乖離譚

OSOBA

第1話


 砂漠に生きる動物と、草原に生きる動物が違う様に、人間も環境によって心情や思想が乖離していくことは普通のことである。

 その些細な乖離が、決定的なズレを引き起こし、結果的に様々な破綻を人間社会にもたらしてきたことは誰もが知ることだろう。

 

 

 「君の小説はみんな、情緒不安定だよね」

 私は志乃から半強制的に読まされた小説をそう言って志乃の手元へ返した。図書室に刺す太陽の光は既に水平の角度に到達していた。

 「え、そうかな?」

 志乃はそう言って顎に手を当てた。どうやら、心当たりがないようだ。

 「いつも丁寧だった人が、決壊するみたいに暴言を吐き始めて、誰か解らなくなっちゃう」

 私が言葉を付け足すと痛いところでも突いたのだろうか。大袈裟にも苦しそうな仕草を見せる。

 「でも、君の小説は自由だね」

 フォローするように感想を付け足した。縛られていない、と言えば違う。だけれど彼女の世界の中で、彼女の書く人間たちは一人一人自由に動き回っているように感じる。……本人がそれを御せているようには思えないが。

 「私なんか、文を書く事すら……」

 私はそこで口をつぐんだ。

 

 「珠代は自信過剰だよ」

 

 志乃はいきなりそう言った。彼女は自身の書くキャラクターだけではなく、どうやら自分自身をも自由過ぎて御せていない。

 「私がすることは、上手くいかなければいけないって心のどこかで思っているの」

 志乃は、私の気持ちなんか気にしない。ただ自分の天性の感覚のままに私の心を踏み荒らしているだけだ。

 「言葉を選ばずに言えば、傲慢だよ」

 そんなつもりじゃ、そう言おうとしたが、否定できる材料が整っているわけではないし、志乃ほど口が立つわけでもない私が反論するのも馬鹿らしくなってきた。

 「そうかもね」

 適当な相槌を返した私に、志乃は軽い笑い声を残して席を立つ。

「今日はありがとう、また頑張るよ」

 それだけ言うと志乃は図書室から出て行った。




 人に嫌われるのは簡単である。

 正論を言い続ければいい。正しさというのはメディアや物語で扱われるほどヒロイックではないし、称賛されるわけではない。

「茶」

 ダイニングテーブルで父親がそう言うと、音を立てずに母がそれを父の手の近くに置く。その間、会話があるわけでもなければ、ありがとうという感謝の一言もない。

 私も気分が良いわけではないので、早々に部屋を出て行こうとした。

「お父さん、僕、テストで100点取ったよ」

 小学二年生の弟、剛が父にそういうと父はたいして喜ぶわけでもなく。

「俺の息子だからな、当然だ。それに比べ珠代は。母さんが悪かったのかなぁ……」

 私はリビングの扉を閉めて廊下に出た。

 すると、それまで何も言わなかったお母さんが後ろから私の肩に手を添えた。

「っえ、お母さん、何?」

 目の下にクマ。気味の悪い表情を私に見せる。

「剛ちゃんの、宿題を、手伝ってあげて」

 私が引きつった顔を見せたのかもしれない。お母さんは続けて。

「お姉ちゃんでしょ」

 と、そう付け加えた。

 面倒くさい。ため息をつきながらリビングの扉を開けた母の後ろについてリビングへ戻るほかなかった。




 志乃はお世辞にも高校生活を満喫しているとは言い難い。友達は殆どいないし、顔つきも基本的に暗い。

 それは志乃の思考と行動が短絡的過ぎるからだ。課題があるなら、課題の本質を見抜いて、解決のために奔走する。

 課題は解決するものである、と考えることは可能でも行動に移し解決することは難しい。大概の人間はそれの困難さを知っているから、行動しないのである。

 生真面目な志乃はそれができない。だからこそ嫌われはしなくとも煙たがられる。正しすぎるのも生きづらいものだ。

 昼休みの教室ではクラスメイトの里香と志乃が話している。清涼飲料水の色みたいな空をぼーっと眺めながら私も適当に相槌を打つ。

「ああああ、ヒロ君に振られちゃったよォ……」

 里香はこの一か月ずっとこの調子だ。多分慰めてほしいのだろう。その気持ちは解らなくはないから、「そうだねぇ」「それはヒロ君がわるいねぇ」「可哀想だねぇ」と謎にねっとりとした喋り方で慰めている。

