第8話
少し状況を整理しよう。
ありふれた転生をしたかと思えば、ゲーム世界のヒロインと一緒に主人公として目覚めた。
かと思えば、目覚めた場所は異世界で、錬金術師と魔術師のアジトの中だった。アジトには10もの大部屋が存在し、『温泉の間』なんてものもある。
そう、『温泉の間』。
本題はここから。
今、俺は『温泉の間』の真ん中で仰向けになり、倒れこむ美少女二人――
※詳しくは前話参照のこと
「危ないッ!」
とっさのことに俺は叫び、二人を待ち構えた。
がばっ
さすがホムンクルスの体。身体性能がえげつない。
倒れこむ二人分の重さを、
寝そべっている状態で、
それぞれ片手で受け止めることすら、
造作もないらしい。
俺は二人が床に体をぶつけないように抱き寄せた。
問題はここから。
(どうしよう)
いや、別にどうするも何もないのだが――
温泉の間の独特な匂いと
リオンから発せられる甘い香りと
布越しに伝わってくる二人分の圧倒的な感触に
――頭がおかしくなるっ!
「ソール! すまない! 大丈夫か!」
こんな時でも、リオンは優しいなあ……俺は不実な騎士なのに。
いやむしろ――
(こんな美少女と二人きりで長期間寝食を共にしながら鋼の忠誠心を見せていた原作主人公のソールがおかしいのでは?)
――
「……殿下がご無事で、何より、です」
なんとか応えると、今度はストゥルタが強引に俺の頬を両手で挟んできた。青い瞳が、じっと俺の深部を覗き込んでいる。
「ワタクシを、置いていかないでくださいませ」
「……置いていかない。置いていかないから!」
そんな目で見ないでくれ……。
俺は無力だった。されるがままになっていたその時、俺とストゥルタの顔の間にリオンが首を挟んだ。
「おいストゥルタ! 近すぎるぞ!
「ではリオン様にお願いします」
「ばかも……あぁッ!」
「500年分、ワタクシと付き合っていただきます」
俺の体の上で、くんずほぐれつが始まった。
「愚か、者ッ! 見境なしかぁ!」
「ワタクシは
愚者ってそんな便利な言葉なのか。うらやましい。
ストゥルタはリオンの体を拘束しながら続けた。
「そもそも、最初に温泉の間でワタクシの体を触ってきたのはリオン様でございます」
……え? ここに来て衝撃の事実だった。
「殿下……?」
「ち、違う……! 私はただ、
「つまり、ワタクシにもリオン様の体を調べつくす権利がございます。
「ソールッ! 私の騎士だろう!? 助けよッ!?」
「すみません。QEDされてしまいました」
「ばかもの!?」
――温泉の間で繰り広げられた熱き死闘の末、俺たちは再び『玄関の間』に足を踏み入れていた。
ストゥルタの【
黒い火花から始まり、赤い閃光がほとばしると、無残だった床がみるみるうちに元の状態に近づいていった。
「ぅぉお……」
自分でやっておきながら、やはり本当にとんでもない力が宿っていると実感して、少し怖くなってきた。
俺が自分の手を見つめていると、ストゥルタが側に来た。
「【
「ストゥルタ……?」
「錬金術が発動する際に見られる反応でございます。それはあくまで過程であり、錬金術の真髄とは言えないのですが――ともかく、ソール様の中には確かに錬金術の力が宿っているようです。つまり、玄関の間に門を作ることができるでしょう」
ストゥルタが指さしたのは、三本ある通路側とは正反対にある、何の飾り気もないまっさらな壁だった。
「マスターの皆様は、壁に両手を触れて念じることで、門を作っていました」
「念じる……?」
「ストゥルタには難しいのでございます」
「俺にも難しいのでございます」
とは言ったものの、やってみるしかないよな。
「あれ、そういえば、魔術による再反転が必要とかなんとか言ってなかったか? それも俺にはよく分からないんだが……」
「重要なのは力が存在することです。少なくともソール様の中に錬金術の根源となる力が、世界には魔術の根源となる力が存在する――これが重要なのでございます。再反転は
「自動でって……それじゃ錬金術が失われる前は誰でも出入りし放題だったってことなのかい?」
「いいえ。内側から開けることはできますが、外から開け閉めするのはマスターにしかできません」
なるほど……ドアの鍵みたいなものか。
「殿下、俺……やってみますね」
我が王女の方に振り向くと、そこには頬が赤いリオンがいる。まだ温泉の間での激戦が響いているらしい。
黒いフードに手を入れて、控え目に髪をかきあげる仕草が愛おしかった。
「うむ……やってみよ」
さて、かわいい殿下のお許しも出たわけだ。やってみよう。
まっさらな壁の前に立つ。不思議な圧迫感があるが、怖気づいていても、事態は何も変わらない。
ふぅ……
息を整えて、壁に手をかざそうとしたその時、抑揚のない声が聞こえてくる。
「ソール様、リオン様。門を開ける前に、ワタクシと約束してほしいことがございます」
振り返ると、俺とリオンを交互に、真っすぐ見つめるストゥルタがいた。
「もし、門を開けて、ワタクシがここから出られないと確定したその時は、ワタクシを壊してくださいませ」
俺は……何かを言いかけて、何も言えなかった。
だが、リオンは違った。
「約束しよう――」
ストゥルタを抱きしめて言ったのだ。
「――私が、必ず壊してやる」
王族としての覚悟が、そうさせるのだろうか。リオンは、自分が傷つく言葉をためらわなかった。
「ありがとう、ございます。ワタクシは、幸せ者です、ね」
普通の人間では、リオンが言ったようなことは言えないだろう。
(
主人公だから優れているのではない。
優れているからこそ主人公なのである。
そんなことを考えながら、俺は二人に背を向け、壁と向き合った。
せめて、この異世界で出会った二人のために、俺はここに門を作ろう。止まっている世界を動かす役目を、俺が担おう。
たとえ俺が、主人公らしい主人公ではなかったとしても……!
