第4話 あのクs……パパ

 娘と再会してから「私」ことアーデルハイドちゃんの生活は、それまでと少し変化した。


 昼間は時々娘が会いにきてくれる。大体三日に一度くらいの頻度だろうか。


 どうも娘は体調が良好ではないらしく、アーデルハイドちゃんと会っている間も具合が悪くなって自分の部屋に戻ることがよくあった。


 この世界には車椅子がないし、高貴な立場の女性は夫以外の男性にダンス以外で触れる機会なんてほとんどないので、赤ちゃん以外は基本的に自分で歩くしかない。青白い顔をしてふらふらと育児室を出ていく娘に、そんなに辛いなら泊っていけばいいのにと思うけれど、多分そうできない理由があるのだろう。


 再会の喜びもつかの間、娘に会いたいと思う気持ちと無理はしないでほしいという願いの間で千々に乱れ、娘が傍にいないときはふぇふぇと愚図る頻度が上がったように思う。


 娘は何かの病だろうか。


 もしや不治の病だったらどうしよう。

 娘は人間で、人間は魔女の時間感覚からするとあっという間にいなくなってしまう存在だ。魔女として死んで別の世界に生まれ変わってからは、娘には二つの意味でもう会えないのだとばかり思っていたけれど、実際に生きている姿を見れば心配にならないというわけにもいかなかった。


「うー……」


 傍にいてあげたい。出来るなら治療もしてあげたい。でも今の私は無力な赤ちゃんで、庭園ガーデンがない状態では地脈と繋がることも出来ないし、ろくな魔法も使えるわけじゃない。


 無力さに、夜になっても何度も寝返りを打っていると、ドアがノックされる音が響く。


 そもそもここに来客なんて滅多にないけれど、それにしたってもう窓の外は暗く、正真正銘の夜だ。いつにない事態にベビーベッドの外に視線を向けると、ドアを開けたテレサとサラサがすっと深く頭を下げていた。


「これは殿下。ようこそいらっしゃいました。すぐにお茶をお淹れいたします」

「よい。今日は政務が少し早く終わったので、こちらに足を運んだだけだ」


 メイドと男性のやり取りに、奥で待機していたマーゴとカミラとエリナも慌てた様子で整列し、乳母と四人のメイドたちが並び、改めて娘にした時のように、深々と頭を垂れた。


 ベビーベッドの上で四つん這いになって起き上がろうとして、お尻が重たくてこてん、と後ろに尻もちをつく形で座り込んだ体勢になっていると、ぬっ、とベビーベッドの中を覗き込まれる。


「うぁ……」


 メイドたちのようにでれでれと相好を崩しているわけでもない大柄な男性の姿にぎょっとした。というか、まともに異性を見るのはアーデルハイドちゃんになってから、これが初めてだった。


 天井からぶら下がるシャンデリアの光をさえぎって、まるで大きな影みたいだ。それにぶるっと震えて、自然と顔がくしゃりと歪む。


「ふぇ……」

「殿下、恐れながら、あまり覗き込んでは姫君が驚かれてしまいます。姫様はそろそろ人見知りも始まりますので」


 マーゴが控えめに言うと、男性は驚いたように目を瞠る。というか殿下ということは、やっぱりこの人があのクズ男……もとい、アーデルハイドちゃんのパパらしい。


 肩にあのふさふさした飾りが揺れていて、柔らかそうな金髪を長く伸ばし、後ろでゆるく結わえている。きっちりとアイロンをかけた、王族らしい立派な服を着ている見るからにゴージャスな王子様という風情だ。


 最後に見た時より随分大人の顔立ちになったものの、まだ若さの方が先に立つ。ヘタをしなくても、前世の「私」より年下な気がする。


「人見知り……そうか、しばらく会いに来れていなかったからな。アーデルハイドは、私のことを忘れてしまったか」

「赤子はそういうものですわ。殿下がお嫌いなのではなく、身近にいない人は全てこのような反応になってしまうものです」


 マーゴの言葉に気を取り直したように、クズ……もといパパは一歩下がると、おずおずとこちらに白い手袋に包まれた手を伸ばしてきた。


 困惑と、拒絶されることを恐れる表情を浮かべている。


 こうして見るとパパというには彼はあまりに若くて、こそこそと留守中に娘に手を出した男に腹を立てていたはずなのに、なんだか怒り続けるのは大人げないような気持ちになってしまう。


 両方の目もとにうっすらと残る傷跡は、怒り任せに娘の死を告げた時に塔から飛び降りた時のものだろうか。かなり深かったらしく、その傷跡が痛ましく感じられてしまう。


 女性ほどではないにしても、顔の傷は王侯貴族としてはあまり外聞のいいものではないはずだ。


「殿下、できましたら、素手で触れて差し上げてくださいませ。布は滑りますので。乾燥していてもよく滑りますので、手水を用意いたしますので、お手をお洗いになられてからが良いと思います」

「うむ……そういうものか」


 そうだそうだ! 手袋って何に触っているか分からないからきちゃないのだ! 娘だって毎回手を洗ってから、何も塗っていないサラサラの手で優しく優しく撫でてくれるんだぞ!