 しかし、いよいよそれに耐えられなくなったのか。志乃は遂に里香に問いかけた。

「里香ちゃんは私達にどうしてほしいの?」

 すると、里香は一瞬沈黙する。困ったように目を逸らして考えている。

「え、ええっと」

 そうやって里香が言葉を探している間に志乃はその残酷にも早い頭の回転で里香を追い詰めていく。

「だって今更何をしてもヒロ君は帰ってこないし、私達には何もできない。精々できるのはこうやって慰めることだけれど、それだけでは何にもならない」

 志乃は淡々と、言葉を繋げていく。だが、その言葉と言葉の間には余白がなさすぎる。捉え方によってはまるで問い詰められているような気分になるだろう。

「何にもならないって……!」

 里香は印象に残った言葉を反芻するように声に出してしまった。

「残念だけど、里香ちゃんがどうにかするしかないの」

 志乃は里香のことなど、何も考えていないのだろうか。いや、志乃は里香の瞳から目を逸らさない。

「だって、これは里香ちゃん自身の問題であって、ヒロ君も珠代も私も関係ないもの」

 それは事実たしかに。

 しかし、どんなに正しいことを志乃が言っているのか解っていても、弱り果て、甘えてきた人間の手を振り払う様に見えて、里香に同情せざるを負えない。

 すると、あはは、と里香は笑った。

「それもそうだね、ごめんね」

 とそれだけ言って、その後の昼休みの会話に里香は適当な相槌しか打たなかった。

 掃除の時間になって里香は私の元へ駆けよって来た。その表情に余裕は無くて、ただ私にぶつけたいことがあるようだ。

「志乃ちゃんっていつもああなの!?」

 予想通りの言葉だ。

 そもそも、積極的にはぐれ者へ絡んでくるような人間というのは、相手をはぐれ者と認識していてマウント目当てで絡むことも、恐らく少なくないのだろう。……勿論、中には純粋な好意も無くはないが。

