第25話


俺とリオンは二人三脚のように身を寄せ合いながら走っていた。


『殿下、どうしますか?』

『行こう。誰かが襲われているやもしれん。あの日のミーナミーナのようにな』


そんなやりとりがあって、俺たちは地響きのする方へと向かっていたのだ。


こんなにも密着しているというのに、温もりなどあったものではない。むしろリオンの発する冷気のせいで凍えてしまいそうだった。だがこれも幻覚対策には必要なこと。


「おいソール、もっとくっつけ」

「……はい」

「露骨に嫌そうな顔をしおって。不敬だぞ」

「……寒いんですもん」


飴か鞭かと問われれば、鞭が勝る寒さである。


そうこうしているうちに巨大な生き物の脚が目に飛び込んできた。この前と同じ赤いドラゴンの脚。だがなんだろう、この違和感は。こんなにも赤かっただろうか。以前の個体よりも遥かに色が濃いように見える。


「嫌な感じだ。ソール、私から離れるな」

「これ以上ないほど近いんですが……分かりました」


リオンと俺は急停止し、臨戦態勢――そして、リオンが【六道六花】を展開し、すぐさま以前ドラゴンを倒したのと同じ方法を使う。


「【蒼白氷柱ペイルスティリア】」


ただしそれは、以前よりも遥かに精度も威力も磨かれた氷柱つららだった。六花の一片から連なる剣山のごとき氷柱が、紅蓮の鱗を突き破ると、断末魔の一つもなくドラゴンは沈黙する。


「やったな」

「そのようで」


俺たちはそう言いながら、完全に油断していたわけではなかった。むしろ、こういう時に油断するとろくでもないことが起こるのがお約束というもの。



ごっ、ごっ



足元で分厚いガラスを叩くような音がする。リオンの氷のを突き破ろうとする何者かがいるのだ。おそらくその正体はマンイーターだろう。


マンイーターが地面から湧き出ているという時点で、地中から直接奇襲を仕掛けてくる可能性を俺たちは頭に入れていた。といっても、この発想をしたのはミーナパパなのだが。


「くく、我ながら悪くない術を編み出した。灯台下は暗くなるからな」


実際、リオンの【六道六花】によって足元に結界を張った形になり、死角も大きく減っている。仮に足元の氷を突き破られたとしても、地面と氷という二重の層を通る分だけ俺たちが離脱するわずかな時間が稼げるのだ。そういうことも考えて術を編み出したのだとしたら、本当に恐れ入る。


……俺がいなくても全然大丈夫そうだな、これ。むしろ足手まといにならないか心配だ。


そんなことを思っていると、リオンが小さく笑う。


「竜を囮に使うとは小賢しいことをするキメラだ」

「それだけ相手も本気なんでしょう」


今もなお、リオンの氷の下で鈍い振動が続いている。まるでドアをノックするように一定のリズムで叩き続けているらしい。その叩き方がやけに気にかかるというか、不快な気持ちにさせてくる。



