第34話

「嬉しいわね。こんなにたくさんの子たちと会えるなんて」


シャーレアは自分を取り囲む樹海の民たちを見渡して言う。まるで本当に自分の子どもが訪ねてきたのを喜んでいるようだ。だがやはり、俺と出会った時のように両手で口を押さえて苦しそうにしている。


「けど、遅すぎて気が狂うかと思ったわ。あたしがあんなにヒントをあげてたのにずっと見つけてくれないんだもの。ううん、もう狂ってるのか」


シャーレアはこちらを見た。

俺を見ていた。


「あたしは太陽が好きだった。でも、この体になってからは、太陽を見上げるのが苦痛になった。それでも毎日……毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日毎日毎日毎日…………今日という日を数えたわ」


シャーレアは開いた空を見上げ、赤くただれては再生する自分の体を抱きしめる。


「無限の苦痛にも耐えられる。無限の飢餓にも耐えられる。無限の孤独も、罪悪感にも……少なくともこの500年は耐えられた。自然の摂理に反しない程度の捕食行為なら、あたしも自分に納得できた」


シャーレアは両手で口を押さえて、目だけで笑う。


「ここ最近のことよ、あたしの空腹が膨れ上がったのは。自分でも怖かった。樹海に生きる生き物を全部食べちゃいたくなったの。あたしの頭、バカになっちゃったみたい」



あははははははははははッ!



泥沼の奥底にまで沈んでゆきそうな声だった。


「本当によかったわ、あたしがいなくなる前で。もうすぐあたしという魂は、完全にこの体――マンイーターと同化して、本物の怪物になるから。ううん、マンイーターだって、本当はこんな怪物じゃなかった。ただ摂理を超えた力と苦痛を与えられた可哀そうな子なの。だから、ちゃんと殺してあげて」


彼女は何らかの理由でマンイーターの体に魂を埋め込まれた。しかもその体は、グレンタケという猛毒キノコと融合している。そういうことなのだとして、いったい誰がそんなことを……。


「本当はたくさんおしゃべりしたいんだけど……自分でも何を話しているのかよく分からなくなってきちゃった」


そう言ってシャーレアは俺たちをゆっくりと見渡した。


「あんたとあんたと……あんた。それに――」


品定めするようにぶつぶつと呟き、最後に改めて俺を見た。


「――あんた」


何の前触れもなかった。周りの人間のほとんどが、一瞬にして跡形もなく消えてしまった。


「リオン殿下!」「ソール!」


俺とリオンは二人同時に叫んで、お互いに手を握って存在を確かめ合う。よかった……無事で。


「安心しなさい? 耐性のなさそうな子たちをここから出してあげただけだから。その代わり、選ばれたあんたたちは地獄を見るかもしれないけど」


沈黙していたヒルデガルトが口を開いた。


「ここに入ってから、みんなを連れてきたのを後悔していたところなんだ。ありがとう」


ヒルデガルトは長髪に隠した黒剣を抜くと、その切っ先をシャーレアに向ける。


「盟主殿、本当に殺してええのんか。あれは樹海の精霊様なんじゃろう?」


ヒルデガルトにそう尋ねたのは、先ほど巨大樹に腰を抜かしていたドワーフだ。彼はそう言いながら、背負っていた巨大な両刃の斧を構えていた。


「だからこそだよ、ダイロン――」


ドワーフの名はダイロンというらしい。ヒルデガルトは彼から視線を移して俺を見た。なぜかは分からないが、ヒルデガルトさんも俺のことを気にしている。


『嘘。あんたの持つ力に惚れたの。残念でした』


そうシャーレアが言っていたように、正確には俺の体に宿っている力をヒルデガルトも気にしているのか。【破壊の黒火ガンドエルヴ】――この力なら、彼女を壊せるというのだろうか。


黒剣を携えたエルフのヒルデガルト

巨大な斧を持ったドワーフのダイロン

そして人造人間ホムンクルスのリオンと俺。


計4人で精霊シャーレアと向かい合う。


「若いって、いいわね」


シャーレアは微笑んだ。


「がんばってね、あんたたち――」





それが最後だった。

シャーレアが上半身をだらりとさせると、空から差す光の量は変わっていないはずなのに一気に暗くなる感じがした。


俺はずっと、笑っているシャーレアが怖かった。親し気な笑顔を向けてくれる一方で、いつ牙を向くのかがまったく分からなかったから。


彼女は一度も『早く自分を殺せ』などということは言わなかった。死にたがっていながら彼女がそうしたことを言わなかったのはなぜだろうか。それはきっと、言うべきではないからだ。


シャーレアはずっと何かに抗うような姿を見せていた。それは自分の内側にあるマンイーターの凶暴な本能に対してだと思う。初めて出会った日、安易に俺に近づかないようにさせたのはきっと俺を死なせないためだった。


彼女は人に慣れた猛獣に近かった。腹を見せてくれながら、その牙はいつも俺たちの喉元を狙っている。そういう怖さがあった。


だが今は違う。彼女はもう、どこにもいない。





どぷん





少女は花の中に沈むように姿を消し、代わりに泥沼を突き破るようにして長大な紅蓮の蔓が十本飛び出した。それらはまるで竜の頭部のような形をとったが、やがて口ばかりが肥大していく。


(無限の飢餓――)


俺にはそれが、シャーレアの言葉が具現化したかのように見えた。

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