第9話

前世の俺は、主人公に憧れていたと思う。


ところで、主人公の条件とはなんだろうか。強さ、優しさ、賢さ……あげつらえばきりがない。


今、俺は主人公であるのに主人公ではないという、奇妙な境遇に置かれている。


ソール=アウレアス――それが今の俺の名前であって、前世でやり残したゲームの主人公の名だ。


隣には、ゲーム世界のヒロイン――リオン=ラズグリッドが苦しそうな表情を浮かべ、俺と一緒に緑で埋め尽くされた森の中を、飛ぶように駆けている。


だが、これはゲーム世界のワンシーンではない。


ここは異世界――これからどんな結末になるのか分からない未知の冒険の中に、俺たちはいる。


俺は果たして主人公足りえるのだろうか。そんなことをふと考える余裕を持てるほどに、俺の今の体は冴えていた。


だからこそ、分かる。


「間に合わない……!」


今まさに赤き竜に食われようとしている猫耳少女を救えないということが。


地形が悪かった。不規則に凹凸がある樹海の地面は、時にぬかるみ、時に草が足を引っかけようとしてくる。比較的ましな地面を選びながら走っているが、そうしているうちに、竜は少女を食らうだろう。


主人公に必要なのは速さだ。速さが俺には足りていない。十分すぎるほどに強靭な人造人間ホムンクルスであっても、まだ足りないのだ。


と、ニーフェルアーズでお留守番をしているストゥルタの声で幻聴が聞こえてきた。


『ソール様には速さが足りません。つまり、猫耳少女は救えません。証明終了QED


……そんな雑な証明で終わらせたくはない。勝手にイマジナリー・ストゥルタを作った俺が悪いのだが、俺はこの証明に真っ向から反論しなくてはならない。


俺には今、強力な力が宿っている。



【錬金術】



だが、力なんて使いこなせなければ宝の持ち腐れでしかない……!


と、俺と同じく走るのに集中していたリオンがはっとしたように「ソールッ!」と叫んだ。


「悪い足場は良くしてしまえッ! 『錬金術』は『干渉術』だとストゥルタも言っていただろうッ!」


確かに、ストゥルタは言っていた。


『錬金術とは、今ここにある存在に触れる――干渉術』


俺は足の裏に意識を集中した。壁を作った時と同じように――


(――地面に干渉する……!)


地に足を下ろす度、黒い火花が散り、赤い稲妻がほとばしる。



ダンッ! ダンッ! ダンッ! ダンッ!



文字通り、つま先からの着地と同時に『蹴るように』錬成を繰り返した。錬成したのは、即席の足場スターティングブロック。これには想像以上の効果があった。


その場で全力の足踏みをしているような感覚なのに、前に進んでいける。二足走行では難しい極端な前傾姿勢なのに、安定感がある。


いける……助けられる。俺の足なら、まだ間に合う――





――そう思った時。一瞬で視界が真っ白になった。かと思えば、竜がトラックに変わる。そして、猫耳の少女は耳のついていない別の女の子になっていた。


この光景は……俺がソールになる前に見た光景だ。そうだ俺は……無謀にもトラックの前に飛び出したんだった。


瞬きすると、再び元のドラゴンと猫耳少女が現れる。


今度も助ける……必ず助ける……!





電光石火――その言葉が頭をよぎった時には、俺の腕の中には少女が抱かれていた。


「はあ……はあ……もう、大丈夫、だよ」


思いの外、疲労感がある。が、大したことはない。


少女の赤く腫らした目の中で、黄色い瞳が揺れていた。少女は「にゅ……」と小さく鳴くだけで、怖かったのだろう、白い肌を赤くさせ、両手で顔を覆った。


かと思えば、俺の背後を指さし、「ドラゴン!」と叫んだ。


(そうでした……!)


ほっとしている場合じゃない。助けることに意識が向きすぎて、ドラゴンの存在を忘れていた。なんて爪が甘い……!


(【破壊の黒火ガンドエルヴ】で破壊する……!)


……だが、迫りくる脅威は竜そのものではなく、炎だった。


竜の吐息ブレス――そんなの聞いてないぞ……! RPGならお約束の必殺技を、俺は忘れてしまっていたようだ。


さらに悪いことに、黒火では炎を破壊することはできないらしい。伸ばした手は炎の中を突き抜け、視界は炎で埋め尽くされていく。


とっさに猫耳少女を炎からかばうと、背中から順に焼かれていくのを感じた。すぐに地面に干渉して防火壁を作るが、



バサッ



即座に竜はブレスを吐いたまま空を飛び、上空からの火炎放射を開始した。


(竜かしこ!?)


俺も負けじと、壁を拡張して土のドームを作り上げるが――


(俺の馬鹿ッ!)


