしねぇ」

『? 隊長??』


 副長が怪訝そうな声を発した。階段を駆け上がる足音も同時に聞こえてくる。

 俺は魔銃を手に冷たい広場を進み、フードを外した。周囲では部下達が一つずつ部屋を制圧している。


「……何でもない。念の為、二階と三階の制圧も急がせろ。逃がすなよ?」

『了解です』


 通信宝珠が明滅を止めた。

 余りにも不甲斐ない獲物に落胆すら覚え小さく嘆息し、俺は部下達を率い屋敷の最奥へと歩き始める。

 先鋒を務める古参の部下が戻ってきた。


「隊長。獲物を発見しました。探知通り、屋敷の礼拝場です」

「人数は」

「二人です。俺達に気づいていない筈はないんですが、動こうとしていません。入り口は封鎖しました」

「了解だ」


 立ち止まり、命令を待つ部下達の顔を見渡す。

 副長と第二班を待つまでもない、か。


「聞いての通りだ。とっとと片付けて、花姫様から酒樽と金貨をせしめるぞっ! 野郎共、俺に付いて来いっ!!」

『応さっ!!!!!』



 礼拝場の木製扉を蹴り破り、俺達は魔銃を構えて中へ突入した。

 まず、目に飛び込んできたのは七人の姫と初代女王が描かれた見事なステンドグラス。机や椅子といった調度品はなく、酷く寒々しい。


「……何者だっ!」


 淡い魔力灯の下、長杖を持つ魔法士の短い茶髪少女が鋭い眼光を向けてくる。精々十代後半といったところだろう。

 その背の陰に、両膝をつき祈りを捧げるフードを被った少女の姿も見えた。

 部下達の隊列を押しのけ、俺は歩み出ると苦笑。


「そいつは愚問だな、クレア・カヴァリエ。――降伏しろ。命は取らねぇ。どうしてもって、言うならお前さんの魔法と俺等の魔銃、どっちが速いか試してやってもいいが?」

「……貴様っ!」 「クレア」


 激高しかけた魔法士を止める涼やかな声が耳朶を打つ。

 ゆっくり立ち上がった小柄な少女は俺達に向き直るとフードを外し、


『っ!』


 女王国にあって、亡国の象徴とされ、忌み嫌われる長い黒髪を露わにした。俺達は思わず息を呑む。

 絶世の美少女――『烏姫』リズ・エマールが問う。双眸に恐怖は微塵もない。


「『花姫』配下、名高き大傭兵『戦狐』ローガン・ピワソ殿とお見受けします。今宵はどのような用向きで来られたのでしょうか?」

「――……姫さん、そいつもまた愚問だぜ? ま、言わなくても分かるだろ?? 手荒な真似はしたくねぇ。降ってくれ」


 若干気圧された俺は頭をガシガシと掻き、左手を軽く掲げる。

 部下達が少女達へ照準を合わせた。 

 リズ・エマールが悲しそうに呟く。


「コゼットは、あの子はそうまでしてこの『継承戦』に勝ちたいのですね。けど……それは私も同じなんです」


 ――ゾクリ。

 背筋に寒気が走った。な、何だ? この違和感は??

 対応するより早く、ステンドグラスに数百、数千の閃光が走り砕け散る。


『なっ!?』


 絶句する俺達の前に、見慣れぬ淡い紅基調の装束を身に纏う少年が降り立った。

 髪色は汚れ無き純白。女物の紐で後ろ髪を軽く結っている。

 手に持つは、ゾッとする程美しい波紋を持ち、血に濡れた片刃の長剣。


 確か遥か古の時代、極東でのみ製作され神や竜すら斬ったという――『刀』。


 二十丁以上の魔銃が向けられている中、硝子片を払う少年には圧倒的な余裕すら感じられる。しかも、先程から襟の通信宝珠が反応しない。

 まさか、そんな馬鹿な事、起こり得るわけが。


「貴様……何者だっ!」


 不吉な予感が膨らむ中、堪らず俺は叫ぶ。

 すると、少年はあっさりと名乗った。


月見里八郎秋家やまなしはちろうあきいえ。身内はシロと呼ぶ。――ああ、見ての通り侍だ」

「……サムライ? エマール家の傭兵かっ!」


 魔銃の引き金に手をかける。

 得体の知れぬ剣士だろうと……この至近距離で、魔弾の弾幕射撃に抗しきれる筈がないっ!

 そんな中で楽し気に犬歯を剥き出しにし、少年は刀を右肩に載せて振り返り、両手を組んだ黒髪の少女へ問いかける。


「――で? 今度はどいつを斬ればいいんだ??」 

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