22 だっこです!
「すいません、ちょっと突然血の匂いがしたので、驚いてしまって」
「………気付かなかったわ。そう言えばカヤちゃん、ハナも良かったのよね……」
師匠は少し顎を上げて目を閉じ、少ししてからそう言います。
私の方を向いたその表情は驚き半分、関心半分といった様子です。
「もしかすると、例の人の痕跡かもしれないわ」
「はい、急ぎましょう。多分方向もわかるので、先導します」
「警戒は私がやるわ。カヤちゃんは、怪我しないようにだけ気を付けて」
「はい!」
血の匂いが、男の子自身のものか、その他野生動物のものかはわかりませんが、腐臭ではないとなれば、新しい痕跡である可能性が高いです。
楽しさに浸るのはおしまいにしましょう。
少し駆け足で不安定な斜面を進みます。
「……多分、もうすぐそこです」
「ええ」
私の呟きに、師匠は簡単な相槌で答えます。集中しているのでしょう。
先ほどのやり取りの通りに、警戒は任せて歩き続けます。
「この辺りです。……随分、荒れてますね」
「気を付けてカヤちゃん。近くに生き物の気配は無いけど、なんだか不穏だわ」
「はい」
平坦な地形。所々めくれ上がった地面。
獣の足跡にしては、必要以上に荒れています。
野生動物同士の縄張り争いの可能性もありますが、もっと別の可能性を、私たちは知っています。
先ほどから鼻につく血の匂いも、かなり強くなっています。
ソレの源に向けて、私は足を進めます。
平坦な地形の切れ目、斜面際の……あの低木辺りでしょうか。
「……死骸、ですね。ツノイシで、しかも手付かずです」
「ふむ……死因は分かる?」
「はい。多分、刀傷です」
「なるほど、まずいことになったわね」
何がまずいのかを聞く必要はないでしょう。
ここまでの道中、獣の死骸が無かったわけではありません。
私たちはツノイシの死骸が一つ、川沿いに埋められていたのを確認しています。
あの埋められた死骸は、まず間違いなく、あの男の子の手によるものでした。
それに比べて今回の死骸は、何かに食われたり、はぎ取られたり、埋められたりもしていない、完全に手付かずの死骸です。
一度は埋められた死骸を確認している以上、男の子が意図的にこれを放置したとは考えにくく、傷口は奇麗ですから、野生動物の仕業とも思えません。
だとすれば、可能性は一つ。
男の子は、この死骸に手を付けなかったのではなく、手を付けられなかったのでしょう。
おそらくは、死骸の後処理をするだけの余裕が無かったのです。
「師匠、他の痕跡を探しましょう」
「必要無いわ。こっちを見て」
「えっ? あ……」
削られた地面、盛り上がった土、そして……斜面へと続く血痕。
私は息を詰まらせて、斜面の方へ走り寄ります。
……薄暗くて、下は見えません、微かに見えたのは……所々、落ち葉のなくなった……何かが転がり落ちたような跡でした。
「急がないと!」
「待って!」
地面に手を付いたところで、師匠に呼び止められます。
どうして……いえ、当たり前です。日はもう随分斜めになって、斜面の底の方は見えなくなっています。
今の私はあまり冷静ではありません。一度落ち着いて……
「カヤちゃん、突然だけど私と手、繋いでくれる?」
「えっ?」
手をつなぐ?
確かに師匠の手を握れば安心できますし、落ち着くこともできると思いますが……いえ、そういうわけではなさそうです。
師匠の真面目な表情を見て、私は落ち着きを取り戻します。
「一気に降りるわ。尋常じゃない数の何かが近付いて来てる」
「っ、はい。ツノイシですか」
差し出された師匠の手を取り、私は少しの疑問をぶつけます。
「わからない。けど、さっき調べた限り、ここは大きな獣道みたい。ツノイシは夜に移動するから、必ずここを通るでしょうね」
「なるほど、だったら……」
「ええ、今すぐここを離れて、ついでにあの男の子も探しに行きましょう」
なるほど、降り始めれば、気を引き締めすぎて、まともに会話はできなくなるかもしれません。
今のうちに作戦を共有してくれるあたり、やっぱり師匠は冷静です。
「わかりました……でも、降りるんだったら。手も使って降りた方がいいんじゃ……?」
片手が不自由な状態で、お互いの重心を支え合うのは至難の業です。
なにか特別な理由がないなら、それぞれ別れて降りた方が……
「それはね……よっと!」
「えっ?」
突然、左手で引き寄せられ、師匠の目の前に立たされます。
「こうやって……よっこらしょい!!」
「ええっ!?」
今度は背中とバックパックの間に腕を回され、そのまま抱きかかえられます!
いわゆるだっこ。だっこです!
私も結構大きくなりましたし、バックパックもありますし、右手には杖を持ったままなのに、余裕のだっこです!
いやまあ、反射的にしがみついた私の協力もありますけど!
「し、師匠? 説明してください!」
「ごめんごめん、でも、もう行かなくちゃ」
「ええっ!?」
抗議の声も虚しく、師匠が足を踏み出した感触が伝わります。
私から見て後ろの斜面に、当たり前のように踏み込んで……
いや、なにをするかはわかりますけど! なにするかはわかりますけど!!
「一気に下るわよ! しっかり捕まってて!!」
「許可くらい取ってください師匠おぉ!!」
杖を握った、師匠の右腕が脇から抜かれ、咄嗟に師匠の肩を抱いてしまいます。
そして全くの予想通りに……師匠と私は、斜面の下へと飛び込みました
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます