サンセットライン

P.a.g.h.

第1話

 淡路島の西岸。

 涙滴状のくびれから北に、松林と白砂が美しい砂浜が伸びている。

 以前は国立公園に指定され、夏の海水浴シーズンは家族連れや若者が集まり、万葉集で詠まれた景色や情緒など関係なく賑わう。


 しかしこの砂浜は夏の海水浴場の顔とは別に、秋から冬にかけては夕日の美しさでも名を馳せている。


 暮れゆく瀬戸内の海面に、眩しい太陽が徐々に電球のような柔らかい暖色に冷めていき、空と海の境界線に近付くと溶鉱炉で煮える鉄のように『まだ冷え固まりはしない』とイエローを強く発する。

 だがやはり砂浜から眺める限り太陽はさらに冷えて、海の面に触れると温度も輝きも奪われ、くすんだオレンジになって足掻く。


「やっぱり、夏とはちゃうな」

 顎まで引っ張り上げたダウンコートの襟の内側で俺は呟いた。


 記憶にある夏の慶野松原の夕暮れは、もっとスピーディーで、けれど『まだ遊べる』という明るさと、『そろそろ帰り支度や』という学校のチャイムに似た切り替わりがハッキリしていた。


 今、誰もいない海水浴場の白砂に三脚を立て、型遅れ中古品のデジタルカメラで動画撮影をしながら、改めて思う。


 慶野松原の冬の夕日は、他とは違う何かがある。


 趣き。憧憬。モラトリアム。感傷――。

 俺の故郷だから、きっと特別視や記憶のオーバーラップや、四十を超えていまだ人生に惑っている恥や後悔のせいかもしれない。


 考えを巡らせている間に、夕日は半分がた沈んでしまい、落ちかけの線香花火の火玉、もしくは燃え尽きた灰に包まれたタバコの火種、役割りを終えようとしているマッチの芯のような、寂しい朱色に変じ、空も茜に染める。


 また俺は襟の中で呟く。

「日はまた昇り、明日を繰り返す」

 うろ覚えの名言は恐らく間違っているので、鼻水をすすってなかったことにする。


 ざん……ざざん。ざざざ……。

 ザバザバ、しゃーん……。


 夕日が沈んでしまえば撮影も終了。

 帰り支度のチャイムを心得ている俺の耳に、それまで忘れていた波音がいやに大きく聞こえた。


 慶野松原の海は、割合、穏やかだ。

 鳴門海峡と紀伊水道は太平洋からの力強さで大きくうねる。明石海峡も、大阪湾から播磨灘への行き来のために激しく騒がしい。


 夏の海水浴シーズンとは違う、冬の慶野松原。

 俺の感傷は夕日のせいだけではないと気付く。

 完全に太陽を飲み込んだ海面の陰影が、さらに夜色に深まる。


「……整理がついたらまた来るわ」


 ちゃんと襟から顔を出して、俺は誓いを立てた。

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