第4話

……少し、落ち着こう。


ここは、秘密結社『黄金の兄弟団』のアジト、『二―フェルアーズ』の中にある大部屋――何かのまじないか化学式めいた落書きが大量にある――の中心。


二人の人造人間ホムンクルス――ソールとリオン――と、自動人形オートマタ――ストゥルタ――がいる。


そしてここは……異世界、か。


(俺が今生きているこの世界が異世界なのだとすれば、俺はいったい何を目標に生きていけばいいのだろうか)


俺は、ゲーム世界の主人公――ソール=アウレアスの姿で転生した。それは多分、間違いない。だが、やはりここはゲーム世界ではないらしい。


主人公のソールには、使命があった。ゲーム世界のヒロインであるリオン=ラズグリッドと共に、奪われた王国を取り戻すという使命が。


(ただ、俺の魂は、俺のままだ。おそらく平凡で、何の使命もない人間だった……と思う)


今の俺は、ソールであって、ソールではない。だからこそ、たとえソールの使命が果たせずとも、俺としては問題ない。


(だが、リオンは違う……)


赤い瞳を揺らめかせている少女の表情を見て、俺は思わず胸が苦しくなった。





『使命を果たせない』





俺には、リオンがそう言っているように見えた。かつて生きていた世界と、そこにある祖国が、王女の瞳には映っている。そう思えてならなかった。


(ソールなら、なんて声をかけるのだろうか)


ゲームのヒロインに過ぎないはずなのに、俺はリオンを、一人の人間として見ている。だが、見た目だけが主人公の俺に、いったい何ができるのだろう。


目を瞑ると、かつてプレイしたであろうゲーム画面の光景が浮かんでくる気がした。


(そうだ……ラズグリッド王国の南側には、オウルと呼ばれる大きな山が立ちはだかっていて、ソールとリオンは追手から逃げるために、決死の山越えをしたんだっけ)


……凄いな、ソールとリオンは。


俺は目を開き、リオンの顔を視界に収めた。


「オウルの山越えは地獄でした。ろくな装備もない状態で、至る所に生えている魔樹トレントを気にしながら、交代で睡眠を取りましたね。いつ死ぬとも分からない暗闇の中を、ただ前へ前へと歩いていく……俺たちは多分、言葉にはしませんでしたけど、とても怖かった」


うつむいていたリオンが顔を上げ、俺の方を見た。


俺は、今度は真っすぐに彼女を見て続ける。


「それでも俺たちは山を越えた。オウルの山を越えた先には、息をのむような景色が広がっていて……俺たちは小高い丘の上に立って、山を振り返った。いつか必ず、故郷を取り戻すって」


そうだ、俺たちは諦めなかったんだ。


「リオン殿下、ここはオウルの山を越えた――その先です」


一瞬だった。


一瞬、仮面が剥がれたように見えた。


王女ではない、ただの少女の笑みが、見えた気がしたんだ。


リオンは何を思ったのか、円卓に埋もれるように突っ伏した。


しばらく自分の腕の中に顔をうずめていたが、やがて目だけを俺に向ける。


「……ばかもの」


小さくそう言った後、再び顔をうずめて「ばかもの」と言うリオン。


そんなリオンの姿に、俺は思わずときめいた。


だが、それは心の内にしまうべきだろう。


なぜなら俺は、彼女にとっての騎士なのだから――





俺はアジト内にある個室のベッドで、独り自らの発言を振り返っていた。


(俺はなんて恥ずかしいことを言ったんだ……)


いや、だって――


「――ソールならああいうこと言うだろ、絶対ッ!」


弱い俺は、ゲーム主人公のソールに責任を押し付けることで、自分の心の安定を図る。


『いや、俺は悪くないだろう。どう考えても』


俺の中に芽生えだした空想のイマジナリー・ソールが反抗してくる。くそ、言い負かしあいレスバで勝てる未来が見えない。


「はあ……」


反省会は終わりだ。今考えるべきは、いかにしてリオンにとっての元の世界に戻るか。そもそもゲームの世界に戻るということ自体が意味不明だが、この際それは考えないでおこう。俺に今できることは、ソールという役割をまっとうすることなのだから。


まあそれはいいとして、元の世界に戻る以前の問題があった。


ストゥルタが言ったのだ――


『錬金術が使えなければ、ここから出ることはできないのです』


――と。


『ニーフェルアーズは魔術と錬金術の結晶――現実にあって現実にない場所なのでございます。


魔術とは、ここにはない存在を呼び出す――召喚術。


錬金術とは、今ここにある存在に触れる――干渉術。


ニーフェルアーズは、魔術反転によって存在そのものが世界から隔離されているため、これを魔術によって再反転させ、一時的に元に戻す力が必要です。


再反転させた上で、さらに錬金術で世界に干渉するための門を作らなければなりません。つまり、魔術と錬金術、両方の力が必要なのです。


ですが、そんな方が今ここにいるでしょうか。いいえ、いません。


ワタクシを残して、ご主人様マスターたちはここを出てゆかれました。ワタクシ以外のオートマタも、みんなマスターたちと共にここを離れてゆきました。一緒に残ってくださった最後のマスターも、もう亡くなりました。


さて、ワタクシは残された欠陥品のデク人形。


そして、ソール様とリオン様は自称ホムンクルス。


つまり、ワタクシたちはこのままずっと、ニーフェルアーズでランデブー、でございます。証明終了Q、E、D


なるほど、実にファンタジックな話だ。QED。


つまり、状況はあまりよくないということがよく分かった。


(いや待て、ルタは最初に言ってたよな――)





『錬金術は既に世界から失われ、人造人間ホムンクルスもまた完成することはないのですから』





――って。だったら、俺やリオンが歩き回っていることがそもそもおかしい。


(確かめなければ……!)