――竜はそんなことはお構いなく、ドームごと焼き尽くしにきたらしい。


「アヅアアア!!!」「ギニャァァァア!!!」


俺と少女は熱さのあまり、閉鎖空間の中でのたうち回る。まずい、これでは『包み焼きホムンクルス~猫耳を添えて~』が出来上がってしまう。


ただ、その地獄は一瞬で終わった。しんとした空気の中、俺は猫耳少女と目をパチクリし合うと、ドームに耳を当てる。


と、壁にひびが入った――


「え?」「ナン!?」


――かと思えば、壁が砕かれた。驚く俺と少女の間で、細くしなやかな足が伸びている。


「くく、まったく世話が焼ける」


リオンの声だ。


「貴様は一度は竜に負けないと気が済まないらしいな? ソール」

「リオン……殿下」

「焼くのは世話だけにさせてくれ? だが、頑張ったな」


ドームの外の光の中から、リオンが手を伸ばしてきた。天使……いや女神か。とにかく、慈愛に満ちている。


俺はリオンの柔らかな手を掴むと、後ろで身を縮めていた猫耳少女に手を差し伸べる。少女は遠慮がちに俺の手を掴んだ。





「何だ……これ!?」


外に出た俺たちが目にしたのは、宙に浮いたまま蒼白く氷漬けにされた竜だった。正確には、大地から伸びた氷柱に貫かれるようにしてそこにあるのだが、いずれにせよ壮観だ。離れていても、冷気が伝わってくる。


「見事であろう? これが私の力らしい」


一種の芸術作品に見えるそれを、リオンが作り上げたという。


「す、すごい……! てっきり殿下は火属性かと……!」

「ふむ、髪も赤いしな? だが違うようだ」


リオンは黒が入った赤髪で、瞳も赤い。それなら火属性に違いないなどと思うのは、俺が前世でそういうものばかり見てきたからだろう。


「おそらく、これが魔術なのだろうな」


そう言ってニヤリとするリオンを見て、俺はふと疑問に思った。


(原作のリオンってどんな力を使ってたっけ……)


ソールは、少なくとも最初の時点では単純に騎士(実質、剣士)だったと思う。だが、リオンには王女としての特別な力が備わっていた……ような気がする。


「そんな顔をするな、ソール。私も驚いているのだ。どうやら以前の力は使えないようだが……これはこれで役に立つ。実際、お前たちを救うことができたのだからな」


リオンはそう言って、ぽかんとしている猫耳少女の方に目を向ける。


「置いてけぼりにしてすまない。いや、置いてけぼりをくらったのは私の方か。ともかく……私はリオン、そなたを助けたのは私の騎士ソールだ。名を聞かせてくれるか」

「ミ、ミ、ミ、ミ……」

「ミ?」

「ミーナミーナ! なんで繰り返すのかよく分からないからミーナでいいよ!」


ミーナと名乗った少女はリオンの手を掴んでぶんぶん振った。


「助けてくれてありがと! 強いんだね!」


彼女の底抜けの笑顔に、リオンも気を良くしたらしい。ミーナに笑顔を返す。


「ふふ、よろしくミーナミーナ」

「ミーナでいいよ?」


その後、興奮した様子で今度は俺に近づいてきた。


「ありがと! すっごくかっこよかった!」

「あ……うん。よろしくね、ミーナ」


あんまりストレートに『かっこいい』などと言われるものだから、俺は少し目をそらしてしまった。こういう時、本当にカッコいい男――例えば物語の主人公――は真っすぐ笑顔を返せるんだろうな。


そんな俺の心を見抜いたのか、ミーナとの熱烈な握手を交わした後、リオンがニヤニヤしながら俺の二の腕を小突いてきた。


「かっこよかったぞ、ソール」

「……勘弁してください」


俺とリオンのやりとりをぼーっと眺めていたミーナだったが、急にはっとした顔をする。


「そうだ! なにかお礼をしないと……!」


ミーナは周囲を見渡して採集かごを拾い、地面に散らばっていた色とりどりのキノコを集め始めた。前かがみになって拾う動作には無駄がない。


と、リオンが近寄って囁いた。


「まさか、お礼というのはあのキノコか」

「おそらく」

「あれでは毒見役も逃げ出すぞ」

「あはは……」


確かに、あまりにも毒々しい見た目をしている。赤、青、黄……まるで毒キノコの花束だ。あるいは、毒キノコのおかげで、竜に食われるまでの猶予を得られたのかもしれない。


「あれ、殿下、待ってください。その場合、毒見役は俺ですか」

「ストゥルタは自動人形オートマタだからな」


俺は、リオンの言葉を冗談として飲み込んだ。


ミーナはキノコを集め終わると、せかせか歩きで俺たちにかごを差し出した。


「……すくにゃいですが!」

「「いらんいらん」」





ミーナもどうやら、それらが毒キノコだとは分かっていたらしい。


「うぅ……でも、ミーがあげられるものなんてこれくらいしかなくて」

「いや、俺たちはお礼なんていらないよ。ねえ、殿下?」


むしろ、受け取ったら俺が死ぬ。


「む? そうだな?」リオンは不意を打たれたような顔で返事をした。まるで話を聞いていなかったみたいだ。やけに、ミーナに注がれるリオンの視線が熱い気がする。


まあいいか。俺はミーナに向き直る。


「けど、どうして毒キノコなんて集めてるんだい?」

「薬になりそうなものを探してたの! キノコ図鑑にも『この世の全てが毒であり、薬である。その境界を決めるのは量でしかない。キノコもまたしかり』って書いてあったし、いけるいける!」

