小さな悪魔
知世
小さな悪魔
子供を叱る時、各家庭によりさまざまな決め台詞があったと思う。「お化けが来るよ」とか「鬼から電話がかかってくるからね」とか。
うちの場合は、「怖い夢を見るよ」だった。
「悪い子のところには悪魔が来て、怖い怖い夢の中に連れて行くんだよ」
私が何かやらかすと、母は決まってそう言った。きっと今週末に来るよ。そう冷たく言われると、私は縮み上がった。泣いて懇願しても、無駄だった。
土曜日の夜、悪魔は私を連れて行く。私は夢の中で、目が赤く、口が耳まで裂けた悪魔に、追いかけ回されたり捕まえて食べられたりした。起きるともう日曜の昼間で、目尻には涙の跡があった。
成人した後、疑問に思う点が出てきた。
鬼から電話が来る、と神妙に語っていたさくら組のななこちゃんの親は、誰か他の人に鬼役を頼んで、電話をかけてもらっていたのだろう。調べてみたところ、今はスマホのアプリにもそういうサービスがあるらしい。電話が着信したように見せかけた画面をタップすると、鬼からのメッセージが流れるというものだ。
でも、うちの場合そうもいかない。誰かに悪魔役を頼んで夢に出てもらうなんていうのは、非現実的な話である。
シングルマザーだった母は私が小学校を卒業する年の春に自殺したので、彼女に聞いてみることもできない。
あの現象は、なんだったのだろうか。
「悪夢 子供」で検索する。
『悪夢はかなり頻繁でない限り、心配することはありません。 小児がストレスを感じていると悪夢が増え、またぞっとするような内容や攻撃的な内容の映画やテレビを見た後にも見やすくなります』
母の言葉によって恐怖を感じ、悪夢を見ていたのだろうか?
『小児が頻繁に悪夢を見るようであれば、親が日記をつけて、原因を特定できるかどうか調べるとよいでしょう』
記事に従って、土曜日の風景を思い出す。伏せっている母の横で本を読んだり人形で遊んだりする。昼はスーパーの惣菜、夜はレトルトのカレーであることが多かった。寝る前に、母は持病の薬を飲み、私はトイレに行かされた。
『香辛料の効いた食べ物は消化が悪く体内温度を上げてしまい、睡眠を中断したり悪い夢を引き起こしたりします』
当時私が食べていたカレーは、キャラクターの絵が描かれたパッケージの子供用のものだった。香辛料が効いていたとは思えない。
謎は深まるばかりだったが、幼少期の人間なんてものはあいまいな世界で生きているし、私が何か覚え違いをしているのかもしれない。と、私はまた日常に戻り、感じた疑問を頭の隅に追いやってしまった。
ところが、私はまたあの悪夢を見ることになったのだ。
その日、ベットに入ると悪魔は現れた。幼少期に見た姿そのままの彼は散々私をいたぶった後、甲高い叫び声を上げて去っていった。
飛び起きて、ベッドサイドのライトを付ける。
冷や汗を袖で拭っていると、サイドボードに置かれたあるものが目に入った。
グラスに入った水と、空になった錠剤のシート。
慣れない社会人生活からの不眠に悩まされて、私は今日からある睡眠薬を飲み始めていた。
立ち上がって引き出しをあさる。ろくに見ることもせず突っ込んだ薬の外袋を見つける。書いてある薬剤名をスマホに打ち込む。
薬効分類[オレキシン受容体拮抗薬]
・効果効能
不眠症
・注意すべき副作用
傾眠 、 頭痛 、 浮動性めまい 、 睡眠時麻痺 、 注意力障害 、 異常な夢 、 悪夢
力が抜けて、へなへなとそこへ座り込んだ。
このピースを使えば、一応仮説のようなものが完成する。
実家の片付けをした時出てきた母のお薬手帳。母が寝る前飲んでいた薬の中には、たしか睡眠薬が入っていた。私はこの薬をネット診療で入手した。依存性が低く、よく使われるもののようだから、母がこれを飲んでいた時期があってもおかしくない。あの夢を見た日曜日、私は昼過ぎまで起きられなかった。
この間、乳児に細かく割った睡眠薬の一部を飲ませて逮捕された親がいた。私が悪夢を見るようになったのはもっと大きくなった頃だったし、土曜日に飲ませれば、薬が残っている私を先生などの他の大人が見ることはないだろう。もし月曜日に様子がおかしくても、次の週は平気にしているだろうし、疑われる可能性は低いのではないか。
土曜の夕飯はレトルトカレーだった。私と母は別のパウチを食べていた。粉状にしてあり、しかもごくごく少量の薬であれば自然に混ぜることは可能だっただろう。もしくは、カレーを食べるときだけ飲ませてもらえた甘いヨーグルトドリンクに入れてもいいかもしれない。
震える手で、袋の中から小さな悪魔を取り出す。
お行儀よく二列で並んだ彼らが、私に何かを語りかけてくれることはなかった。
小さな悪魔 知世 @nanako1123
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