僕とカメラとじいちゃんの魔法
山本倫木
前編
3年前に亡くなったじいちゃんの笑った顔を、僕は見たことがなかった。
じいちゃんはいまどき珍しい
そんなじいちゃんのことが、けれど、僕は実はけっこう気に入っていた。それは、ひどく雷を落とされる前にばあちゃんがじいちゃんを嗜めてくれたからかもしれないし、じいちゃんが魔法使いだったからかもしれない。魔法使いと言っても、別に杖から火を出すわけでもないし、ほうきで空を飛ぶわけでもない。
初めてみた魔法は、僕が幼いころ、たぶん、小学校に入る前のことだったと思う。じいちゃんが、僕の電車を直してくれたことがあった。電池で動くそれは、いつも無茶苦茶な遊び方をされていたので、いつしかスイッチを入れてもジ…ジ…と悲しげな音を立てて車輪が振動するだけになってしまっていた。
ある日、そんな電車を見たじいちゃんは、ひょいといきなり僕の手からそれを取り上げた。
「貸してみろ」
くらいは、もしかしたら言っていたのかもしれない。とにかく、突然のことに呆気にとられた僕は、口をぽかんと開けたままじいちゃんを見上げていたと思う。じいちゃんは手に持った電車をしばらく眺めていたと思ったら、これなら直るな、と言うと歩き出した。僕は、訳が分からないままついていった。
じいちゃんは作業場の机の前に腰かけると、小さなドライバーを使って電車をあっという間にばらばらにしてしまった。そして、一つ一つのパーツを磨いてから、また、あっという間に組み立てた。全てが一瞬のことで、僕はずっと見ていたはずなのに何が起こったのか分からなかった。けれど、ジイイと小気味良いモーター音を立てて動くようになった電車を見て、ようやくじいちゃんが魔法を使ったのだと理解した。
さすがに、もちろん今では、じいちゃんがおもちゃを分解整備してくれたのだと理解している。でも、手先が器用だったじいちゃんは、それからも、よく僕のおもちゃを直してくれた。電車も、ローラースケートも、ゲーム機のコントローラだって、何でもだ。だから、この世には魔法が存在していて、じいちゃんは魔法を使えるのだという考え方は、僕にとっては最近までリアルな感覚だった。
そんなじいちゃんとばあちゃんの家に盆と正月に帰省するのは、僕が幼かったころから続く我が家の伝統だった。じいちゃんが亡くなってからもそれは続いていて、でも、もうそろそろ、ばあちゃんを一人にしてはおけないから帰省できるのも終わりかも、なんて事を父さんと母さんが話しているのを耳にしたことがある。
「おじゃまします」
僕は小声で言いながら、もう使われなくなった作業場に続く戸を開けた。僕はじいちゃんの職場でもあったその部屋を探索しようと思っていた。いまだにネット環境も整わないこの家は、長くいるとどうも退屈になる。じいちゃんの家に来るのが嫌いなわけではないけれど、無線LANがないのは百歩譲って仕方ないとして、山間のこの地域は携帯の電波も途切れがちなのだ。
じいちゃんが来ることが無くなった部屋は、静かで暗くてひんやりしていた。半分閉められたカーテンが、冬の柔らかい日差しを遮っている。壁は一面棚になっていて、よく分からない工具や道具が所狭しと並べられている。物が多いわりに雑多な印象を受けないのは、きっと、僕には理解できないだけで一定のルールに従って整頓されているからだろう。この部屋はじいちゃんが生きていたころから時間が止まっているみたいだった。
「久しぶりにこの部屋、入ったな」
僕は少し楽しくなった。
棚の端から順番に、置かれている物を眺める。スコップ、ロープ、三角コーン、何に使うのか分からない電動工具、バケツ、でっかい巻き尺、その他もろもろ。どれも年季は入っているけれどホコリはそれほどかぶっていなかった。ばあちゃんが今でもたまに掃除をしているのかもしれない。棚の反対側の壁には、大きな作業机があった。古びてはいるけれど、磨かれて黒光りしている。
「あ、この机…」
懐かしいな、と思った。よく、おもちゃを直してくれたのはこの机の上だった。机の上には重そうな工具箱と、他にもう一つ置いてあるものがあった。丸みを帯びた手のひらサイズのそれは、黒い机の上で白いボディを輝かせていた。手に取ってみると、程よい重さが手になじんだ。
