第2話

異世界に転生したと思ったら、ゲーム世界の主人公になっていた。だが、どうやらこの世界はゲーム世界ではないらしい。もっと言えば、俺は人間ではなく、ホムンクルスの可能性が高いという。


わけが分からないよと愚痴をこぼしたくなるものの、こうしてはいられない。


幸いにも、俺こと主人公のソール=アウレアスの隣には、ゲームのヒロインであるリオン=ラズグリッド――彼女もおそらくホムンクルス――がいる。


隣を見ると、黒いフードから可憐な横顔を覗かせるリオンがいた。


彼女はニヤリと笑いながら、からかうように言う。


「じろじろ見るな? 不敬だぞ」

「これは失敬」


そう……確か、リオンはラズグリッド王国の王女で、主人公である騎士ソールと共に奪われた王国を奪還する……というのが彼女のメインストーリーの大筋だった……気が……。


そう……リオン王女……殿下。





(ヤバイ!?)


転生して早々、とんでもないやらかしをしてしまった。実は記憶違いで、王女ではありませんでしたとかないか!? いや、絶対王女だった!


(どうしよう……おっぱい揉んじゃったよ……!)


※詳しくは前話を参照のこと


俺は床に崩れ落ち、そのまま頭を床に打ちつけた。



ゴッ



めちゃくちゃ硬い。おっぱいとは比べ物にならなかった。当たり前だバカやろう。


しかも俺……王女殿下に対して『きみ』呼びで話していたのか。ひどすぎる。


前世なら社会的な死で終わっていたかもしれないが、異世界なら肉体的な死をもって償わねばならないだろう。


「おいソール! なぜ頭を打った!」

「死なせてください!」


そもそもなんで記憶が曖昧なんだ……転生後遺症なんて聞いてないぞ……。


もう一度頭を打ちつけようとした時――



ふわっ……



――俺の頭がやわらかな温もりに包まれた。


「ばかもの。これ以上記憶をなくしてしまったらどうする」


ああ、そうだった。リオン殿下は男勝りな性格に見えて、本当の姿は優しい乙女だった。


「殿下……その、俺はあなたに大変なことをしてしまいました」


リオン殿下の胸に抱かれながら、俺は恥じ入っていた。そんな俺を、殿下はなおも抱き寄せる。


「もうよい。私の命は何度も貴様に救われているのだ。あれくらいのことは……許す」

「……殿下」


……許しちゃだめです。


「それに、貴様から『君』と呼ばれるのも悪くはなかったぞ。まるで身分の上下のない……普通の男と女のようではないか」

「ですが……それはさすがに!」


俺はもがいたが、リオンは離してはくれなかった。息が……苦しい。


「時々でいい。私を普通の女のように扱え」

「しかし……!」

「ええい! 王女の命令が聞けぬのか!」

「はッ! 仰せのままにッ!」


あまりの圧――色んな――に屈してしまった。ゲームの主人公ならこんな簡単に屈したりはしないのに。俺という人間は主人公としてはどうも頼りない。


ようやく柔く力強い拘束から解放されると、俺は勇気を出して普通の女の子を相手にする気持ちになろうとしてみる。


(俺って多分、前世で女の子と関わったこと、あんまりない気がするな)


記憶がないのをいいことに『あんまりない』という表現を使ってしまう浅ましさが、俺の前世を物語っていた。


リオンはというと、『ほれ、やってみろ』と言わんばかりに微笑んでいる。こっちの気も知らずに。


「……リオン」

「うむ」

「俺たちが今置かれている状況を知る必要がある……ます」

「うむ……ふふ。そうだな」


リオンが口元を手で隠しながら笑う。……恥ずかし。


「その愉快な態度に免じて、今はまだ許してやろう。だが、『一日一リオン』だけは忘れるな?」

「そんな一日一善みたいに」

「私が善そのものだからな」

「殿下、それではまるで神か何かですよ」

「なんだソール、何か不都合でもあるのか」


神をも恐れぬ態度だ。実に恐ろしい。


だが実際、リオンはこういうこと言う。おぼろげな記憶の中に、俺は確かな根拠を感じ取れた。ああ言えばこういうリオンに付き合わされては、ソールが舌を巻くというというのがお約束だ。


彼女は滅多なことでは怒らないし、むしろ、積極的に会話を楽しもうとする節があった。今もこうして、『どう答える?』と言わんばかりのにやけ顔で、今も俺の顔を覗き込んでいる。


