第2話 聖騎士
大理石の石柱ならぶ廊下を、一人の武人が歩いていた。
白銀の鎧、金の髪に碧い瞳、顔貌こそ美麗であるが、その体躯は堂々たるものだ。
聖騎士イリアス=ランヴェグリフトは不機嫌であった。
自らが忠誠を誓わねばならない聖教団の腐敗を知ってしまったからである。
今年は干ばつにより不作が確実であったが、王室が民生用に寄付した金銀財宝を、「浄財のため」として聖教団の「六卿」たちが懐に入れてしまったのである。
無論、総てを懐に入れてしまっては諸方からの反発は必至であったため、一部を民衆に配りはしたのだが、それは総数の十分の一にも満たなかった。
国庫の糧秣も教団に寄付させたため、民衆は飢饉にあえぐことになった。
当の教団はと言えば「不信心な者が多くいたため、神の怒りを買った。それがこの結果である。」として、さらに教団へ上納させようとしたのだ。
聖騎士団の管理する糧秣庫から民衆へ配りはしたものの、その量は明らかに不足しており、貧するものを救うため、騎士団員自らが財を切り詰めて捻出した。
先代教主は今年病に没し、今は幼子である新教主を六卿たちが補佐する形を取っている。
補佐、と言えば聞こえが良いが、要は傀儡である。
しかも聖王国という性質上、教団は王室に対しても下令できる立場にある。
文字通り国内を好き勝手にしているのだ。
聖騎士団長という立場上、教団に忠誠を誓わざるを得ないイリアスにとって、業腹なことであることは想像に難くない。
聖騎士団の詰め所から自宅に戻り、妻と子には不機嫌を見せまいと苦心していた。
鎧を脱ぎ捨て、カウチに身を沈める。
子はそれでも敏感に父の気分を感じ取ったのか、構って欲しさを我慢しているようだ。
(健気な子だ。この子のためにも教団はこのままでいてはいけない。)
だが、どうするか、となると妙案はない。
六卿らを誅殺したとしても、保身のために教団の権威を欲しがる輩からは危険視されるのが目に見えている。
だからと言って、六卿の理不尽な命令に服するわけにも、大っぴらに反抗するわけにもいかない。
そのようなことをすれば一族郎党どころか配下の聖騎士団員たちの生活まで危うくなる。
イリアスは目を閉じた。
少しでも気持ちを落ち着けねば、悪い方向にばかり考えてしまう。
そう言えば、最近は、盟友であるアレックスと語ることも減った。
教団のあり方に対する文句がお互いに出るのはわかっているので、周囲を警戒してあまり話せていない。
(もうすぐだったな)
アレックスは、許嫁であった貴族令嬢と結婚式を挙げる予定だ。
そのとき、辛気臭い顔をして参列するわけにもいくまい。
隣に座ってきた子の頭をやさしく撫でながら、甲斐甲斐しく家事をこなす妻の様子を見ていた。
己の仮初めの平穏と民の平穏を天秤にかけて、また考えが堂々巡りしていることに気付く。
今日は早く休もう。
そう決めると、イリアスは子の遊び相手を始めた。
翌日朝、聖騎士団団長執務室。
登庁したイリアスは、アレックスら幹部と挨拶を交わす。
騎士団の新規人員の編成と訓練予定を作成し、各種報告を受け、必要な採決を下すいつもの日常。
だが、その日常にいきなり割り込んできたものがあった。
教団直属護教親衛隊がズカズカと執務室に入ってきたのだ。
「何事か!」
イリアスが喝破する。
だが親衛隊に動じるものはいなかった。
「アレックス=セルバート、貴公を教団に対する謀反の罪により連行する。」
痩せぎすに銀髪、灰色の鋭い目をした男―――親衛隊の隊長ガラランドが、癇(かん)に障る声で告げた。
護教親衛隊の権限は聖騎士団の上にある。
だが、アレックスが教団に対して不満を抱いていることはあるにせよ、「謀反」と言われることはないはずだ。
