世話を焼かせる能力

秋都 鮭丸

1

 人生というのは、思っていたよりあっという間だ。30代になって、時の流れに振り落とされそうになる。学生の頃は、1年はもっとずっと長かったような気がしたのだが、今では新しい年号を書き慣れる前に次の年が来てしまう。

「このままじゃ、気を抜くとすぐに人生のゴールだ」

 私は虚空に向かって呟いた。


 私が店長兼店主を務めるこの居酒屋は、年末の忘年会営業を乗り越え、ようやく一息ついた。食料の調達ルートも休業に入るため、年末ぎりぎりと三が日は、ウチも休みにしている。店内の大掃除がまだ残ってはいるが、仕事納めも近づいている。冷たく乾いた青い空、その頂点に日が昇ろうという頃、約束通り、彼らは現れた。

「ハシモト! 元気か!」

「ははっよく来たな、ハセガワ!」

 ハセガワは学生時代の友人の1人だ。就職を機に地元を離れ、その地でいい人に出会い、結婚した。そして——

「こんにちは、アイちゃん」

「……こんにちは」

 ハセガワの足に半身を隠しながら挨拶を返したのは、4歳になったばかりの女の子。ハセガワの娘、アイちゃんだ。


「奥さんが2人目妊娠中でね。義実家にいてもらって、今年はアイと二人でこっち来たんだよ」

「2人目? めでたいね、おめでとう」

 ハセガワ親子を店内に通し、広めの座敷へ案内する。軽めのつまみとノンアルのドリンクを用意して、私もどっかり席に着いた。

「わ~アイちゃん、初めまして~!」

「こっちおいで~お姉ちゃんたちと遊ぼ~」

 ぼったくりでもしそうな誘い文句を吐いているのは、我が居酒屋の現アルバイトと元アルバイトの二人。カタヤマとヒナタだ。友人が4歳の娘を連れてくる、なんて話をぽろっとしたら、「店長みたいなおじさん相手じゃ、娘さんが退屈じゃないですか!」とまで言いやがった。だがまぁ否定はできない。それでわざわざ、休業の日にバイト先まで押しかけてきてくれたのだ。

「ありがとうね、お二人さん。ほらアイ、お姉さんたちが遊んでくれるって」

 父親に促され、アイちゃんは遠慮がちに二人に近づいた。私に対しては父を盾にしていたというのに、若い女二人に対しては平気そうだ。私は以前もアイちゃんに会ったことがあるというのに。わずかな悔しさに口角の片方をあげる。

「やっぱ女性相手は平気なことが多いんだよ。男はだめだね。俺以外は」

 俺の表情を見た上で、ハセガワは自慢げにいった。まったく、幸せそうな顔をしやがって。


 カタヤマとヒナタの二人にアイちゃんの世話をしてもらっていたおかげで、ハセガワとはゆっくり話ができた。思えば、随分久しぶりな気がする。

 学生の頃は、毎日毎日顔を合わせて、散々笑い合ったものだ。ゲームに夢中になって、そのまま夜を明かしたり、距離の離れた映画館まで、自転車で30分かけてこぎ続けたり、酒が飲めるようになったかと思えば、コップをひっくり返して店員さんに謝ったり。そんな日々が、過去のものになるなんて、夢にも思っていなかった。もしくは、もっと劇的な何かがあって、これらが過去になるんだと思っていた。

 現実はもっと滑らかで、劇的な何かはなくて、気が付いた時には、後戻りできないほどに変わっている。友人は遥か先に行き、自分はずっと、同じ場所で足踏みをしているかのようだった。

「ハセガワ、お前が幸せそうでよかったよ」

「まぁな。でも、お前はお前で幸せだろ?」

「そうか? 俺は相手もいないぞ」

「おいおい結婚だけが幸せなんて、もう古いぞ。自分の店持って、ちゃんとうまくやって、んでこんないい子達がバイトに来てくれてんだろ? 大成功してるじゃねぇか」

 自分を客観視することは、できていると思っていても、案外できていないのかもしれない。友人が遥か遠くにいる気がしたのは、自分が立ち止まっていたからではない。同じ時間分、違う道を歩いていたから。一人一人の人生の道の、目指す形が違うから。ハセガワの言葉は、私をそんな気持ちにさせてくれた。


「そうだな、俺も幸せだ」

 私達は、あの日々のように笑い合った。


「そうだ、歩いてきたんだよな。迎えを呼んどくか? 贔屓のタクシードライバーがいるんだが」

「お、アオヤギか!? アイツまだ赤信号にひっかかってねぇの?」

 アオヤギは私とハセガワの共通の友人だ。彼には類まれなる才能、赤信号にひっかからない「道を譲らせる能力」がある。嘘みたいな話だが、私の観測する限りは事実だ。

 そう、この世界には信じられない能力を持った人間がいる。そこら中に潜んでいる。

「何を隠そう、そこの二人も特異な才能を持っているからな」

 アイちゃんと遊んでいる、いやひょっとしたら遊ばれている二人を差しながら、私は自慢げにいった。

「おいおいなんだよ才能って、手品でもできるのか?」

「手品なんてちんけなものじゃないぞ。まずあっちの、カタヤマって子はな、なんと、必ず靴下の片方をなくす……『靴下を離別させる能力』を持っている!」

「おぉ……ん?」

 私は大げさに言ってみせたが、ハセガワはきょとんとしていた。

「それは……ズボラとかそういう話ではなく?」

「違うさ、世界の真理レベルで彼女の靴下は片方なくなる。その代わり、もう片方は絶対になくならない」

 そう、この能力の肝は「もう片方の靴下はなくならない」という部分だ。必ず彼女の元に、野生動物の帰巣本能のごとく戻ってくる。これは実に面白い。活用方法は色々とありそうではないか。

 ところがハセガワは「あっそうなんだ」くらいの反応である。まったく、この素晴らしさが伝わっていないな?

「じゃあもう1人は?」

「もう1人、ヒナタさんはな、いついかなる時も太陽の正確な方向がわかる、『太陽を指し示す能力』だ!」

「へー」

 既に興味がなさそうだ。

「おい、これの凄さが伝わっていないな? 太陽の方向が分かわかることで、正確な時刻が把握できるんだぞ!? 1分1秒狂わずだ!」

「あぁ、まぁ、便利だね」

 生返事を返しながら、ハセガワは顎に手をあてた。彼らの才能の素晴らしさを伝えきれなかったことが歯がゆい。努力ではどうやっても越えられない壁の先に、彼ら彼女らはいるというのに。


 悔しさを噛みしめる私を尻目に、ハセガワは「待てよ」と呟いた。

「どうした、彼女らの能力の素晴らしさに気付いたか?」

「いや、俺さ、他人の世話とかできる気がしなかったんだよ。親戚にちっちゃい子がいても全然相手できなかったし。でも、でもだぜ?」

 こいつ最初に「いや」って言ったぞ。能力の素晴らしさには気付いていないらしい。

 そんな私を余所に、ハセガワは身を乗り出した。

「娘の、アイの世話ならいくらでもできる。今だって初対面の若い子二人に世話をさせてもらっている——」


「アイには他人に自分の世話をさせる、『世話を焼かせる能力』があるんじゃないか!?」

「うん、それは『親バカ』だ」

 私達はもう一度、一際大きな声で笑い合った。

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