第28話──本が眠る場所で──

訓練場を出た海は、迷わずフィリアのもとへ向かった。


昼下がりの中庭。噴水の音が心地よく響く中、花々に囲まれたベンチに、フィリアは一人、魔法の書を読んでいた。


その光景はまるで絵画のようで、海は一瞬声をかけるのを躊躇したほどだった。


「……あの、フィリアさん」


呼びかけると、彼女は顔を上げ、にこりと微笑む。


「あら、海様。どうしたの?」


「ちょっと、聞きたいことがありまして……えっと……この世界に図書館って、ありますか?」


「図書館……? ああ、あるわよ。正確には《中央魔導書庫》って言うのだけど、魔導士団の管理下にあって、古今東西の魔導書や研究文献が収められているの」


「良かった……やっぱり、知識の集積所って存在するんですね」


海は心底安心したように息をついた。


「僕、今、ちょっとした研究をしてて……どうしてもこの世界の知識が必要なんです」


「……また、何か新しいことを始めようとしてるのですね」


フィリアは目を細め、書を閉じる。


「海様って、本当に不思議な人ですね。魔法が使えなかったと思えば、今は団内の記録を塗り替えるような実力を見せたり……でも、あなた自身はそれを当然のように思っていて」


一瞬だけ視線を落とし、そっと微笑んだ。


「少し羨ましい、って思ったこともある。でも、それ以上に……尊敬してるわ」


「え……?」


「あなたは、“知ろう”としてる。“変えよう”としてる。ちゃんと、自分の力でこの世界と向き合ってる。そんな人、なかなかいないわよ」


海は、言葉に詰まった。

(僕はただ……凛さんを助けたいだけなんだけどな)


「……ありがとう、ございます」


フィリアは立ち上がり、スカートの裾を揺らしながら言った。


「……でも、海様。魔導書庫はシャルロット様の管轄よ。あそこは、この国でもっとも重要な“知の聖域”。許可なく立ち入ることは絶対にできないわ」


「やっぱり……ですよね」


海は肩を落としたが、すぐに顔を上げる。


「でも、どうしても必要なんです。フィリアさん、お願いできますか? シャルロット様に会わせてください」


フィリアはため息をつき、しかし小さく笑った。


「……いいわ。ちょうど私も文献を探したいし、ついでに“交渉役”をしてあげます。でも――」


彼女の表情が少しだけ真剣になる。


「シャルロット様は、魔導書庫を命より大切に思っている方。……覚悟、しておいてね」


王城の奥深く、蒼い魔力の結界が張られた廊下を進む二人。


扉を開けると、深緑の長髪を揺らしたシャルロット・デュノアが、静かに筆を走らせていた。


「……何の用かしら?」


顔を上げたその瞳は、氷のように冷ややか。海は思わず背筋を伸ばす。


フィリアが一歩前に出て、恭しく頭を下げた。


「シャルロット様。海様に、魔導書庫の閲覧許可をいただきたく参りました。」


「魔導書庫……?」

シャルロットの眉がぴくりと動いた。


「ご存知でしょうが、あそこは王国の叡智が眠る聖域。寿命の長い私たちエルフでさえ、読破という概念は持たず、数百年をかけて知を積み重ねる場所です。――その価値、あなた方が理解しているとは思えませんが?」


海は慌てて頭を下げる。


「もちろんです! 危険な書物もあるのはわかってます。でも……この知識が、今後の戦いで役立つはずなんです。絶対に粗末には扱いません」


シャルロットはしばらく沈黙し、海の目をじっと見据える。その瞳には、試すような冷たさが宿っていた。


やがて、小さく吐息を漏らし――鍵を差し出した。


「いいでしょう。ただし、条件があります。


 一、必ずフィリアを同行させること。

 二、危険書物には触れないこと。

 三、読んだ内容を口外しないこと。特に“迷宮図”と“契約書”は厳禁ですわ」


「……はい! 約束します!」


シャルロットは小さく頷き、背を向けた。


「……あなたがどれほどの“知”を求めているのか。見極めて差し上げますわ」

扉が閉まったあと、海はようやく息を吐いた。


「……試験受けてるみたいだったな……」


フィリアは小さく笑い、首を振った。


「ふふっ、あれでもだいぶ“優しい”方よ。本当の彼女は、知識を守るためなら誰であろうと容赦しないんだから」


二人は、中央魔導書庫へと歩き出した。


このあと、海が“規格外”の偉業を成し遂げるとは、まだ誰も知らないまま――。

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