第4話 前世の記憶


「……前世の記憶だぁ?」


「うん。こことは異なる世界。異なる時代を生きた記憶があるんじゃないかとね。かくいう私も前世の記憶があるんだよ」


「へ? あ、そ、そうか……?」


 あまりにあっさりとした告白に、そんな間抜けな反応しかできない俺だった。


「さて。ボクも正直に話したんだ。キミももちろん正直に話してくれるよね?」


「なんだその押し売りは?」


「こうすれば、キミなら素直に答えてくれるんじゃないかなぁと思ったのだけど?」


「俺のことをどんな善人だと思っているんだよ……」


「違うのかい?」


「……ここで誤魔化すのは、まぁ、面白くはないわな」


 はぁああぁ、とため息をついてから俺は改めてシャルロットと向かい合った。とはいえ御者台に座っているので腰を捻って上半身を向けるだけだが。


「そんなことを質問してくるってことは、確信を抱いているんだよな? だが、俺とシャルロットはそこまで親しい付き合いをしてきたわけじゃ無いと思うんだが……」


「うん。キミとボクの薄い交流では、前世の記憶の有無を確かめるどころか好きな食べ物のことすら知らないだろう。だからこそ、さっきのやりとりで確信を抱いたんだよ」


「さっきの?」


 何かおかしいことを言っただろうかと首をかしげていると、シャルロットが『にゃーん』とばかりに猫の手をした。


「ボクは言った。『猫を被っている』と。だが、この世界にそのような慣用句は存在しないんだ。そもそも猫自体が貴族のペットとして何とか生き延びているだけの希少種だし。慣用句に使われるほどの馴染みはない」


「……あー」


 何という凡ミス。変な言動はしないよう気をつけていたんだが、シャルロットの方から前世言葉・・・・を使ってきたので油断したというか気を抜いていたというか。


「…………」


 前世の記憶がある、なんて言い出したら狂気を疑われるか疲れているのかと心配されるだろう。


 だが、今回はシャルロットから言い出したことだし、なにより『猫を被る』という言葉は前世の記憶がなければ使えないだろう。


 というわけで、俺も正直に話すことにした。


「ハッキリとは覚えていないんだがなぁ。まったく別の世界で暮らしていたときの夢を見たりすることがある」


「それは、ただの夢というわけではなく?」


「夢にしてはリアリティがあるし、なにより、ずっと同じ人間として暮らす夢ってのも中々無いんじゃないか?」


「なるほど……。確かにキミには前世の記憶がありそうだ。『リアリティ』なんて言葉を自然に使っているのだからね」


 どこか嬉しそうにくすくすと笑うシャルロットを見ていると、なぜだか申し訳ない気持ちになってしまう。


「すまんが、前世の思い出話ができるほど覚えてはいないんだ」


「いや、謝ることはないよ。『前世の記憶』がボクの妄想じゃなかったと分かっただけでとんでもない収穫なのだからね。……いやしかし、そうか。では、ヒロインとか悪役令嬢という単語に聞き覚えは?」


「凄くあるな。まぁ、こっちの世界で、だが」


「あぁ、やはりそうなってしまうか。う~ん、ちょっと調べたことがあるけど、今流行の演劇以前にもあったみたいだからねぇ。ボクたちの他にも前世の記憶持ちがいたのだろうか……?」


 しばらく唸るように悩んでいたシャルロットだったが、仕切り直しとばかりに両手を叩いた。


「とにかく。前世をよく覚えてはいないとなると、『シナリオ』を狂わせるために行動していたわけじゃないんだね?」


「シナリオ?」


「うん、そう。シナリオ。憐れなボクは『悪役令嬢』に仕立て上げられ、冤罪によって追放。魔の森に捨てられて命を落としてしまうというシナリオさ。なんて可哀想なんだろうボク!」


「はぁ……」


 なんかどっかで聞いたことがあるような話だな。妹が演劇とか好きだし、似たようなものをオススメされたことがあったのか?


「……キミね、少しくらい同情してくれてもいいんじゃないのかい?」


「同情して欲しかったらもうちょっと深刻な顔と声で話すんだな」


「それもそうか」


「……いや、実際、なんでそんな軽い態度なんだ? シャルロットが婚約破棄され、追放されたのは事実。そしてこれから魔の森に捨てられ、命を落とすのが『シナリオ』なんだろう?」


「キミはボクたちを魔の森に捨て、いそいそと王城に帰ってしまうような鬼畜なのかい?」


「……いや、バカ正直に捨てる気なんてないさ。のんびり進んでいれば王太子の乱心を知った国王陛下が命令の取り消しの早馬を遣わせてくださるだろうし。もしもそれがなくてもテキトーなところで逃がしてやるよ」


「さすが。ボクが見込んだ男なだけはあるね」


「見込まれるような言動をした覚えはないんだがなぁ」


「ふふっ、人間性というのは普段の立ち振る舞いからにじみ出るものなのさ」


「そんなものかね?」


「そんなものさ」


 まるで年上のお姉さんのように妖艶な笑みを浮かべるシャルロットだった。弟の(元)婚約者、つまりは俺よりも年下だというのにな。


 自然と会話が途切れ、しばらく沈黙の帳が降りる。


 どちらからも喋りだそうとしない静かな時。普通なら居心地が悪くなってしまうはずなのに――不思議と、心地よさすら感じてしまう俺だった。


 シャルロットはどうだろうか?


