日本息抜きばなし 助平

固定標識

前置き【神田さんのお話】

 私は日本語学校の教員を務める神田と申すものです。

 私の勤める学校には合計で二十五名の生徒がいらっしゃいます。勿論皆さん日本の方ではありません。ですから中々苦労もします。

 しかしこんな仕事を……お恥ずかしながら働き始めてから実感したのですが、実際言語というモノはコミュニケーションにおいてはあまり重視すべきではナイようなのです。

 人は一人では生きてゆけず、それ故に悩み苦しむこともございますが、それは裏を返せば生きている限り一人ではない、ということでもあります。

 そのことを教えてくれたのは他でもない、私の大事な生徒たちでした。

 彼らは日本語という、恐らく世界的に見ても必要性の薄い言語を態々学びに、遥々こんな辺鄙な島国にまでやって来ました。相当なモノ好きで、私にはどうして彼らがもっと実用性の高い言語よりもこんな面倒なものを学ぼうとしたのか、未だにわかりません。

 わからないが故に私は、何度か間違えました。

 言語が伝わらないということは恐ろしいことです。

 何が恐ろしいって、いつの間にか相手の知能や思想までもを下に見ていることです。

 例え言語の能力が幼稚園児と同じくらいであったとしても、彼らには彼らの生きた年輪に刻まれた思想と考えが存在しているのです。

 昔レジ打ちのアルバイトをしている時に私が応対した海外の方──確か中東辺りの方でした──は、わからない日本語を頑張って話し、当時まだ正確ではなかった翻訳機械も活用し、私とコミュニケーションを取ってくれようとしました。

 しかし当時の私は、彼におつりの概念から説明しようとしていたのです。

 愚かです。途轍もなく愚かでした。

『言語とは結局道具の一つであって、コミュニケーションそのものの本懐はやはり心である。』

 そんな当たり前のことを──思い出させてくれたのは、やっぱり他でもなく彼らでした。

 

 前置きが長くなりましたことをここにお詫び申し上げます。ただ、このような長文を垂れ流したのは私の我儘であると同時に、私が彼らを心底愛しているということをまず知っていただきたかったからなのです。

 ただしこれからお話する内容は、私の苦労についてです。

 言語などというものは結局道具の一つです。

 しかしそれ故に使い方を誤れば、それはそれは面倒くさいのです。





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