第12章「外の世界へ」
翌週末、瑛士と千紗は、例の秋祭りポスターに記されていた主催団体——地元の「三葉町振興会」へ足を運んだ。振興会の事務所は駅前商店街の裏手にあり、古い瓦屋根の建物が商店街を見下ろすように建っている。何十年も地域の行事を取り仕切ってきた風格が、ひび割れた外壁や木製の看板の質感に滲んでいた。
ドアをノックすると、小柄な女性が出てきた。歳は五十代くらいだろうか、金色のフレーム眼鏡をかけ、淡い色合いのカーディガンを羽織っている。笑顔で二人を迎え入れた彼女は、事務所の一角で書類を整理していたらしい。棚や机には、過去の祭りのポスターや案内チラシが積まれている。
「いらっしゃい、ボランティア希望の高校生さんたちね? あなたたちが問い合わせた瀬尾くんと有坂さんかな」
「はい、瀬尾瑛士です」
「有坂千紗です。よろしくお願いします」
二人は緊張しながら頭を下げる。学校の先生に話すのとは違う緊張感——社会人相手に自分たちの企画を通すには、毅然とした態度と丁寧な口調が必要だ。心なしか瑛士は、背中に冷たい汗を感じていた。
女性は「私は安藤と言います、よろしくね」と柔らかく微笑み、二人を会議テーブルへ案内した。
「秋祭りのボランティアに申し込みたいということだけど、具体的にどんなことをしたいの?」
千紗が目で合図し、瑛士が資料を出す。簡単な企画メモだ。
「僕たち、学校の文化祭でクラスメイトたちの日常を映像にまとめる活動をして、好評だったんです。それで、今度は地域の行事を記録して、映像を作ってみたいと思ってます。秋祭りの裏側の準備や、参加しているお店の人、訪れる家族連れ……そういうものをカメラで追いかけて、町の魅力を伝えたいんです」
瑛士の声は少し震えているが、丁寧な説明を心がける。
安藤は腕組みしてしばし考え込む。部屋には古い柱時計の秒針が微かに響く。
「なるほど、映像ね。最近はSNSや動画共有サイトで、町おこしの動画もよく見るけど……あなたたちは学生さんでしょ? 最終的にこの映像はどうするつもり?」
千紗が口を開く。
「はい、まずは学校の中で発表することも考えています。でも、もしできれば地域の方々にも観てもらいたい。振興会や商店街に協力してもらえたら、何かのイベントで流してもらえたり、SNSで紹介したりできたら嬉しいです」
「ほう、なるほどね。高校生が町を映像で伝える……面白いアイデアだわ。うちは今、秋祭りが昔ほど盛り上がらなくなってきて、特に若い世代の参加が少なくてね。あなたたちが若者目線で町の魅力を掘り起こしてくれるなら、新しい風になるかもしれない」
安藤は笑みを深める。その言葉に瑛士と千紗はほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあ、ボランティアとしてのお仕事もお願いしようかな。祭りは来月中旬。準備はもう始まっていて、山車(だし)の修繕や飾り付け、屋台の配置決めなど色々あるの。あなたたちが手伝いながら撮影してくれるなら、他の役員にも説明しやすいわ」
「はい! ぜひ手伝わせてください」
二人は声を揃えて答える。嬉しさと緊張が入り混じり、わずかに頬が強張る。
打ち合わせが済むと、安藤は過去の祭りの写真アルバムを見せてくれた。今よりずっと賑やかだった頃の商店街、和服姿で踊る女性たち、夜空を彩る提灯行列、子どもたちが笑顔で金魚すくいをするシーン……その写真には、今では見られない活気が詰まっているようだった。
「今は人が減って、派手なイベントも難しいの。予算も人手も限られてるしね。でも、映像でこの町の昔と今を繋ぐことができたら、ひょっとして人が戻るかもしれない。あなたたちには少し期待してるわよ」
安藤の言葉には、微かな希望がにじむ。地域行事を存続させるために奮闘する大人たちの姿が垣間見える。
事務所を出ると、二人は夕暮れの商店街へ歩み出た。すれ違う人々はまばらで、中には通学帰りらしき中学生もいる。シャッターが半分降りた店先には猫が丸まって眠っていた。
「うまくいったね」
千紗が小声で言う。
「うん。初めてにしては上出来じゃない? 正直、もっと渋い顔をされるかと思ってた」