俺はベッド――ストゥルタは誰も使わないのに掃除していた――から飛び起きると、個室のドアを開けた。


このアジト、広いんだよな。二人を探すには苦労しそうだった。


俺とリオンが最初に目覚めた部屋を含め、半球形の大部屋が10部屋あるようで、その位置関係も含めると――



     ①祈祷の間


③書物の間     ②秘術の間



⑤牢獄の間     ④医療の間


     ⑥集会の間



⑧製作の間     ⑦調理の間


     ⑨温泉の間



     ⑩玄関の間



――このような配置になっているらしい。


大部屋を繋ぐ22本もの通路があるのだが、⑥集会の間付近の通路に個室が集中しているらしく、俺とリオンはひとまず南側通路の隣り合う個室を選んでいる。


(リオン、部屋にいるかな)


俺は通路を出ると、すぐに隣の部屋のドアをノックした。


「殿下! 殿下! 話し合いたいことがあるんです!」


が、反応はない。


(……そういえば、秘術の間で『温泉の間がございます』と聞いたリオンは、『早く案内するがよい!』と興奮気味にストゥルタに詰め寄っていたな)


まったく、女の子は温泉が好きだな。俺も好きだ。


いやそんなことはどうでも良くはないが、早くリオンたちに会いたい!



ダンッ!



俺は100メートル走を9秒で走る勢いで飛び出した。かなり抑えてこの速さとは、恐ろしい体だ。


〈ではリオン様、お体に触りますね〉

〈な、ばかもの、そこは違う……!〉


……なん……だ、この会話はッ!?。


〈本当にホムンクルスなのですか? それならここは――〉

〈ばか……そこは……んっ……〉


リオンの普段よりも高い声が響いてくる。

この体、やはり耳もいいらしい。実に会話がよく聞こえてくる――


(――ではなくッ!)


……聴覚に意識を集中し過ぎた。このまま突っ込んだら裸体の二人が


「遅かったああぁぁっ!」





俺は通路を抜ける瞬間、自分の顔を手で覆った。



ぬるっ



さすが温泉の間。通路を抜けた瞬間、足で地面を掴めない。


温泉の間は、大きな半月状の湯舟が左右二つに分かれており、俺の体は見事にその二つの間の通り道に投げ出される形となる。



ゴッ



俺は頭を打ち、意識を失った。





〈ソール……! ソール……!〉

〈ソール様、意外と愚者なのでは〉


ああ、リオンとルタの声がする。


「ソール! ばかもの! 風呂を覗きに来ておきながら気絶するとは何事か!」

「発情期ですか」


……発情したとすれば、それはルタのせいに違いない。


恥ずかしさのあまり、声を出すことも、目を開くこともできなかった。できればこのまま気絶したふりを続けて、二人には去ってほしい。無理か……。



むにゅ



何か柔らかなものが、俺の顔を包み込んだ。


(俺は今、何をされている!? 俺は今、何を枕にしている!?)


むせかえりそうな熱に顔が溶けそうだった。それに、首の後ろを支えるこの太い弾力。


(太ももだッ!)


温泉の間の熱い空気でぼーっとする中、俺はもう一つの確信を得た。


リオンが俺を、力強く、抱きしめている。


目を開けたい……俺は不敬にも、その衝動が抑えられなかった……!





(薄目を開けても真っ暗!)





それはそうだ。リオンの衣装が黒いのに加えて、胸を押し付けられているのだから。


(ああ……)


どんどん深い谷の中に沈んでいく……まるで現実にあって現実ではないような感覚――


(――これがニーフェルアーズの奇跡か)


俺はもう、まどろみに逃げる。


「ソール! 死ぬな! 貴様はホムンクルスなのだろう!?」


く……リオンの優しさと温もりと、圧――上下からの――が苦しい。


「ワタクシ、名案が浮かびました。体をくすぐられると、人間は目覚めると聞いたことがあります」


……ストゥルタさん!?


「では、失礼――」


大丈夫だ。俺の体はホムンクルス。くすぐりごとき何するものぞ。


首かッ!? 脇かッ!? 足の裏ァッ!?


「ふ、ひはっ!」

「――証明終了QED


まさかの伏兵ダークホース、乳首付近。





「――ソール=アウレアス」

「死刑でしょうか」

「ばかもの。心配したのだぞ」

「申し訳ございません」


肩まで湯船に浸かっているリオンとストゥルタに対して、土下座。


外にいるのに俺の全身がもう熱くて仕方がなかった。


恥ずかしさ、不甲斐なさ……あとその他。爆発しそうだ。


「ソール様は、何をされているのですか?」


やはり、異世界人ならぬ異世界オートマタには土下座が新鮮に映ったらしい。ので、説明する。


「ルタ、これは最大限の誠意を示す作法なんだ」

「なるほどなるほど、これが入浴を覗いた男が取る姿勢と」

「そんな限定的じゃない」


とにかく、俺は謝った。


『故意ではなかった』という、嘘みたいな本当のことを釈明したら、なんとリオンは信じてくれた。


「ふふ、貴様はそういう男だからな」


――これが、ゲーム主人公の徳ッ!


穴があったら入りたい。いやもういっそ風呂でいい。


そんな気持ちの中、俺はようやく本題に入れた。


「もしかしたら、錬金術は失われていないかもしれないんです!」

「なんだと!」


リオンが立ち上がると、大事なところが全て見えた。


(なんて美しい……!)


アニメなら、白い光がかかるだろう。


はっとしたリオンはすぐにそれらを手で隠し、すかさず湯船に身を沈めた。


「……見てはならぬ」

「……すみませんッ!」


『すみません』という言葉には、謝罪と感謝が含まれる。


言葉とは、かくも美しい。

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