ピィィィィン
玄関の間に甲高い音が鳴り響く。巨大な壁を切るように長く白い光の筋が生まれたかと思えば、あっという間にまばゆい光があふれ出した。
チュン、チュン、チュン……
鳥の声だ。それに他にも、生き物の声がたくさん聞こえる。
視界に広がるのは緑の海――『シャーレアの大樹海』があった。想像していたよりも遥かに壮大な光景があって、思わず息を飲む。
ストゥルタにとっては500年ぶりの光景、ということになるのか。
「どうしてワタクシには、涙を流す機能が、ないのでしょうか。こんなに幸せなことは、ございませんのに」
幸せ、という言葉が、
「行ってらっしゃいませ、お二人とも。ワタクシはここでお二人をお待ちしています。ずっと、ずっと……500年でも、1000年でも」
ストゥルタのとてつもなく重たい待機宣言に、俺も思わず苦笑い。
「ルタ、そんなに待たせる気はないからな? 数時間もしないうちに帰ってくるからな?」
「ワタクシ、数時間などという曖昧な言葉は信じられないのでございます。なので、とにかくお待ちしております」
困った俺はリオンの方を見た。『やれやれ』という顔で俺に目くばせしてから、リオンはストゥルタの目を見た。
「信じて待て」
「はい」
これが王女の器か。男前が過ぎる。
「リオン様も、ソール様との二人きりのランデブーをお楽しみくださいませ」
「なっ、ばかもの! 我々は調査にゆくのだ! この淫乱愚者メイドッ!」
これが王女の素顔か。かわいいが過ぎる。
……と、俺たちの冒険はこれからだ――まさしくそんなタイミングだった。
ドゴオオオオオォォォォンッ!!!!
巨大な爆音。それが何度も鳴り響き、世界を揺らし始める。
何の音だ? 爆弾?
そんな非日常は、前世の俺にとっては画面の向こう側の世界の話だった。だが、ここは異世界だ。あるいは、爆弾よりも恐ろしいものがあるかもしれない。
そこら中から聞こえてくる鳥獣の類の悲鳴に、心臓の鼓動が速くなってきた。
「ソール様、リオン様、やはり外は危険――つまり、様子を見てから外に出るべきです」
ストゥルタの言う通り、この音の正体がなんであれ、不用意に近づくのは得策ではないだろう。
爆音に加えて、絶え間なく恐怖を抱かせる音が聞こえてくる。太い木々がメキメキと折れていく音、パチパチと焼ける音。
だんだんとそれらの音が大きくなっていくと、目に見えて異変の正体が分かってきた。
緑色だった世界の向こうで、夕焼けのような光が見える。きっと火事になっているのだろう。
そして、その中でひときわ目立つ巨影が天に向かって吠えた。
グオオオオォォォォッ!!!
俺は、あの存在を知っている。
「ドラゴン!?」
俺は思わず叫び、自分の口を手で押さえる。RPGではお約束の強力な魔物――竜の登場に、驚きが隠せなかった。
ドラゴンの扱いは、ファンタジー作品によってまちまちだが、弱い存在として描かれることはあまりないだろう。ラスボスや裏ボスとして登場することも珍しくはなかった、と思う。
(触らぬ神に祟りなし、だな)
いきなりラスボスが登場した……とまでは言わないが、異世界初の魔物との戦闘で竜を相手にする勇気はない。
傍観を決め込もうと改めて決意したその時――
〈ミーはおいしくにゃいナァァァァンッ!!!〉
――ほとんど奇声の悲鳴が聞こえてきた。
どこから? もちろん、竜のいる方から。
そんな声を聞いてリオンが黙っているはずもなく――
「ゆくぞッ!」
「はッ!」
――反射的に返事をしてしまう俺だった。
俺とリオンは、声のする方に焦点を合わせ、
ダンッ! ダンッ!
死のうとしている誰かとの距離を一気に詰める。
〈ソール様ー! リオン様ー!〉
ストゥルタの呼び声も既に遠い。
足元に広がる木々の根っこを足場代わりに、俺たちは飛ぶように駆けた。
リオンはくくと笑って俺に語りかける。
「平原で凶暴化した竜に襲われたのを思い出すな。あの時はソール、お前が私の代わりに竜に飲み込まれた」
「……あー」
そういえば、そんな話もあったような気が……?
「お前はしぶとく生きていて、竜の腹の内側から剣を突き刺した」
あっ……あったあった!
「そして、リオン……殿下は外側から攻撃して、二人で竜を倒した」
「ふふ、竜殺しの再現といくぞ」
「丸のみはご勘弁を……!」
その血走った眼は、明らかに怒りに燃えていた。
ワニのような鋭い牙の隙間からよだれがしたたり、地に落ちた瞬間にジュっと音を立てて周辺の草を溶かしている。シカのように枝分かれした角が木の枝に引っかかると、煩わしそうに木の幹ごと薙ぎ倒していた。
グオオオオォォォォッ!!!
コウモリのような膜のある大きな翼を広げて、不満を爆発させるかのように吠える……その視線の先には、へたり込む猫耳の少女がいた。
猫耳少女が抱きかかえている採集かごには色とりどりの毒々しいキノコが花束のようにあふれている。これが図らずも竜を威嚇し、気休め程度の延命に繋がっていたのだが、やはり気休めでしかない。
猫耳少女は竜の涎まみれの口が開くのを目にし――
「ミ゛」
――かろうじて出したその声は、断末魔と呼ぶにはあまりにも儚く、あるいはセミに近かった。
――続く。
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