「何の証拠がある!?」
イリアスはガラランドに詰め寄った。
ガラランドの灰色の細目が冷たくイリアスを見る。
「教皇猊下が若年であることにつけこみ、あらぬ風聞を流し、あまつさえそれを補佐する六卿ら忠臣を除こうとする、これを罪と言わずして何と言うか。」
「証拠を示せと言っている!」
「問答無用。猊下の勅命である。反抗すれば汝も同罪と見なす。」
「なんだと・・・!」
気色ばむイリアスの肩を掴むものがあった。
振り向くとアレックスがイリアスの右肩を掴んでいる。
そして首を横に振った。
「同道しよう。イリアスは無関係だ。ただし、申し開きはさせてもらうぞ。」
ふん、と鼻息を鳴らしてガラランドがアレックスを見る。
「連れて行け」
六人の隊員に囲まれアレックスが執務室を後にする。
ぎりり、とイリアスの歯噛みする音が部屋に聞こえた。
ギィィと耳障りな音を立てて、執務室の扉が閉まった。
夕刻。
聖騎士団長執務室。
イリアスは憔悴していた。
アレックスが連行されてから少しして、居ても立っても居られなかったイリアスは、教主のところに謁見に出向いたのだ。
だが、六卿たちによって門前払いを食らってしまう。
六卿たちがアレックスを害しようとしているのは間違いないが、その理由がわからない。
それさえ分かれば、まだ挽回の目はある、と思う。
思考を巡らせているところで、部屋をノックする音がした。
「どうぞ。」
入ってきたのは若い騎士団員だ。
頭の回転が早く、誠実なので伝令役として取り立てた青年だ。
「何かあったか?」
「はい、明後日の昼、アレックス様への審問会が開かれるとのことです。」
「明後日か・・・早いな。」
「はい。おそらく周到に準備されているものと思われます。
また、イリアス様にも出席されるよう要請が来ております。」
イリアスは考え始める。
(私とアレックスの仲を知っていながら審問会に私を呼ぶということは・・・狙いは私も、だな)
「わかった。出席しよう。」
「はっ。ではその旨回答してまいります。」
勝負所が来た、と思う。
審問廷に出向くということは敵地に赴くことに等しい。
だが、その場には他の教団員も参列する。
一か八か、アレックスの無実を訴えるチャンスでもある。
イリアスは、再び方策を練り始めた。
二日後、審判廷にて。
壇上に教主、六卿、参議が列席し、中央審問者の台に両手を縛られたアレックスが警吏によって座らされている。
イリアスも審判廷に入り、末席に座った。
参議長が槌を鳴らし開廷を告げる。
「聖騎士アレックス=セルバートに対する謀反疑惑について、審問を開始する。」
アレックスは身じろぎもしない。
参議長が罪状を読み上げる。
「アレックス=セルバートは、教主猊下が若年であることにつけこみ、教主猊下を補佐する六卿を殺害排除し、教団を私物化しようとした旨の謀反を企んだ。」
バキリ、とイリアスが歯噛みする。
「申し開きすることはあるか。」
「ございます。証拠がありません。
教主猊下のもと忠節を尽くすのが私ども聖騎士の役目です。
謀反などと恐れ多いことを考える必要がありませぬ。」
参議長は黙って聞いていたが、明らかに聞き入れる気が無さそうである。
「よかろう、では証人を喚ぼう。」
そして入ってきたのは、あの伝令役の聖騎士であった。
「その方が見聞きしたこと、申してみよ。」
参議長が促す。
「はい、さればお話します。
イリアス様とアレックス様は普段から政務について語らう仲であり、昨今の六卿のみなさまの政につき常に不満を持っておられました。
そして、機が熟すれば六卿の方を取り除き、聖王国の政を意のままにせんと語らっておられました。」
(しまった!)