瑛士は心底安堵している。学校外の大人たちに自分たちの企画を説明するなんて、初めての経験だった。そのハードルを超えられたことが少し誇らしい。
「これで秋祭りの撮影の土台はできたね。後は、実際に祭りの準備の現場で撮らせてもらう流れかな」
「うん。あと、学校の先生にも相談しないと。万が一、外部で撮った映像を学校で見せるなら、指導がいるかもね」
千紗は相変わらず抜け目がない。実務面の対応も彼女にお任せあれ、といった頼もしさがある。
帰り際、道端の自動販売機でジュースを買い、二人で並んで飲む。柔らかな明かりが揺れる商店街の街灯が、地面に淡い影を落としていた。
「ふと思ったんだけど、誰に見せるんだろうね、この映像」
瑛士がポツリとこぼす。
「さっき安藤さんも言ってたけど、最初は学校で発表できるかもしれないし、商店街のイベントで流すかもしれない。地域の人だけじゃなく、私たちと同年代の子たちにも観てもらえたらいいな」
千紗の瞳は遠くを見つめている。そこには、単なる自己満足ではない、誰かの心を動かしたいという欲求がある。
「また撮った映像で、人の気持ちが変わるとしたら素敵だよね。あの文化祭みたいに」
瑛士も微笑み、過去の成功体験が背中を押してくれる気がした。映像は人を繋げる媒介になり得る。たとえ小さな変化でも、誰かが笑顔になれば、それは意味のあることだろう。
翌日、学校で顧問の山之内先生に相談した。物理教師の彼は淡々と「まあ、校外活動として顧問に報告してくれるならいいよ」とあっさり許可を出す。
「ただし、ちゃんと撮影対象の人に許可をもらうこと。あと、編集した映像を出す前には私にも見せてね。事故防止だ」
教師として当然の指示だが、これで行動しやすくなった。
また、軽音部員の中には「また音楽提供するよ」と言ってくれる者もいて、少しずつ制作環境が整っていく。
新たな挑戦に踏み出した二人の姿を見て、クラスメイトたちはどう反応するだろうか。麻里は「面白そうじゃん! お手伝いできたら言ってよ」と笑っていた。鷹野は無関心を装っているが、時々耳を傾けているようにも見える。前回の映像が彼らの関係性にしなやかな絆を残したことで、今は強引な引き込みをせずとも、必要なときに必要な人が助けてくれる空気があるのが心強い。
放課後、二人は再び駅前商店街へ向かった。振興会事務所で教えられた山車の保管場所や、祭り前に打ち合わせをしているという神社裏の集会所を下見しておくためだ。
陽が落ち始める頃、狭い路地の先にひっそりと建つ神社を見上げると、屋根の上でカラスが鳴いている。苔むした石段や風化した鳥居が、地域の長い時間を物語るようだった。これも映像に収めたら、昔と今が重なり合うニュアンスを出せるかもしれない。
「楽しみだね」
千紗が素直な声で言う。瑛士は頷く。
「うん、わくわくする。学校の中だけじゃなくて、こんな風に外にも物語があるなんて、考えもしなかった」
「外の世界は広いんだよ。まだ私たち、ほんの一部しか知らないんだから」
その言葉に瑛士は目を細める。千紗の横顔は、いつも前を見ている。過去に撮った映像や記憶にしがみつくのではなく、これから先を求めて、歩み続けようとしている。
秋祭りまであと数週間。準備段階での撮影許可はおりた。人々が山車を磨き、提灯を飾り、売り子が品物を並べる、その全てを切り取りたい。
そして当日、祭りが最高潮に達するとき、彼らのカメラは何を映し出すのだろう。文化祭の映像以上に困難はあるだろうが、同時に大きなチャンスでもある。
月の淡い光が商店街のアスファルトを照らし、二人の影は並んで歩く。映像にはまだ無い、未撮影のシーンが無限に待っている気がした。すべてが新鮮で、すべてが挑戦だ。
こうして、瑛士と千紗は学校という小さな世界を抜け出し、「外の世界」へ足を踏み入れる。映像は単なる記録ではなく、人と人を結ぶ橋渡しになるかもしれない。
次のページをめくるように、二人は静かに前進する。その足元には、秋風が舞い上げた落ち葉がカサリと音を立てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます