第11話
医療の間にて、かいがいしく病人二人の世話を焼いているのは我らが淫乱愚者メイドのストゥルタと、病人二人の娘であるミーナだった。
こうなったのは、昨日の夜、月明りの下で俺がミーナに言ったからだ。
『俺たちが暮らしている場所に来ないか。それから、ご両親を治す方法を探そう』
ミーナの両親はミーナの幸せを願い、俺たちに外に連れ出すように願った。一方ミーナは、両親を見捨てる気はさらさらなかった。
だから、ミーナを両親と一緒に新しい家に迎えることが、今とれる最良の選択だと思ったんだ。
俺の意見に対して、ストゥルタは肯定的だった。
『ずばり、最良の選択でございます。つまり、ソール様は賢者です。
相変わらずの雑証明に、俺も思わず苦笑いしたものだ。
ストゥルタとしては、500年も孤独に生きてきたものだから、人が増えることは嬉しいのだろう。
『もっと連れてきてください。全盛期のニーフェルアーズを復活させるのです』
……ということだが、全盛期っていったい何人なんだろう。
ミーナの両親は住居の移転を喜んでくれた。ミーナが孤独な看病をする必要がなくなることが、彼らにとっても救いになったようだ。
ミーナは、自分の親を一所懸命に世話してくれるストゥルタ――表情に乏しく声に抑揚がない――にすぐに懐いた。
ミーナの両親の世話はストゥルタに任せることにして、残った三人で今後について話し合うことにした。
書物の間で円卓を囲み、ミーナの口から両親の病気について、改めて詳しい話を聞く。
「えっとね! パパとママがかかっている病気は『ウルシハミ病』っていうらしくて、ウルシハミタケっていうキノコを食べると稀にかかるんだって! 体の奥に寄生して、内側から痒くさせるの……怖いよね!」
……異世界キノコ、怖い。
「二人でキノコ採りをしている時に、パパとママがつまみ食いしたらしいんだあ」
……パパ、ママ! 俺は思わず突っ込みたくなったが、リオンと共に我慢した。
言いたげな俺たちを見て察したのか、ミーナは慌てて付け加える。
「で、でも、二人とも普段はキノコを間違えたりしないんだよ? ほんとだよ? だから、その……!」
わたわたしているミーナを見て、我先にとリオンが口を開いた。
「私はミーナミーナを信じる」
「殿下ずるいです」
「こほん……食べてしまったものは仕方がない。それで、ミーナミーナはなんでもいいから病気に効くかも分からないキノコを集めていたわけだが……本当に特効薬になるような薬はないのか?」
リオンの質問に、ミーナはぎこちなく笑う。
「へへ……本当は、あるんだ――」
ミーナの案内で、俺たちは『エルフの森』を目指して樹海の中を歩いていた。
ミーナいわく、
『エルフの森のそのまた奥に、薬師樹の森っていう薬の材料になる植物やキノコがたくさんある場所があるの! 森に暮らす人が病気になった時にはその森に入らせてもらってたんだけど――』
――今はどうしてか入らせてもらえなくなっちゃった! ということらしい。
何かのっぴきならない事情があるのだろうか。
歩きながら、リオンは自信たっぷりな顔をしてみせる。
「なに、私たちがなんとかしてやる。挨拶ついでに薬の材料をもらってくるとしよう。なあ、ソール」
「そうですね、殿下」
リオンの楽観的ともとれる前向きさに俺も便乗する。
と、明るいミーナの顔がさらにパッと輝いた。
「うん!」
少し無責任にも思えたが、リオンならなんとかしてしまえそうという感覚もあったのだ。
とはいえ、話を聞く限りでは挨拶ついでに薬が手に入るような展開にはならない気がするのも確か。エルフについてもう少し知りたい。
「ミーナ、もう少しエルフについて聞かせて欲しいな」
「えっと、耳が細長くて、髪が長くて、長生き!」