イリアスは内心舌打ちしたが、時すでに遅し、である。
最初からこの青年は六卿の手先だったのである。
やにわに、ドカドカと護教親衛隊の隊員がなだれ込んでくる。
(くっ)
抵抗も虚しくイリアスも取り押さえられてしまった。
「貴様ら!何が目的だ!」
アレックスの怒声が響く。
だが。
「それはこちらの台詞よ。儂らを除いて何をしようというのか?アレックス、イリアスよ。」
六卿らが口を開く。
参議長が鎚を鳴らした。
「証言は果たされた。アレックス、イリアスよ、罪状は確定した!これにて閉廷!」
「ふざけるなあああああ!!!!」
イリアスとアレックスの叫びをしりに、幼い傀儡教主と六卿は審判廷を後にした。
後刻、牢にて。
イリアスとアレックスは別々の牢に入れられていた。
手には頑丈な鉄の枷が嵌められている。
素手とは言え、暴れるこの二人を抑え込むのに十人以上の人数が必要だったのだ。
聖騎士団の誇る最強の二人なのである。
だが、今、こうなってしまっては如何ともし難い。
しばらくすると、女性の声と子供の声が聞こえてきた。
それも悲鳴に近い声だ。
イリアスの全身の毛が総毛立った。
妻と子の声だったのである。
イリアスが吠えた。
「やめろおおおおお!!!!」
獄吏はどうやらさらに別の牢に妻と子を入れたようだった。
イリアスは両腕に力を込め、ガチャガチャと枷を鳴らす。
全身の筋肉が膨れ上がり、締め付けられる手首が痛む。
立ち上がると檻を蹴りつけた。
ものすごい音がして、獄吏が駆けつけてくる。
構わず、何度も檻を蹴った。
すぐさま獄吏が何人も集まってきて、鉄棒でイリアスを檻越しに叩きまくった。
「やめい。」
静かで、そして一番聞きたくない声が聞こえた。
六卿の一人オズワルドだった。
端正な顔立ちだが、怜悧で狡猾なことで知られる一番の危険人物であった。
「聞け、アレックス。貴様の男爵位及び聖騎士位を剥奪する。
貴様の許嫁については、更生と監督のために私が引き取る。」
「・・・・きさま・・・!!」
隣の牢からアレックスの唸り声が聞こえた。
もう怒りの度が過ぎて咆哮にすらならないようだった。
要は、アレックスを陥れ、意中の女性を略奪する、そして将来の自分たちへの保身として、危険人物になりうる硬骨漢(イリアスとアレックス)を処刑する。
反吐が出そうな詭計だった。
それだけ言い終えるとオズワルドは姿を消した。
イリアスとアレックスが牢で叩かれながらも暴れたのは言うまでもない。
翌日、昼。牢にて。
イリアスとアレックスは別々の牢でぐったりしていた。
何百回となく鉄棒で叩かれた痕が全身に痣となって残っていた。
そこへ濃いヒゲをたくわえた恰幅の良い男―――獄吏の長がやってきた。
手に一枚の羊皮紙を持っている。
何か書かれているようだ。
イリアスとアレックスの牢の前に立つと、わざとらしく羊皮紙を広げて厳かに告げた。
「イリアス及びアレックスとその一党、明後日磔刑(たっけい)に処す。」
くるくると羊皮紙を巻きながら、にたり、と獄吏の長が笑う。
「この・・・くずどもが・・・」
イリアスが掠れた声で抗言する。
獄吏がすかさず鉄棒を差し入れてイリアスを叩いた。
イリアスはうめき声一つ漏らさない。
その目は爛々と光り、憎悪に満ちている。
獄吏の長はそれに気圧されたのか、後味悪そうにいそいそと階上へ姿を消した。
(万事休す、か・・・)
妻子まで巻き込んでしまった己の不明を恥じるが、今となってはどうしようもない。
ぎりり、と血が出るほどに口を噛むのが精一杯だった。
二日後、刑場。
木の柵で囲まれた磔刑場。
その数実に30本。
イリアスとその妻子、アレックスだけでなく、それぞれの副官や家族まで刑場に連れ出された。
縄でくくりつけられ、手足を釘で打ち付けられた後、一本、また一本と磔木が立てられていく。
子どもたちは釘で貫かれた痛みに泣いていたが、イリアスの妻は気丈にも涙一つ流さない。
(神・・・か。私は何を信じるべきだったんだろうな。)
真に神なるものが存在していれば、助けてくれたのではなかろうかなどと思う。
聖騎士としては本来疑ってはならない領域なのだが、このような現実の前では信仰心など何の役にも立たない。
槍を持った刑吏が入ってきた。
(!)
そして、最初に狙ったのは、イリアスの子だった。
「やめろおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」
ずぐり、と槍がめり込む。
目を背けたくなる光景だった。
ただ、やめろと叫び続けた。
次はイリアスの妻だった。
妻がこちらを見た。
目が痛い。視界が赤い。
血涙が流れているようだった。
妻の身にも槍が刺さる。
わずかにうめき声が聞こえる。
イリアスは吠えた。
吠えるしかなかった。
そして、次は。
自分ではなかった。
団員の家族、団員たち、そしてアレックス。
そうか、私はそこまで恐れられていたのか。
奴らの最終目標は、私だったのだ。
ずぐり、と脇から槍の穂が突き刺さる。
臓腑に鋼が届く感触。
灼熱を差し込まれたようだった。
だが呻き声もあげない。
もう、喉は涸れ尽くした。
涙も涸れ尽くした。
後は、血だけだ。
そして十数度の刺突を受け、私は死んだ。
天を向いて。
このとき、イリアスのその理不尽に対する激烈極まりない悲哀と憤怒は天地を貫き、時空を超えて世界に響いた。
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