第12話
俺とリオンは、異世界でできた友人――ミーナの両親の病気を治す薬を分けてもらうために、エルフの森を訪れた。エルフたちから門前払いをくらいかけるも、なんとか彼らの森に入れてもらえることになった……のはいいのだが、はたして無事で済むだろうか。
ヒルデガルトと名乗った歴戦美女エルフは、
『歓迎するよ。幾百年ぶりの侵略者たち』
と言って俺たちに背を向けて歩き出したわけだが、この言葉はどう捉えるべきなのだろう。言葉通り歓迎会でも開いてくれるのか、侵略者として粛清されるのか……今さら引くに引けない状況である以上、あまり考えても仕方がない。
ミーナも表情こそにこやかだが、その目には強い光が宿って見えた。俺もしっかりしなくては。
と、目の前を長髪――地面に届きそうなほど長い銀髪――を揺らしながら歩いていたヒルデガルトが、ゆっくりと振り向いて言う。
「わざわざ侵入してから無防備をさらす侵略者は初めてだよ。力を示し、誇りを試す――ああいう脅し方もあるんだね」
それに対して、リオンが少し笑ってから答える。
「私には脅したつもりなどないが、ともかくエルフが誇り高いようで助かった。そうでなければ我々は矢の雨を受けていただろう。なあ、ソール?」
「えぇ……俺に振らないでください」
俺はつい先ほど、素手で弓矢を止めてしまったばかりなのに……リオンも人が悪い。
「ふむ、ではミーナミーナ」
「死ぬかと思った!」
「ソール、これが正しい答えだ。見習え?」
「……えぇ」
不服そうな俺の声の後、ヒルデガルトが少し笑う。
「うふふ……確かに、ソール君が『死ぬかと思った』なんて言っても、冗談にしか聞こえないよね」
ヒルデガルトはそう言って俺の方にとてもゆっくりと振り返った。
彼女は口元に手を寄せ、薄目で微笑んでいる。そしてまばたきをしたかと思えば、その目が開かれた時、俺はぞくりとした。
獲物を狩る獣の目だ。
「君たち、さっき『なんでもする』って、言ったね」
「ああ、偽りはない」リオンが即答した。
俺は素早くまばたきを繰り返す。この後の展開が怖かった。
ヒルデガルトは立ち止まり、リオンをじっと見つめる。
「何回でもいいのかな」
「さすがに際限なくというのは困るな」
「それなら10回」
「多すぎる」
「じゃあ5回」
「だめだ」
「君の友人の手助けをする対価と、ボクたちへの無礼に対する贖罪――合わせて2回」
「……分かった。2回までだ」
「決まりだね」
上機嫌な顔でヒルデガルトは俺の方を見た。妖しい笑みに俺が一歩引くと、代わりにミーナが前に出る。
「ミーがお願いしたことだから、何かさせるならミーにして! ソールとリオンは悪くないの!」
「うふふ、君にはできないことだよ」
「ニャガーンッ!」
不協和音が聞こえそうな崩れ落ち方をしたミーナの背を優しく叩きつつ、俺は自分の不安を紛らわせる。いったい何をさせられるのだろうか。
森を奥へ奥へと進むと、木造りの家がぽつぽつと見え始める。外に出ているエルフたちが不安と好奇の混じった視線を俺たちに向けてきた。
ヒルデガルトが慎ましやかに手を振ると、エルフたちは黙って胸に手を当てて軽く頭を下げる。
「ごめんね。この森にエルフ以外が入るのは珍しいから」
ゆっくりと振り返って言うヒルデガルトに、リオンが微笑みかける。
「ふむ、謝る必要はない。我々も珍しがっていたところだ。なあソール?」
「ええ。なんというか、神秘的だね。ミーナ?」
「うん! 髪が長い人が多いー! ね、リオン? あ……もうみんな言ったのか!」
「うふふ……お決まりのやりとりなのかな、それは」
別にお決まりがあったわけではないが、ヒルデガルトには面白かったようだ。
と、リオンが目をキッとさせる。
「……ミーナ、今、私の名前を呼んだのか?」
「え? ……だめだった?」
「だめなわけがない」
「じゃあそんな怖い顔しないでよお!」
「うむ……すまない。つい、その、嬉しくて」
二人のやりとりを見ていたヒルデガルトが、自分の髪を撫でた。
「……エルフには、生まれてから髪を伸ばし続ける人も多いんだ。不老長命で、成長してからは見た目もほとんど変わらないから、髪の長さでその人がどれくらい長く生きたのか推し量れる。髪はゆっくり、ゆっくりと伸びて、いつかは大地にたどり着くんだよ」
「地面まで着いちゃったらどうするの? 切るの?」ミーナが純粋な目で聞く。