なるほど、俺のイメージと近そうだ。
「何年くらい生きるんだい?」
「うーん、600年くらい? 600歳を超える人はほとんどいないんだって」
リオンがぼそっと「それなりに長生きだな」と言うが、それなりどころではない。
ミーナは続ける。
「むかし、この場所ですっごく大きな戦いがあって、その時から生きてる人もいるんだって! エルフの森の守護隊長をしている人も、戦いの生き残りらしいよ?」
「へえ、歴戦のエルフかあ……なんだかかっこいいね」
「ね! ミーは見たことないけど、すごく綺麗な人だってパパが言ってて」
「へえ……綺麗な人」
「それを聞いたママが怒ってた!」
「……はは」
それにしても歴戦の美女エルフ……興味深いな。
俺が妄想を膨らませていると、リオンがそれをかき消すように声を大きめにして言う。
「戦争とは?」
「え、えと、ミーも詳しくは知らないんだけど、ずっと西にある大黒土っていう場所から来た人たちと戦ってたんだって。でも、500年前に樹海同盟? が勝ったの」
「ふむ、それで600歳を超えるエルフがほとんどいないというわけだ。ずいぶんと熾烈な争いだったようだな」
「あっ、そっか……みんな戦争で死んじゃったからなんだ」
「おそらくな。だがいいことを聞いた……是が非でも、歴戦のエルフとやらに会いたいな」
俺も会ってみたい。と、心の中にとどめた。
さて、異世界の森の中を歩いているわけだが、動植物はどこかで見たことがあるようなものも多く、おどろおどろしい世界でないのが救いだ。ドラゴンとかいう化けものは置いておこう。
……ドラゴンか。
「そういえばミーナ、この森ではドラゴンが出るのは普通のことなのかい?」
「まさか! 火を吐くドラゴンなんて初めて見たよ! それに、火を使う魔物が迷い込んだとしても、みんなすぐに退治されちゃうから、森では生きられないはずなんだけどなあ」
「退治って、誰に?」
「みんなに。怖い魔物は縄張り関係なくみんなで倒すの。エルフ耳も猫耳も関係ないよ?」
「なるほど……迷い込むというのは?」
「色んな場所にゲート? っていう遠く離れた他の場所と繋がる出入口があって、そこから入ってくるらしいんだけど、ミーは見たことないの。パパからは見つけても入っちゃだめだぞって言われてるんだ」
ゲート……ニーフェルアーズの門と同じようなものなのだろうか。興味深いな。
俺が関心を寄せていると、リオンが肩に手を置いてきた。
「勝手に入ってはだめだぞ」
「ハイ」
そんな冒険心、俺にはない。
と、ミーナが立ち止まる。
「この辺りだよ……!」
ミーナがそう言ってから間もなく、周囲の太い木の陰から複数の気配を感じた。姿は見せず、若そうな男の声だけが聞こえてくる。
〈誰かと思えば……またお前か。今日は一人ではないようだな。とにかく……ここから先はエルフの森だ。来てはならないと、何度も言っているだろう〉
言葉に少し棘はあるものの、困っているような感じの方が大きいな。ミーナは何度もここを訪れて頭を下げているということだから、そのせいかもしれない。
「えっと、あの、少しでいいの! 薬の材料を、分けてください……なんでもします……! なんでもしますから……!」
〈……お前にできるようなことは何もない〉
なるほど、取りつく島もないように見えて、どこか引っかかる言い方だった。『お前にできるようなことは何もない』……か。
ミーナが困ったように笑うのを見て、リオンがフードを外す。
「では、我々にできることはないだろうか」
凛と咲く花のごとく、黒の混じった赤い髪と、赤い瞳を見せつけた。すると、息をのむような空気が周囲から伝わってくる。リオンの美しさに対してか、威風堂々とした態度に対してか、なにはともあれ、リオンは注目を集めた。