「……そうかな」


急に含蓄のある言葉が出てきたが、ミーナが集めているキノコの中にはどう見てもヤバそうなものもたくさんあった。舐めただけで死にそう。


リオンの反応が気になったのだが――


「触れたい……」


――ぼそりと呟くリオンがそこにはいた。その瞳はどうもミーナの尻尾と耳を行ったり来たりしているらしい。まるでペットショップに来た少女だ。


ミーナはリオンの熱視線に気がつき、


「だ、だめだよ! 耳と尻尾は敏感なんだもん。触っちゃだめ……」


と尻尾を背中の後ろに隠し、耳を手で押さえる。


「殿下、見過ぎです」

「な、誰も舐めまわすように見てなどいないぞっ!」

「誰も舐めまわすようにとは言ってません」


リオンは不服そうな目をして口を開く。


「まったく、自分のことを棚に上げおって。ソールもじろじろ見ていたくせに」

「ええまあ……その、かわいらしいじゃないですか」

「……まあな?」


と、ミーナが小さく「へへ……ミー、かわいいのかなぁ……」と呟いてから口を押さえた。


「今のはなんでもないよ! なんでもないから!」


焦りながら尻尾の挙動がおかしくなるミーナを見て、俺とリオンも思わず口から言葉をこぼす。


「かわいい」「触れたい」

「やめてー!」





「――それでミーナミーナ、どうして薬を探しているのだ」

「ママとパパの病気を治すためだよ! 食べれるものはぜんぶ試したから、食べたことのないキノコを試してるんだ!」

「ふむ……それは大変だな」

「ううん! ぜんぜん平気! それでね、今日はいつもよりも森の深い場所を探してたら、急にドラゴンが出てきたからびっくりしちゃった……」


そこまで言って、ミーナはほろりと涙をこぼした。


「あれ、あれれ……! へへ……おかしいな……なんでだろう」


怖かった気持ちが今になってあふれてきたのだろうか。


ミーナの涙を見たリオンは、俺に目を向ける。


「ミーナミーナを家まで送ってやろう」

「ですね」

「えっ……いいの?」

「無論だ」


リオンはミーナに短く答え、天を仰ぐようにして俺に話しかけた。


「ところで、あの竜はどうする?」

「……あれって死んでるんですか?」

「さてな。首を折ればさすがに死ぬだろうが」

「……そう、ですね」


破壊するにはもったいない芸術性だが、リオンは飛び上がり、躊躇なくかかと落とし――



バキィッ!!!



――竜の首が落とされた。怖い。


「ふむ、ケーキよりも脆いな」


俺とミーナが後退ると、リオンは頬を膨らませる。


「そ、そんなに怖がるでない! ソール! 貴様もこれくらいできように!」


そう言われても……。と、ミーナが急に耳をぴんとさせると、落ちた竜の首に近づく。


「竜の血は薬になるって聞いたことあるにゃんッ!!!」


興奮気味にそう言っては、どこに持っていたのか、透明な瓶を竜の首の切り口に突っ込んだ。


「ふふ、ミーナミーナもなかなか肝が座っているらしい」

「……ですね」


竜とはいえ生首に手を突っ込むのはぞっとしない。


リオンは微笑んだ後、少し険しい表情でミーナの方を見る。


(リオン……?)


採血を終えたミーナが「ほかほかだよ……」と言いながら、まるで茶碗を持つように血入りの瓶を持ってくる。


と、リオンは少し考えるそぶりをしてからうなずき、森のオブジェと化した竜を見上げた。


「さて、止めを刺したまでは良いとして、放置もすべきではないだろうな。ソール、お前の力で墓を作れないか?」

「……やってみます」


先ほど作った土ドーム周辺の地面に干渉する――横幅10メートル縦幅20メートルほどの長方形の巨大なくぼみが出来上がると、リオンは竜を支えていた氷の柱にふっと息を吹きかけた。


柱が砕けた後、ずん、と大きく大地が揺れる。すぐさま、天然の棺桶に収まった竜を埋めるために、俺は掘り出した土に干渉し、埋め直した。


「ソールは土葬係だな」

です……」





――続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る