誰が赤ずきんを殺したか

カナイ

第1話

 ――ある日、森の中。

 そんな童謡の一節が頭に浮かぶ。

「あ、の……こんなこと、急に、言われてもっ……信じられないと思う、けど」

 『私』の手首を掴んだ青年は、必死な顔で言葉を紡ぐ。

「この森の先、の、家、行ったら、君、死んじゃうッ……!!」

「……なんて?」

「アッ……信じられない、よねっ……ア、ヒッ、ごめっ……腕、掴んじゃって……」

 聞き返せば、青年は一気に挙動不審になった。

 それでも、掴んだ手首は離してはいない。

 周りは鬱蒼とした針葉樹の森。鳥の声が響き、木漏れ日が揺れる。

 本で読んだことはあっても、実際には見たことがなかったもの。

 ……どこだ、ここ。

 窓から見えていた、あの馴染んだ街の光景じゃない。

 改めて、青年を見上げる。

 灰色の髪と、暗褐色というよりは黒の目。

 堀の深い顔立ちは、日本人のものではない。

 視線を下ろす。

 掴まれたままの『私』の手は、記憶にあるものよりも小さくなっていた。

 馴染んだ病衣ではなくスカート。スカートだ。

 それに、絵本で見たようなエプロンがかけてある。

 青年が掴んでいない方の手で持っているバスケットには綺麗な布巾がかけられて、何かの瓶が覗いていた。

 視線を下げた時に、肩から少しずれたケープの色は赤。

 ……まさか、そんな、と思う。

 気持ちを落ち着かせるために息を吸って、吐き出す。青年がびくりと肩を跳ねさせる。

「……ええと……」

 見るからに怯えながら、それでも手は離さない。

 思いついたものが正しければ――それこそ彼の言葉通り、あの童話の通りになるのだろう。

 死ぬ、というからには、グリム版ではなくペローの方か、だなんてまた息が落ちた。

「……その話、詳しく聞かせてもらってもいい?」

「エッ……アッ、ハイ!」

 一気に青年は表情を輝かせる。

 彼が犬だったなら、尾をぶんぶん振っているだろう。

 そんなのが簡単に予想できる表情だった。

「えっとえっと、少し行ったところにスミレの花畑があって、綺麗だから、その、ちょっとでも気が紛れると思うんだ……ア、ヒッ、ごめ、いや、その何かいかがわしいことを考えた訳じゃなくて!」

 言いながらころころと彼は表情を変える。

 童話通りなら、その寄り道から『私』の危険が始まるが――気遣いだとも分かってしまって、無碍にするのは、心が痛んだ。

 青年は手首から手を放し、今度は掌を握る。

 「案内するよ」と言って、その一拍後にぱっと手を離した。

「ヒァ……ごめん、迷うとだめだって思っただけでっ、何かする訳じゃなくてっ……」

「……うん、そこは……何かできるとは思えないし……」

「だ、だ、駄目だよっ……女の子は気を付けすぎるくらいで丁度だって母さんが言ってて、僕は男だし、狼だし」

「いや、うん……それに道が分からないから、あなたの案内が頼りなの」

 だから違和感を覚えなかった、と返せば、ゆっくりと黒い目が瞬く。

 青年は首を傾げ――それからこくりと、頷いた。


 道を行きながら、青年はガルーと名乗った。

 この森で、狩人をしているのだという。

 たったそれだけを聞くのに、大分時間が必要だった。

 白に少しクリーム色を溶かした、そんな色のシャツに、何かの皮でできたベスト。

 丈の長いズボンに、腰のあたりには何かの毛皮を巻いていた。

 先程は気付かなかったけれども、背中には弓と、長い円柱を背負っている。

 ……名前といい、格好といい、日本ではない。

 最近流行の転生――もとい、転移モノ。

 そうとしか考えられない状況に、出かけた溜息をどうにか飲み込む。

 前を歩く青年は耳が良い。溜息の一つでも落としたら、また挙動不審になるだろう。

 ……でも、できるなら深く、深く息を吐きたかった。

 ベッドの上で、そういった小説は読んでいた。『できること』の中で、読書は唯一といっていい趣味だった。

 読んではいたが、あくまでフィクションとして楽しんでいたのだ。

 それがいざ自分の身に起きたって、「え、マジで……?」のような言葉しか出てこない。

「着いた、ここ」

 青年の声に、はっとする。

 少し冷たい風。それに揺れる紫の花。

 野菜のような匂いは、葉っぱの、緑の匂いなんだろうか。こんな森の中は、初めてだから分からない。

 なによりも一面のスミレ畑はとても綺麗で、思わず感嘆が零れた。

 それにガルーは胸を張り、次の瞬間には俯いている。

「……どうしたの」

「えっと……ぼ、僕、君にここを教えて……スミレの花を、おばあさんの所に持っていったら、って……砂糖に漬ければ良い匂いのお菓子になるし、お茶にしてもいい、って」

「うん」

 要領を得ないが、刺激すると挙動不審になるので頷くに留めておく。

 ここに来るまでも少しの動作で挙動不審になり――元に戻るまで、そこそこの時間がかかったのは記憶に新しい。

「……それがなかったら、君は、死ななかったかもしれない」

「ガルーさん」

「ヒッ」

 ……名前を呼ぶのも駄目か。

 一瞬身構えたが――今までとは違い、彼はどうしてかぐにゃぐにゃと、『私』が知っている言葉で表すならば照れ始めた。

「うっ……エッ、ヘヘ」

「……あの、ガルーさん?」

「ヒヒッ……名前、町の人みたいに呼んでもらうの、初めてだ」

 そう言って青年は、ごろんごろんと花畑を転がる。

 嬉しさの隠せない大型犬のようで――いやいいから話を進めろ、と思わなくもない。

「……とりあえず、ガルーさん、でよろしいです?」

「うん、エヘヘ、よろしいです」

「なら、ガルーさん――なんで、私が死ぬって知ってるの?」

 『私』もとい、この体は生きている。

 ちゃんと地に足が付いている感覚も、足元のスミレに触った感覚もある。

 『私』に前世――これで正しいのか分からないけど、多分転生モノなら前世だろう――の記憶があるから「そうかも」と思うけど、そうじゃなかったらちょっと、近寄りたくはない。