「そうだね……髪が地面につく時は、ボクたちが死ぬ時だって言われている」
「そうなんだ……」
「うふふ。多分そこまで伸びたらさすがに切ってしまうと思うよ」
笑いながら語るヒルデガルトの髪を、俺はなぞるように見つめていた。さりげなく他のエルフたちと見比べても、ヒルデガルトの髪は圧倒的に長い。つまり、年齢がかなり高いということになる。
それに、彼女の髪は腰のあたりまではさらさらと真っすぐ伸びているようだが、そこから徐々に波打っている。だから、まっすぐ伸ばしてしまえば地に着くほど長いのだ。
『髪が地面につく時は、ボクたちが死ぬ時』……か。道理で貫禄がある。こんな相手によくリオンは堂々と相対することができたな。威圧感で言えば、全く引けを取っていなかった。
と、ヒルデガルトが俺の方をじっと見てくる。
「ねえ……今、ボクのこと、おばあちゃんだと思った?」
「いえ、そのようなことは……」
「うふふ……後で覚えておいてね」
「いやほんとに! 美しいと思いこそすれそんな……」
「おい」リオンの声。
「はっ!?」
振り向くと、腕組みをして人差し指で自分の二の腕を叩いているリオンがいた。顔を背けているが、なぜか頬が赤い。
「ソール貴様、年上好きか」
「え?」
「……なんでもない」
これは……なんでもなくない空気。そういえば、リオンは
俺としては年上も年下もあまり気にしないが――
「――どちらかというと、年下です」
ミーナの耳が急にぴょこんと立った。
かと思えば、リオンが目を細めて言う。
「このロリコンめ」
「なぜ!?」
「……ふん」
どうやら、どちらを選んでも外れの問題だったらしい。沈黙が答えだったか。
「あの……俺、本当は年齢、あまり気にしてないんです」
「ではなぜわざわざ『年下』などと言ったのだ」
「えっと、それは……その……」
「……! ふ、そういうことか」
リオンは得心顔でうなずくと、「最初から正直に言え、ばかもの」と俺の肩を小突いてきた。意味が分からない。
一方で、今度はミーナが「にゅん」と糸目になって遠くを見ていた。
(なんか、みんな情緒不安定だな)
などと思っていたところ、前を見ていたヒルデガルトが、ゆっくりと振り返る。
長いまつ毛の下で、湿り気のある灰色の瞳が妖しく光った。
「ボクは年下が好き」
俺の情緒も不安定になった。
不規則に木々が配置された森の中を歩いているうちに、整然と木々が並んだ並木道に出る。木々の幹は太く、その高さは天にまで届くようにすら錯覚させられた。
そんな大自然の光景に目を奪われていると、ヒルデガルトが微笑んだ。
「綺麗だろう? 戦争で森が焼けてから今の姿になるまでに、ずいぶんと長い時が流れた……あの頃はまだ、ボクの髪も腰に届かないくらいだったかな。ごめん、やっぱりよく覚えてないや。そうそう、戦争で焼けてしまう前は、森は今よりもっと大きく、強かったんだよ。いつか、あの頃の森の姿を取り戻す日も来るかもしれないな」
ヒルデガルトは思っていたよりもよく喋る人なのかもしれないと、昔を懐かしんで話す彼女を見て思った。その暗い瞳にはやはり、かつての森の姿が映っているのだろうか。俺には想像も及ばない景色がその瞳の向こうにあるのだろう。
ヒルデガルトは続ける。
「でもね、ここしばらく森がざわめいているんだ。エルフの森だけじゃない。樹海全体に不穏な風が吹いている。やけにドラゴンが現れたりするのも何かの予兆かもしれない。その原因が何なのかは分からないけれど……ただ、かつて戦争が起きた時の不穏さに似ているような気がする。まるで、誰かの意思が働いているような――」
鳥のさえずりが聞こえるのに、どこかしんとした空気。俺たちはただ黙ってヒルデガルトの言葉を待って歩いた。
そうしているうちに、俺たちは円形に開けた広場のような場所にたどり着く。巨大樹が囲むように見下ろしてくる光景は神秘的である一方、妙な居心地の悪さもあった。
ひゅぅ
不意に冷たい風が吹き、ヒルデガルトが振り返らずに言う。
「昔、戦いの火中に身を置いて分かったことがある。それは、人は命の危機には嘘をつけないということだ。君たちが本当は何者なのかはこの際、ボクにとってはどうでもいい。ただ、確かめないといけないことはある――」
風が
これまでのゆっくりとした動きからは想像もつかない速さで、ヒルデガルトが振り向いた。
手には黒剣。その向かう先は――
(――ミーナッ!!?)