「じいちゃんのカメラだ」
このインスタントカメラには覚えがあった。何かの折、じいちゃんが仕事に行くのに、なぜか僕も付いて行ったことがあった。今思うと、仕事の邪魔にしかならない子供をよく連れて行ってくれたなと思う。子供の足で歩いて行けたので、ご近所のちょっとした修繕だったのかもしれない。確か、ドアの修理だった。
じいちゃんはドアを何回か開け閉めして調子を確認した。ドアはギチギチと、気味の悪い音を立てていた。じいちゃんは、音のする箇所をこのカメラで何枚か写真を撮って、出てきた写真を丹念に眺めていた。
「なんで写真撮るの?」
と、僕は聞いたと思う。じいちゃんは応えずに、写真から目を離すと黙々と手を動かしはじめた。やがて、次にドアを動かしたときには、もう変な音は鳴らなくなっていた。
「写真はな、本当のことが写るからな」
じいちゃんがそう言ったのは、帰り道もほとんど家に着くころだった。さっきの僕の質問に答えたのだと気づくのに、少し時間がかかった。
「人の目で分からんものも、写真になると気づくことがあるんだ」
じいちゃんの答えに、僕が何と返したのかはもう覚えていない。
〇
「おばあちゃん、電池ある?」
「あら、たいくん。どうしたの、そのカメラ?」
「じいちゃんの部屋で見つけたんだけど、動かないみたいでさ」
僕はインスタントカメラという物を触ったのは初めてだった。電源ボタンらしいものを押しても何の反応もないので、電池がないのだろうと思っていた。
「あー、お父ちゃんがたまに使っていたカメラだねえ。懐かしいわ」
はいはい、電池だね。というとばあちゃんは台所の引き出しから出してくれた。
「へえ、こんな電池なんだ」
細長い単三電池を想像していたら、出てきたのは違うものだった。これはだいぶ小さくて丸っこい。
「お父ちゃんは仕事でも写真撮ることがあったみたい。予備の電池もよく買い置きしていたから、まだあるわよ」
「そうなんだ、ありがとう」
電池ボックスはカメラの裏にあった。フタを開けて、古い電池と入れ替える。僕は電源ボタンを押した。
「…動かないよ」
「ありゃ、貸してごらん」
言うとばあちゃんもカメラを手に取って、電源ボタンを押した。カメラは死んだように黙ったままだった。
「こりゃ駄目だねえ」
「壊れちゃってるの?」
「そうだねえ」
カメラを受け取りながら、僕はがっかりした。せっかく、面白そうなものを見つけたのに。
「おう、二人でそろって首をかしげて。どうしたよ?」
台所の狭い入口から身を屈めるようにして、父さんがやってきた。正月だからって昼間から呑んでいるみたいで、いつもよりご機嫌だ。とっくりを持っているところを見ると、お酒のお代わりに来たのだろう。僕のこれまでの説明をふむふむと相槌を打ちながら聞くと、父さんもカメラを取り上げてこねくり回した。しばらくカメラをいじっていた父さんは、ややあってから、いたずらを思いついた子供みたいに僕を見てニヤッと笑った。
「大河」
「…なに?」
面倒なことを言い出しそうな予感がした。
「これ、直してみないか? うまいこと直ったら修理代もやろうじゃないか」
「えっ?」
とんでもないことを言い出した、と思った。
「じいちゃんの形見なんだろ。お前が直せたらじいちゃんも喜ぶよ」
「お父さんが直したって、おじいちゃんは喜ぶでしょ」
父さんは家電メーカーのエンジニアだ。どんな仕事をしているのか詳しくは知らないけれど、直せるものなら僕よりも父さんのほうが得意だろう。僕は当然のことを口にした。
「俺もついていてやるが、お前もどうせヒマなんだろ? ダメでもともと。じいちゃんの作業場になら必要な道具は一通りそろっているからさ」
僕にできるかなぁ、助けを求めるようにばあちゃんを見てみる。
「面白そうじゃない。たいくん、やってごらんなさいよ」
ばあちゃんまで。
「頑張れよ、大河」
「がんばってね、たいくん」
そういうことになってしまった。
次の更新予定
僕とカメラとじいちゃんの魔法 山本倫木 @rindai2222
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