「うん、まぁ」

 私がそう言うと、里香は鼻をフンと鳴らして腕を組んだ。

「偉そうなのよね」

 どうやら、志乃は里香のプライドを傷つけてしまったようだ。

「あんなんだから、孤立しているんじゃないの!!」

 里香も大概だと思う。だからこそ、里香は完全な悪人じゃないのだろうとも思う。感情的だから、他人に求めすぎるのだ。

「そうだけれど、何か?」

 最悪な場面に志乃が登場。里香の背後から、彼女は猛々しく宣戦布告した。

「私、貴方に哀れだと思われるほど、落ちぶれた記憶がないの」

 志乃は志乃で腹が立っているようで、組んだ腕が微かに震えている。……志乃も感情的な人間なのだろう。

「あっそ、じゃあいいわ」

 そう言い残して、里香は去った。

 宣戦布告に対して、あまりにも冷めた対応だった。

「……珠代はあんな愚者になってはいけないよ」

 それを負け惜しみではないというには、材料が不足している。

「私は、志乃が言ったこと間違っているとは思わないよ」

 私は志乃にそう言っただけ。




「里香ちゃんの言っていることが的を射すぎて、笑いそうになっちゃった」

 夜、私は里香と電話をしている。もう少しで長針と短針が交わろうとする時間なので、私は布団の中でひそひそ声を出している。

 と、いうのも私の家ではインターネットが一時間以上できないから夜はスマホを親に没収されるのだが、リビングに深夜忍び込んでくすねてきているためである。

『もう、珠代ちゃんもウチらのグループに来なよぉ、志乃ちゃんと違ってみんないい子だよ?』

 里香が言うと、信ぴょう性が怪しい気がする。髪の毛を指にくるくると巻いて遊びながらどう返事するか考える。

『どう?』

 里香は勝手だと思う。今もこうやって私のことをゴミ箱のように愚痴を吐いて捨てていくのだから、きっといい様には扱われないだろう。

 志乃だって同様ではある。彼女は里香に比べて少し素直というだけだ。何ならそれは美点とも言いづらい。正直者が得することは、あんまりない。

「まぁ、そうしようかな」

 私がそう口にすると電子的なパチパチパチパチという拍手の音がする。私も表情を緩めて明日以降の日常を妄想する。

 私が何か言うと、周囲の子が笑ったり、同調したりしてくれる。それだけを無限に繰り返す。

 ああ、あの子はあのグループの子か、ならそつなくやっているのだろうな。

 周りからのそういう視線。

 憧れていた世界かもしれない。今、この手で掴めるところまで来たのだろうか。

 部屋の外の廊下からどっどっどっどっと、大きな足音がする。……お父さんだ。


「バカ娘が、スマホを出せ!!」

 興奮で顔が赤くなっている。私と問答するまでもなくお父さんは布団を引きはがし、私をぶってスマホを取り上げる。

『え、珠代ちゃん!?』

 通話越しに、里香が困惑しているのが伝わってくる。

「ただでさえバカなのに、こんなことをしていたらもっとバカになるだろうが!!」

 そしてスマホに向かって一言。

「娘と関わるな、お前のバカがうつるだろうがっ!!」

 そういうとスマホを持ったままお父さんは部屋を出て、力いっぱいでドアを閉め、ひどく大きな音が家中に鳴り響いた。


 リビングで私とお母さんは正座させられていた。もう時計の針は午前二時に到達しようとしていた。

「お前の育て方がいかんのだろうがっ!!」

 お父さんはお母さんの頬に拳をぶつけた。小さな悲鳴を上げてお母さんは倒れこむ。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 お母さんが私の目を恨めしそうに見る。