 『私』の言葉に彼は目を丸くして、それから俯いた。

 多分、犬だったら耳が伏せられている。

「ゥ、アッ……あの、その……信じられない、とは、思う……でも」

「はい」

「エッ……ええと、その……」

 視線が上がる。長めの前髪の下から、黒い目が真っ直ぐにこちらを見る。

「……僕、は。君と、それからハイジを殺した犯人として、捕まって……」

「え」

「その……お腹、裂かれて、石を詰められ、て」

「おなか、に」

 思わず彼の腹部を見てしまう。服があるから分からないけど、そこに石は入っていないように見えた。

「それで、苦しくて、苦しくて……ある瞬間、楽になったんだけど」

「はい」

「……時間が、戻ってて」

「時間」

「アッアッ信じられないよねっ、ごめんね……でも、狂ったとかじゃなく、死んだ君が生きてて、止めなくちゃって思って……前の時、いつものことだから、君を見送ってっ……ハイジにスミレを持っていくように言わなきゃ、二人とも死ななかった、だから、今度こそ死なせたくなくてっ……」

「――信じます」

「ヒッ……エッ?」

 ガルーさんは目を丸くする。『信じられないと思うけど』を繰り返すのも納得した。

 ……それでも、挙動が不審になって話が進まないのはそろそろ勘弁してほしいけど。

「えっと……『私』も、別の所で死んだ、というか」

「エッ!?」

 煩い位の機械の音や、看護師さん達が指示を出して走る音。

 それに比例してどんどん苦しくなって、もがくことしかできなかったのを覚えている。

 それがある瞬間に薄れて行って、そこから先はよく覚えていない。

 ……でも、多分、死んでしまったんだとは思う。

 もう長いこと、ベッドから出ることもできなくなっていた。直接は言われなかったけど、何となく、理解はしていた。

「……多分、この子に、違う人間が入っている、と、思います」

 馴染んだリノリウムの匂いも、消毒液の匂いもない。

 『前』だったら、ここまで歩くまででも息切れしていただろうけど、今はそんなこともない。

 左胸に手を当てる。どくどく、鼓動は規則正しい。

 信じて貰えないとは思うけど、と言いかけて――ガルーさんの様子に、言葉を失った。

「どういうことだ……僕のは三女神の権能で説明が付くけど……主神の指示で戦乙女が魂を運んだ? それにしては女性みたいだけど……」

 目を瞬かせてから、口元に手を当てて何か考えている。

 ……めっちゃ流暢に話せるやんけ。

 まず浮かんだそれを、頭を振って心の中にしまい込む。

 代わりに息を吸っては吐いて、出来るだけ静かに、彼の名前を呼ぶ。

 それでも、ガルーさんはびくりと体全体を跳ね上がらせた。

「……信じて、くれるんです?」

「えっと……そういうことも、あるんじゃないかな」

「ありますかね」

「ウン……僕は、死にかけてたけど、まだ、生きてた。でも、君は……カルミナは、僕が見つけた時にはもう、殺されてた、から」

「……ええと……」

「魂が神の元に召されているなら、戻った時に足らなくならないかな、と思って」

「あー……足りないから、他所から持ってきた、的な?」

「うん、多分、僕の『巻き戻り』に君が巻き込まれて……ヴァッ、ごめ、何でか本当に分からないけど、僕の所為だ……!」

 ……また挙動不審に戻ってしまった。

 というか、喋れるんだから普通に喋って欲しい。

 そう思ってしまうのは――『前』に接していた看護師さん達が、凄いテキパキしていたからだろう。

「――ガルー」

「はいっ」

「……『私』……この子じゃない、今喋っている『私』もね。死ぬ時、怖かったの」

 冷えていく指先。何かが、決定的に零れていく感覚。

 昔から近いところにはあったけど、最期の時は怖かった。慣れることなんて、最期までなかった。

「……私が死ななかったら、多分、あなたも殺されないのよね?」

「……う、ん」

「じゃあ――協力しましょう」

 手を差し出す。ガルーはきょとんと、その手を見下ろす。

 そうして、小さな息が落ちた。

「……女の子は、もっと警戒した方が、いいと思う……」

「何かする気ならもうしてるでしょ。それに……不審者な動きは、一杯見たし」

「ウッ」

 ガルーは左胸を押さえて、それから俯いた。

 がっちりとした肩が浮いて、沈む。もう一度、息を吐いたのだと分かった。

「……その、不審者と、なんで、協力……してくれるの……」

「だって――死ぬのは、嫌じゃない」

 お腹を裂かれて、石を詰められる。

 語れる、ということは、ガルーはその間意識があったんだろう。そう考えると、背筋が冷えた。

 『私』を見上げた目が丸くなる。そうして――おそるおそる、そうとしか表現できない動きで、ガルーは『私』の手を握る。

 火傷しそうな温度に、あぁ生きていると、そう思った。

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