第22話

突如として吹いた風と共に届けられたヒルデガルトの声に俺は驚いた。魔術ってこんなこともできるのか。確か【あらゆるを運ぶ風ヴェントルシュフィア】と言っていたが、声を運ぶこともできるらしい。


『こうして風を通して君たちに声を届けている理由、分かるかな。僕ら樹海に生きる者は深い森に遮られてお互いの交流も多くはないけれど、樹海の危機には一体となって戦ってきた。そう、今がその時なんだ。


本当はもう少し前から兆しはあったのだけど、長老会議の頭が硬いせいで情報開示が遅れてごめんね。まあでも、隠し事はお互い様だろうから、許してほしいな。


さて本題に入ろう。幻覚を見せる食人植物――マンイーターとアナタニクビタケのキメラが樹海の至る所で猛威を振るい始めている。何がきっかけなのかは……うふふ、ボクには分からないけれど、脅威が存在していてその脅威を排除しなければならないという認識を共有することがまずは大事だろう?


これからの動きについてだけど、同盟諸君には自分たちの縄張りの安全確保とキメラ本体の居場所を特定することに努めてほしい。ボクらの見立てだとキメラはそれぞれが独立しているわけではなく、諸悪の根源である本体がいる。というのも、退治したキメラはみんな地面から生えていたんだ。もちろん大本を辿ろうとはしたけれど、根深過ぎてできなかった。


……それじゃあみんな、気をつけて。ボクらエルフもキメラを討伐するために全力を尽くすよ。もう何人も同胞が殺されたからね。


ちなみに、マンイーターにはグレンタケが効くようだ。もちろん人間にも効くから扱いには気をつけて』


ヒルデガルトの風が弱まっている気配があるが、幻覚を見せるような相手にどう対抗すればいいんだ……?


『そうそう、大切なことを忘れていたよ。キメラと対峙する時はアナタニクビタケの胞子を吸わないようにしてね。戦う時は呼吸を止めて、呼吸する時は胞子を吸わないように何かで覆うなりすればいいんじゃないかな。


それから、ボクの風で胞子が拡散されることはないから安心して。そんな雑な力じゃないんだ』


今度こそ、風が止んだ。結局具体的な指示がほとんどなかったということは、ある程度はこちらの裁量に任せるということだろうか。


雑な力じゃないとか言っていたが、指示が雑過ぎる。

いや、雑にならざるを得ないのだろうか。


「おいソール! さっきの声を聞いたか!」


リオンの声に振り返ると、頬を食べ物で膨らませているリオン、ミーナ、ミーナパパママがいた。


「はい殿下」

「お前も食べろ」


リオンが手に持っていた何かを口に突っ込まれる。


「はぐぅ……なんれすかこれ」

「キノコサンドだ。キノコとキノコでキノコを挟み、キノコにあふれている」

「たまにはキノコ以外も食べたいれふね」

「まったくだ」


ただ、ホムンクルスの体のおかげなのか、この世界のキノコの栄養価が高いのか、キノコばかり食べていても体調はすこぶるよかった。


「おいしいのにねえ?」ミーナが言う。

「「ねえ?」」ミーナパパママがそれに合わせる。


「さて」リオンは玄関の間の出口を見た。「樹海の危機に立ち向かうとしよう」

「……そうですね。行きましょう、殿下」

「お前はここに残れ」

「……殿下?」


リオンは笑顔でそう言い放つと、俺たちに背を向けた。


「ストゥルタと一緒にここを守れ。何が起こるか分からんからな。同盟としての義理を果たすには一人出向けば十分だろう。なにせ我々はたったの5人なのだから。派閥の20パーセントも戦闘に出撃させるんだ、同盟諸君には感謝してもらわねばなるまい?」


顔を見せずに笑うリオンに対し、ストゥルタが言う。


「リオン様は何を恐れているのですか?」


リオンが恐れる? 俺にはリオンが何かを恐れているようには感じられなかった。だが、ストゥルタは違うらしい。


「私は何も恐れない。死すら恐れぬリオン=ラズグリッドだからな」


リオンの答えに、嘘はないように思えた。

だが、ストゥルタは食い下がる。


「正直に申し上げますと、ワタクシは同盟の義理など果たす必要はないと思っております」


ストゥルタがさらに一歩前に出る。


「相手の正体も分からないまま戦闘に望むなど愚かです。以前も申し上げましたが、ここは玄関の間キルゾーン――敵が向かってくるなら、迎え撃てばよいのです。ソール様のお話を分析すれば、どうやらキメラの中身はソール様にご執心の様子。こちらから出向かずとも、そのうちここにたどり着くでしょう」

「そうかもしれん。だが、その『いつか』は遠い先の話かもしれない。こうしている今もこの樹海に暮らす人々の命が脅かされているのだ」

「違います。リオン様は外の人間たちの心配などしていないのです。第一、見ず知らずの命を助けようとする理由がございません。あの怪しいエルフの言うことなど、無視すればよいのです」


ルタ――


「――それは違う」

「ソール様?」

「俺たちだってついこの間まで見ず知らずの命だったじゃないか。人間同士……いや、命の関わりってそういうものじゃないんだよ」

「ワタクシには、分からないのでございます」


下を向くストゥルタに対して、俺は屈んで続ける。


「いいや、分からないとだめだ。だってルタは、いつかここから外に出るんだろう? だったら、分かろうとしないと。どんなに関わるまいと思っても、世界が繋がっている以上はお互いに干渉し合い続けるんだ。たとえルタが今は外に出られないとしても、な?」

「……」


そうだ、俺が死んだあの日……正直よく覚えていないが、誰かを助けようとした。そこにはもっともらしい動機なんてものはなくて、ただそうしなければと体が動いたのだと思う。


まったく知らない命――けれど、同じ世界に存在する命。それを助けるのに理由はいらない。俺が今こうして存在していられるのもきっと、見知らぬ誰かに生かされたからだ。


……俺って、こんなことを考えるような人間だったのか。それとも、主人公ソールに心が引っ張られているのだろうか。


いや今はそんなことはどうでもいい。ルタのおかげで気づけた。俺はどうも、見ず知らずの他人だからってどうでもいいと思える人間じゃないらしい。


「……そういうわけでリオン殿下。俺も行きますよ。派閥の提供戦力を40パーセントに増やして同盟に恩を売るとしましょう」


俺がそう言うと、リオンは振り向かずに言った。


「まったく仕方のない男だ――」


――ばかもの。その言葉を最後に、リオンは外に駆け出す。


俺もその後に続いた。


「「お気をつけて!」」ミーナパパママが手を振ってくれている。


ミーナも「頑張ってー!!!」と元気よく両手を振っていた。


ミーナの声と笑顔には人を元気にする力がある。


ストゥルタはうつむいたままだった。きっと俺のせいだ。もしかしたら、自分には人の心がないとかそんな風に落ち込んでいるかもしれない。そういう意味ではなかったんだ、ルタ。


後で謝罪することを心に誓い、俺は門の外に出るのだった。

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