俺はミーナに手を伸ばし、突き飛ばす。
(ああ、まじか……!)
が、自分の腕が両断されることを確信し、目をつぶった。
(……あれ)
痛くない。両腕は繋がったままだ。俺が突き飛ばしたミーナの方を見ると、なぜかヒルデガルトがミーナを受け止めている。
ミーナは、なにがなんだか分からないという表情で残りの三人を交互に見ていた。
と、ヒルデガルトがリオンの方を見て言う。
「君は動じないんだね」
リオンは腕を組み、目を閉じ、その場に立っていた。
「殺気がなかった。それにこういう時、ソールは必ず動いてくれる。たとえ竜に食われようともな」
リオンはそう言って、俺にウィンクした。
リオン……俺は考えなしに動いた後、ビビッて目をつぶっただけなんだ……。
そんな俺の内心はさておき、リオンはヒルデガルトに向かって言う。
「我々を試したな」
「君が試したようにね」
「それで結果は」
「資格あり、かな」
ヒルデガルトは「ごめんね」と言いながらミーナを立たせてやった。ミーナは「うん……?」と未だに状況を掴めていないらしい。
よく見ると、ヒルデガルトが先ほど振るった黒剣はいつの間にか姿を消していた。幻……ではなかったはずだが。
疑問を問う前に、ミーナと歩いてきたヒルデガルトが口を開いた。
「改めて、歓迎するよ。幾百年ぶりのご友人」
そう言って、ミーナ、リオンと握手を交わし、最後に俺に手を差し出す。
「えっ」
握手を交わした瞬間、ヒルデガルトがぐっと身を寄せてきた。格闘術の技をかけられる瞬間はこんな感じかもしれない。
ぶに
胸が、当たった。目と目が合うどころではない、衝突寸前な彼女の暗い灰色の瞳が銀色にきらめいているようだ。
「あの、なにか?」
「君は、いったい……」
「へ?」
「ううん、なんでもないよ」
意味深な言葉を言っておきながら、なんでもないとは何事だろうか。
「おい、近すぎだ」
俺とヒルデガルトの間に、リオンの腕が差し込まれる。そのまま俺とヒルデガルトは分断され、胸の圧迫感も離れていった。
ヒルデガルトが笑う。
「あはは、ちょっとしたスキンシップじゃない」
「……エルフという種族は人と人の距離感が分かっていないらしいな。初対面の相手に胸を押し当てるのが習わしなのか」
「ボクのは不可抗力だよ」
「さて、どうだかな」
距離感が分かっていないという意味では、リオンの方が――。
「ソール、なんだその目は」
「――いえ」
「うふふ……君たちの関係性、ちょっと分かってきたかな」
「ヒルデガルト、分かったような顔で笑うな。凶暴なものをぶら下げおって」
凶暴なもの――それはヒルデガルトの豊満な胸のことだろう。だが、リオンのものも素晴らしく、何物にも代えられない。とは思うのだが、そんなことは口が裂けても言えない。
リオンに鋭い目を向けられて首をかしげていたヒルデガルトが、その美しい山なりを撫でる。
と、ミーナが少し俺たちと距離を取ってから自分の胸元を撫で下ろした。
スカッ スカッ
やがてミーナは耳と尻尾を垂れ、戻ってきて一言。
「はやく『薬師樹の森』に行こうよ、ねえ」
死んだ目をしたミーナを見て、これまで威勢が良かった女傑二人が、初めてたじろいだ。
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