「私はリオン=ラズグリッド。この男はソール=アウレアス。世界を旅しながら用心棒をしている。この森にはつい最近流れ着き、ミーナミーナと友人になった。自分で言うのもなんだが、腕は立つ。この男に至っては、竜に食われても死ねないほどしぶとい奴だ。不眠不休であなた方の雑用をさせようと死にはしないだろう」
俺は死ぬと思います、と言いたい気持ちをぐっとこらえる。腕を組んで目を細め、強者らしい雰囲気を出すのに努めた。
リオンはゆっくりと、落ち着いた声で続ける。
「聞けば、この樹海に暮らす人々は協力し合って生きているらしいではないか。それに加え、あなた方エルフはそれはそれは誇り高く、今もなおこの樹海を守ることに貢献し続けているのだと聞いた。そんなあなた方がなぜ、薬の材料の一つや二つ、同じ樹海の仲間である彼女にくれてやらないのか。なぜ彼女を追い返すのか。理由だけでも教えてはくれないか」
突然現れた部外者の問いかけに、応える者はいなかった。
〈……二度は言わない。ここから去れ〉
当たり前の反応だ。いきなり出てきた部外者が何を言ったところで、聞いてもらえるはずがない。そんなことは、リオンも分かっている。
「無論、そうするつもりだ」
そう言ってリオンは一歩、前に踏み出した。
〈それ以上前に進むことは許さんッ! あと一歩踏み出せば命はないものと思えッ!〉
木の陰から殺気が伝わってくる。
「寛大な対応に感謝する。勇敢にも侵略者たちからこの地を守ったというエルフの領域に踏み入ろうとしたのだ……本来なら殺されても仕方ない振る舞いだとは重々承知している。だが、我が友人のご両親は刻一刻と命を蝕まれているという状況……ゆえに、本来ならば挨拶を重ねるべきところ、状況を前に進めるためにもう一歩踏み出させてもらう――」
リオンが一歩、踏み出した。その時――
ヒュンッ!
――風切る音とともに飛んできた弓矢。それを俺が掴み取る。ストゥルタの【
〈……ッ!〉
息を飲む声が聞こえてくる。リオンは自分の目に突き刺さる寸前だったが、瞬き一つしない。
「殿下……肝が座りすぎです」
「ソールが動かなければ自分で防いだ。だが、ありがとう」
リオンは俺に流し目で答えると、すぐに一歩下がってひざまずいた。誇り高い王族であるリオンだが、全くためらった様子もない。
危険だとは思ったが、それにならって俺とミーナもひざまずき、無防備な姿勢をさらした。
リオンは声を大にして言う。
「なんでもしてみせよう! だから、友人に薬の材料を分けてやってほしい!」
再び矢をつがえる音が聞こえてきて、心臓がバクバク鳴り出した。俺はいつ矢が飛んできてもいいように、心の準備だけはしておく。
……矢は一向に放たれない。
〈みんな、弓をおろして〉
と、打って変わって落ち着いた雰囲気のある女性の声がした。声はやはり若いが、口ぶりから察するに隠れているエルフたちのリーダーだろうか。
静かな足音がゆっくりと近づいてくる。
「君たちも」
そう言われて、俺は顔を上げた。
とんがった耳をした、銀の長髪――膝に届くほど長い――の美女が片頬杖の腕組みをしている。彼女は横顔を見せるように俺たちを斜めから見下ろしていた。悩まし気な顔……品定めをしているようだ。
やがて彼女は屈んで、俺たちに目線を近づける。その長い髪を地面にさらさないように手でまとめ、目を見張る大きな胸と、腕の間に挟むようにした。
「ボクはヒルデガルト。ずいぶん昔、この地を守るために戦ったエルフの生き残りさ」
ヒルデガルトは困ったような顔で微笑みながら、俺たちを一人一人見つめて言う。
「歓迎するよ。
――続く。
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