 そんなことを考えていると、沈黙を打ち払うようにシャルロットが俺の肩を叩いてきた。


「ボクにとって、キミは希望そのものなんだ」


「……どういうことだ?」


「前世の記憶を思い出してから、ボクは『シナリオ』を変えるために行動してきた。両親の不仲を改善させようとしたり、婚約者殿と良好な関係を築こうとしたり……。だが、定められた運命シナリオの強制力とでも言うのかな? ボク一人がどう動こうとも、シナリオの大きな流れを変えることはできなかったんだ」


「ほーん」


 シャルロットも頑張っていたようだが……正直、彼女の軽い口調では深刻さがまるで伝わってこなかった。


 そんな俺の反応にシャルロットは不満げだが、とりあえず話を纏めることを優先したらしい。


「そんな中。ボク以外で唯一シナリオと異なる動きをしていたのがアーク・ガルフォード侯爵令息――つまりはキミだったのさ」


「へぇ? 俺はその『シナリオ』ではどんな動きをするはずだったんだ?」


「弟の婚約者である悪役令嬢ボクに一目惚れをしたキミは、弟から婚約者としての地位を奪うために暗躍するのさ。悪役令嬢の言いなりになってね。弟を貶めようとしたり、ヒロインを誘拐しようとしたり……。物語の役割で言えば『悪役騎士』ってところかな」


「一目惚れ、ねぇ?」


 確かにシャルロットはとんでもない美少女だが、理性を狂わせるほどではない。最初から『弟の婚約者・未来の家族』として出会ったのだから、そんな感情を抱くはずがないのだ。


「そう。その反応が普通だ。けれど、シナリオに支配された世界ではそれが異端だった。ボクがキミに注目していた理由、これで分かってくれたかな?」


「……シナリオを狂わす鍵になり得ると?」


「そう。きっとそうなるとボクは確信しているんだ」


 語るべきことは語り終えたのか、満足そうな顔で背もたれに上半身を預けるシャルロットだった。


 不思議なものだ。


 シナリオなんてものを語られれば、普通はドン引きしてしまうというのに。シャルロットが言うなら事実じゃないのだろうかと思わされてしまう。


 これは、シャルロットが俺好みの美少女だから信じてしまう――という理由じゃないことを祈るとしよう。


「……そういえば、シナリオってことは大本の物語があるのか? 小説とか、演劇とか……」


「あぁ、そうだった。『グラン・サーガ ~破滅の王国と七人の騎士~』という名前に覚えはあるかな? まぁ、マイナーな女性向けゲームだから知らないだろうけど」


「――――」


 情報が、濁流のように押し寄せてきた。


 曖昧だった前世の記憶が、急激に鮮明な実感として蘇ってくる。


 グラン・サーガ。


 あぁ、

 あぁ、


 それは・・・俺が書いた物語・・・・・・・じゃないか。

 前世において、俺が初めてプロとして書いた作品じゃないか。


 物語の序盤から中盤。


 ヒロインと七人の騎士の仲を深めるために準備された、都合のいい四人の悪役令嬢。


 聖なる力を持ったヒロインに数々の嫌がらせをして、ついには殺人未遂にまで発展。最終的には婚約破棄からの追放。魔の森に捨てられて魔物に食い殺される最後を迎えることとなる。


「? アーク君? どうしたんだい?」


 心配そうにシャルロットが俺の顔を覗き込んでくる。


 ――人間だ。


 物語を回すために準備された都合のいい舞台装置悪役令嬢ではなく。シャルロットは、一人の人間として今まで生きてきて、こうしてこの場で俺と喋っている。


 そんな彼女が。ほかの令嬢たちが。冤罪によって追放され、魔物に食い殺される結末なんて――あってはならないことだ。


 すでに追放はされてしまった。

 ならば、俺は俺にできることをするだけだ。


「――安心しろ。お前らは俺が守ってやる」


「え、あ、うん。それは頼もしいけど……大丈夫かい? ずいぶんと顔が青いけど」


「あぁ、一気に前世の記憶が戻ってきてな。ちょっと混乱しているかもしれないな」


「それはいけないね。少し休憩しよう。他のみんなも婚約破棄のせいで精神的ショックを受けているだろうし。普通より小まめに休憩しながら進もうじゃないか」


 そんな気を使えるシャルロットは、やはり悪い人間ではないのだろう。







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