ごっ、ごっ



怪談でよくある、誰かが部屋のドアを叩くあの感じだ。


「殿下、俺がやります」

「任せた」


早くこの音を止めたい。未知の脅威を終わらせたい。

そんな気持ちが、俺たちの視線を足元に集めたのだ。


「ソールッ!!!」


リオンの叫び声が聞こえた瞬間、俺の体は突き飛ばされた。


空中で体勢を整え、振り返る。そこには体を大の字にして宙に浮いているリオンがいた。リオンは、赤い植物の蔓で両手足を縛られている。


「う゛ぅぅぅぅぁあああッ!!!」


初めて聞くリオンの苦しむ声に、俺は鳥肌が立った。


「リオンッ!!!」


いったい何が起きている。骨を折られたようには見えない。リオンの両手足に注目すると、蔓に巻き付かれた部分の皮膚が赤く変色していた。


毒。その発想に至ると同時に、俺はリオンが残した氷の花を踏みしめる。


蒼白氷柱ペイルスティリア


足で氷に干渉し、リオンの技を再現――氷の剣山でリオンの四肢を縛る触手を切り落とし、落下するリオンを抱きとめ、その場を離脱した。






「――リオン! リオン殿下! しっかり!」


リオンを襲った触手から大きく距離を取った後、俺は彼女を地面に寝かせようとする。


だがリオンは自分で立った。


「……大げさだ、ばかもの。いや、大げさに痛がったのは私か」


リオンは自分が触手に掴まれた部位を自らの氷で覆っていたが、今なお苦しそうにしている。自分に何ができるかと考えても、今は逃げることしか思いつかない。


俺が歯噛みしていると、リオンが微笑んだ。


「向こうを向いていろ」

「……なぜですか?」

「ばかもの。追撃の警戒に決まっておろう。いいと言うまで振り返ってはならぬ」

「……分かりました」


どこかリオンの言葉に引っかかりながらも自分たちを襲った怪物の方に振り返る。だが、かなり走ったおかげか追撃の気配はなかった。


と、その時。


バキ……ボキ……


太くて硬いものが砕けるような音がして、俺は振り返る――


「殿下ッ!?」


――リオンの両膝から下がなくなっていることに、俺はそれ以上言葉が続かなかった。


「ばか、まだ『いい』と言っておらんというのに」


口を手で押さえながらリオンの途切れた膝下を凝視していると、そこから紫色の光が漏れ出す。みるみるうちに再生していき、美しい脚が元通りになった。


「ふむ、問題なさそうだ」


そう言ってリオンは左右交互に凍った両腕を力強く地面に打ちつける。リオンの両腕の肘から先が完全に失われるというぞっとする光景に言葉が出なかったが、やがて脚と同じように綺麗な手が復活した。


「まったく、奇特な体だ。なあソール?」

「え、ええ……」


正直、ドン引きしている自分がいる。いくら人造人間ホムンクルスの体だからって、自分の両手足を粉砕するなんて……それに、大きく損傷した時に本当に再生するという保証だってないのに。


だが俺は、リオンに対して引いてしまったことをすぐに後悔した。


「……! 殿下、目に……!」

「うむ?」


リオンの目に涙が浮かんでいたのだ。

リオンは治りたての手で目をこする。


「ああ……生理的な反応だ。気にするな。少々慣れない痛みに体が悲鳴を上げたのだろう」


リオンはそう言ってから、いつものように笑った。声が少し、震えている。平気なわけがなかったのだ。俺にはそれが、彼女の強がりにしか聞こえなかった。


「そんな風に強がらないでくださいよ……痛かったんでしょう?」

「くく、大した痛みではない。今はもう先ほどまでの痛みなど忘れてしまったしな?」


大した痛みじゃない? そんなわけ――


「――なんで……俺の体を優先したんですか。まずはご自分が避けてから俺を助けるなりすればよかったじゃないですか」

「む、そうだな。今度はそうするとしよう」

「心にもないことを言わないでください」

「……ソール、お前だって前に私をナイフからかばったではないか。これでお互い様であろう?」

「俺はあなたの騎士なんですよね。だったら、あなたが命を張ってまで俺を助けるのはおかしいでしょう」

「お前がいなければ私の命も危険に晒されるやもしれんからな。そこまでおかしい行動ではないとも言えるな?」


……確かに、リオンというヒロインはこういうことを言う人物だったと思う。冗談めかした屁理屈を重ね、都合の良いことにしか耳を貸さず、他者のために行動する。


そういうリオンの振る舞いに頭を抱えていた主人公ソールの気持ちが、少し分かるような気がした。


「順序が違うでしょうそれは……!」

「お、おいソール、どうした急に……らしくないぞ。それに今はこんなことを話している場合では――」

「こんなこと……!? 女の子が痛みに悲鳴を上げて、自分で両手足を砕いたんですよ!? どこが『こんなこと』なんですか!?」

「私に口答えするのか! わ、私は……私は、王女なのだぞ!」

「都合が悪くなったら王女としての立場を持ち出すなんて卑怯です! あなたの悪い癖だ!」

「不敬だぞ! 第一、元に戻ったのだから良いではないか! それに重ねて言うが、このような言い争いなど、帰ってからすればよい!」

「いいえ! 今言わないと俺のことだ……後で言えなくなる気がするんですよ!」

「なっ……それはお前の責任で私の知るところではない!」


『責任』という言葉を聞いて俺はハッとする。そうか俺は、自分のせいでリオンが傷ついたことに腹が立っていたのか。


……傲慢だな、俺は。


「リオン殿下」

「……なんだ」

「申し訳ありませんでした。殿下の言う通り、俺の責任です」

「はあ!? なぜそうなる! 急にしおらしくなるな! 怒っているお前の方がまだいい!」


口答えしない俺の肩を揺らすリオンだが、俺がこれ以上何も言わないと見るや困った顔をする。


「ソール、私が悪かった。だから私から目をそらすな」

「殿下は悪くありません。そもそも『見るな』と言われたのに俺が見たせいでもありますから」

「この……私を見ろ!」

「……ッ!?」


リオンは俺の頬を両手で挟み、強引に動かした。


リオンの燃えるような瞳と目が合う。涙で湿った目は既になく、まつ毛が白く凍っていた。


「私はもう二度と涙を流さん。生理的なものだとしてもな」

「殿下――」


俺が続く言葉を探そうとしたその時、俺たちが逃げてきた方から特大の声が響いてきた。


〈またドラゴンですのぉぉぉッ!!? 忌々しいですわぁぁぁッ!!!〉


俺はリオンと目を合わせる。そのうんざりした叫び声がなんともおかしかったからだと思う。俺たちはつい、笑ってしまった。


「ソール、笑い事ではないぞ」

「殿下だって」

「……行けるか?」

「……どこへでも」


俺とリオンはうなずき合うと、すぐさま悲鳴の方へと駆け出した。

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