「ご、ごめんなさい」

 すこし、気持ちが前に出てしまった。言葉に詰まったことに気をさらに悪くしたお父さんは土下座する私の顎を蹴り上げた。

「お前は、まだわからんのか!!」

 もはや、如何なる言葉も意味をなさない。お父さんの気持ちが晴れるまで、私達はこうやって謝り続けるしかないのだ。


「今、何時?」

 掠れた声が出る。

 寝不足でいつもよりも痛みを感じる目を開けると、時計は六時を指していた。決して遅いというわけでもない。

 リビングへ入ると、平凡な朝の食卓があったが、一つだけ違うところがあった。

 私の分の朝食がない。

 いつものことなので、ため息をついて、一応お母さんに確認する。

「私のご飯は?」

 お母さんは何も言わずに、お父さんに語り掛けた。

「今日のご飯はどうですか?」

 すると、お父さんはお母さんに向けてこう言った。

「いつもより気分がいいな、これもお母さんのおかげだよ」

「そんなことを言って、これも働いてくれるお父さんのおかげですよ」

 どうせ、弟に対してさえ、何を言っても無駄なので、私は部屋へ戻った。まだ起きてすぐだからそこまでではないが、すぐに空腹を自覚するだろう。

「最悪……!」

 今の気分を最低限の言葉で表現してみた。




 当然、弁当なんかあるわけもなく。私は空腹を堪えるしかなかった。飯抜きを容易く行ってしまえる両親が、娘にお小遣いなどを渡すこともないので、本当に堪えるしかない。

 昨日の一件もあって里香ちゃんにも話しかけることができないでいる。だからいつもの如く、志乃と一緒に居るのだが……。

「お弁当、忘れたの?」

 指摘しない方がおかしいだろう。昼休みで、みんな席を突き合わせてわいわいと話す時間に、購買に行くでもなく、お弁当を持っていなければそういう反応にもなる。

「うん、まぁね」

 そういうと、すこし志乃は考えた後にゴソゴソとカバンを探した後に、私に向けて手を差し出した。

「あんまり、渡せないけど」

 志乃はお金を少し渡そうとしてくれた。

「え、そんなの悪いよ」

「いいの、それよりご飯食べられない方が問題だから」

 そう背中を押されて、半ば強制的に私は購買に向かうことになった。ようやく、ご飯を食べることが出来そうだ。


 学校が閉まる時間まで、図書室で勉強したり、本を読んだりしながら時間をつぶす。一人、一人と生徒が消えて行き、いつの間にか学校の周囲の街灯がつき始めた。

「もう閉めますよー」

 図書館担当の先生にそう言われて、ようやく荷物を纏めて学校から下校し始める。夜ご飯があるのか、それが心配になるのを情けなく感じて目に熱がこもるけれど、学校の方へ振り向くことはしなかった。




 家に向けて住宅街を歩いていると大人の男の大声と、私と同世代くらいの女の子の絶叫が聞こえる。

 痴漢か、酷い痴話げんかなどだろうか。正直太陽が沈み切った今、この声は恐怖でしかない。

「なんだこのバカ女は!!」

 その大人の声の主はお父さんだった。

「お、お父さんっ!!」

 家の方だと気づいて、急いで走り出す。そして家の前の通りに出る路地裏を走っていく。用水路がある、一メートルと少しの路地裏だ。

 強盗にでもあっているのだろうか、そう思うと、お父さんに手を引かれてここを歩いて近くの公園へ向かった日々を少し懐かしく思った。

 あの、お父さんが!!

 どうやら危機らしい。

 家の前の通りへと角を曲がると、家の前にしりもちをついた女の子がいた。

「志乃ッ!!」

 キッとお父さんを睨んだ志乃はこう言った。

「親子の関係でも、属性ではなく個人と個人の関係でしょう!!その貴方が今娘にやっていることは家庭内暴力以外の何物でもありません!!」

 ……これは、いけない。

「情けない大人です、いや大人ですらない!!」

 いけない。

「恥知らず!!」

 いけないッ。

 私は止まっていた足を大きく一歩前へ踏み出して、駆け出した。そして私は志乃の頬をぶった。

 志乃は唖然として見上げる。

「……なんで?」

 志乃はふらふらと立ち上がり、すっかり暗くなった街をどこかへと消えて行こうとする。その背中に叫ぶ。

「一生、関わらないで」

 志乃からの返事は、もうない。



 

「志乃ちゃん、どんな感じだい?」

 私の部屋のドアをパパが丁寧に開く。どうやらコーヒーの入ったマグカップをお盆の上にのせている。

「また、小説を書いているの?」

 マグカップを手渡してもらいながらお父さんが私に聞いてきた。

「うん、解らないから、また小説にしてみた」

 私は、納得のいかないことを小説にして理解してみようと、せめて珠代の気持ちに寄り添ってみようと思ったのだ。

 だけど髪を掻いている私の様子で察したのかパパは小さく笑った。

「パパは、志乃ちゃんが強い子に見えるよ」

 その眼の温かさに、恥ずかしくなって、返す言葉が見つからない。

「でもね、一つ覚えておいてほしいことがあるんだ」

 パパは指で一という数字を作った。

「世の中には絶対理解できない人っていうのはいるのだよ。海水魚の気持ちを淡水魚は解らないし、その逆も又、わからない。きっとわかろうとすれば志乃ちゃんがつらくなると思うんだ」

 少しその言葉を恐ろしく感じて、パパと軽い抱擁を交わす。

「でも、知ってみたいと思うの」

 私がそう言うと、パパは優しく微笑んで、頷いた。

「ママがクッキーを焼いてくれたんだ、リビングに行って三人で食べよう」

 私は書き殴った乖離譚をそのままに、リビングへ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

乖離譚 OSOBA @poriesuten5

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画