リオンを立てるか、神を立てるか。


冗談にしろ、本気にしろ、忠実なる騎士としては実に回答に困る類の発言である。


が、こういう時、ソールならこう言うだろう。


「神様に殿下は務まりませんよ」


俺の言葉にリオンは目を丸くする。


「くく、神をも恐れぬ発言だ」

「殿下がいれば怖いものなしです」





一日一リオンはともかく、俺とリオンはこの謎の施設の探索を始めることにした。


俺たちが目覚めた白い部屋からは3つの道が枝分かれするように伸びていたのだが、


「どうせ全て見て回るのだ」


と、殿下は適当に選んだ左の通路へと歩みを進める。


通路の入口の上部には知らない数字と文字が刻まれていた。


『愚者』 『0』


……なんてことだ。


「私は愚か者らしい」

「不届きな通路めッ! ……塞ぎます?」

「いや許そう。0歳児にはいささか酷だ」


仮に数字が年齢を表すとして、0歳に愚者もくそもないだろう。とはさすがに言えなかった。


薄暗い通路。だが、天井と床に埋め込まれた粒のような青い光が優しく俺たちを照らしている。


リオンは小さく首を左右に動かしては、


「まるで星空の中だな」


と控え目に声をはずませている。かわいい。


かと思えば、リオンは真剣な目で道の先を見すえる。


「ソール、あまり離れるな」


油断していた。リオンが体を寄せてきたことに、俺は気がつかなかった。黙ってリオンを受け入れていると、不満げな声が聞こえてくる。


「いつもは貴様から言うのだぞ。『殿下、俺から離れないように』、と」

「……俺ってそういう奴でしたね」


主人公という人種はどうも人が出来過ぎていて困る。俺のような凡人に、果たしてソール=アウレアスが務まるのだろうか。しかも、彼の場合はリオンから離れないようにしつつ、紙一重で触れないようにするという高等テクニックを呼吸するように使えるのだ。


「……今の貴様も悪くはないぞ?」

「……精進します」


原作ではあり得ないやり取りを、今のソール――俺はしてしまっている。本物のソールが見たらどう思うだろうか。ゲームの主人公相手にこんなことを考えても仕方ないのかもしれないが……きっと怒るだろうな。


もっとも、隙あらばソールに絡もうとするリオン王女殿下という構図は原作通りに思えるから……許してほしい。


原作の世界観と現実の異世界観の間で苦しみながら、


『互いに想い合う王女と騎士が異世界に転生したらこうなるに違いない』


と言い聞かせることしか、俺にはできなかった。


おぼろげな記憶では、リオンはソールに想いを寄せながらも、その本音を伝えることはなかったように思う。


ソールはソールでリオンに対して並々ならぬ感情を抱いていたが、騎士の本懐を遂げるためにそれを隠そうと必死だった。


結局二人の関係性がどうなったのか、実を言うと俺は知らない。多分俺は……ゲームを最後までプレイしていない。


(プレイし終わる前に、死んだ……か)


あるいはここがゲームの続きなのかもしれない。とも思ったが、ホムンクルスになるなどという急展開はさすがにないだろう。


(そもそも、俺ってどこまでプレイしたんだ?)


答えのない問いに意味はないと悟った頃には、星空の散歩道が終わった。


リオンは少し残念そうな顔をした後、皮肉っぽい調子で言う。


「愚者には頭が痛くなる光景だな?」


リオンの欲しがりな上目遣いをかわしつつ、俺は目の前に広がる空間に目を向けた。


(また丸い部屋、か)


半球形の空間が広がっているのはさっきの部屋と同じだった。


が、床から壁に至るまで、大量のチョークの跡。パッと見ではどこかまじないめいてもいるし、なにか科学的な思考の跡にも見えた。


そして、右手側にはやはり通路が3つ続いている。どうやらこの施設は半球形の空間と、それを繋ぐ通路で構成されているらしい。


リオンと目を合わせて数秒……俺たちは目の前の空間に足を踏み入れた。


その時――


〈侵入者発見〉


――抑揚のない女の声が聞こえた直後に、何かが空を切る音。


「リオンッ!」


体が勝手に動いた。俺は思わずリオンと呼び捨てにして、その何かから彼女をかばう。


ッ……」


背中に激痛が走った。何か刃物が刺さったらしい。というかこの体、普通に痛いのか……!


「ばかもの! 私をかばうなど……!」


リオンは姫らしからぬことを言う。というか、俺も俺でよく知り合ったばかりの彼女のために体が動いたな……普通無理だろう。これも、主人公ソールとしての本能みたいなものだったりするのか?


真偽は分からないが、動いてしまったものは仕方がない。なんとか、かっこつけてみる。


「ご冗談を殿下……俺はあなたの騎士ですよ」


ソールならこういうこと言うよな、きっと。内心、泣きたいくらい痛い……。


リオンは自分の発言に思うところがあったのか口元を手で隠す。それから、周囲に警戒の目を向けた。


「そうだな……まずは我らに刃を向ける不届き者を粛清するとしよう。ソール、怪我の方は……と、これは愉快なことになってきたな」

「殿下?」

「背中に刺さったナイフだが、押し出されるようにして抜けていくぞ。出血もほとんどない」

「ええ!?」


背中が焼けるような感覚の後、カランという音がした。俺の背中に刺さったナイフが落ちたらしい。


「殿下……痛みが引きました……」

「ふふ、いよいよ人外じみてきたな。さて……愚者なりに頭を働かせるとしよう。刺客は愚かにも我々に対して『侵入者』と言ったな?」

「確かにそう言いました」

「では試そう」


リオンは大きく息を吸った。


「我々はホムンクルスッ! 悠久の眠りより今しがた目覚めたッ! 同胞に対し侵入者呼ばわりとは何事ぞ!」


あまりに大きな声の後に訪れる静寂の後、またしても抑揚のない声が聞こえてくる。


「そんなはずはございません――」


俺たちが通ってきた、愚者の道からだ。


「――錬金術は既に世界から失われ、人造人間ホムンクルスもまた完成することはないのですから」


淡い金色のショートヘア、無表情な顔と冷たく青い瞳。まるで精巧な人形のような美しさだ。そして露出のないクラシックなメイド姿……白い手袋をはめた両手には物騒なもの――ナイフが握られている。


「つまり、あなたたちは侵入者なのです。証明終了Q、E、D


雑な証明を終えたメイドが今、襲いかかる……!

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