 ク……パパはマーゴの言葉を素直に聞き入れて、用意された水と石鹸で手を洗っている。清潔なタオルで指の間までよく拭いてから、あらためて手を伸ばしてきた。


 ちゃんとしてくれるところを見ると、アーデルハイドちゃんに関わることを煩わしくは思っていないみたいだ。それなら私だって、無下に振り払ったりはしない。


 魔女にとっては盗人みたいな男だけれど、アーデルハイドちゃんにとっては一応、まあ、うん、大事なパパなのだ。


「あーう」


 前世のどこかで、手はその人の人となりを表すって聞いた気がする。


 握った指はマーゴやメイドたちのものよりずっとゴツゴツとして固くて、ペンを握る時に出来るタコの他にも、多分剣とか魔法を失敗して出来た火傷を治療した痕とか、あちこち色んなタコが出来ているのが分かってしまって。


 この人はただのらりくらりと遊んでいるだけの人ではないんだろうなあ、なんてことが、分かってしまう。


「アーデルハイド……父だぞ」

「ぱっぱ」

「ああ、そうだ。パパだ」

「ぱーぱ」


 パパと呼べば、クズ……パパはふにゃり、と容易く表情を和らげた。


 こんなの、茶番だ。その手を振り払ってそっぽを向いても、火が付いたように泣いても、赤ん坊を罰するような人間はここにはいないだろうと思うのに。


 生まれてから何か月も会いに来なかったくせに、パパと呼ばれると目を見開いて、それからじわじわと喜色を浮かべていくのを見ると、なんだか居心地が悪いような、そわそわする気持ちになってしまって。


「抱くのは、まだ早いだろうか」

「今日はご機嫌がよろしいようですので、そっとお抱きになってみてもよいと思いますわ」

「まて、上着を脱ごう」


 ごちゃごちゃと装飾のついた上着を脱いで後ろに控えていた侍従に預けると、白いシャツとふわふわのネクタイみたいなものだけになる。ふと気づいたようにそのネクタイも外してしまうと、あっという間に王族の一人から、若くて顔がいい青年という感じになった。


 マーゴも、アーデルハイドちゃんがク……パパを拒絶しなかったことにほっとした様子で慣れた仕草で抱き上げた後、何度か体を揺らしてあやし、泣き出さないのを確認してからそっとパパに渡される。


 あっという間にこちらを見る顔がでれでれと表情を崩して、ぬっと覗き込んだ時は、この人も緊張していたんだなあってようやくわかった。


「……ラプンツェルに、よく似ているな。将来は大変な美姫に育つだろう」

「ええ、ですが目元は殿下にそっくりですわ。意思の強そうな、きりりとしたお目をしておられます」

「そうか……そうだな」


 にこっと笑いかけたのはそんなに深い意味はなかった。赤ちゃんというのは機嫌がいいと自然と笑っているみたいな顔になってしまうのだ。


 けれどク……パパには効果覿面だったようで、最初のきりりとした大男の印象はどこへやら、頬が緩み、鼻の下が伸びている。


 イケメンが台無しの表情だ。


 そう、今世のパパは大変なイケメンである。軽くうねる金の髪を後ろに撫でつけ、長い部分はリボンで結んでいるのが優雅だ。目もとはきりっとしていて鼻が高く、なんというか華やかな感じに整っている。


 なるほど娘がころりと恋に落ちただけのことはあって、目もとの傷が勿体なく感じるほどに物凄い美形だった。


 魔女だった頃は人間の顔の美醜なんてものに全く興味はなかったけれど、どうやら私の娘は面食いだったらしい。


「何か不自由はないか? 足りていないものや、予算は十分に回っているだろうか」

「はい。殿下を始め、両陛下も細々と心を砕いてくださっておりますので、姫君は不自由なくお過ごしですわ」

「兄上が……そうか」

「ぱーぱ」


 パパは改めて目じりを落とすと、そっとマーゴに返される。


「最近、昼間にラプンツェルがアーデルハイドに会いに来ていると聞いてな……彼女は元気だろうか」


 夫婦なのに、何か月も会いに来なかった娘の乳母に対する質問するようなことだろうか? そう不思議に思ったものの、マーゴは落ち着いた様子で答える。


「妃殿下は、姫様の前では気丈に振る舞っておられますが、時々貧血を起こされているようです。眩暈や頭痛などもあるようでした」

「そうか……医者は随分よくなってきたと言っていたが……」


 ク……パパは、さっきまで崩れまくっていた表情をふっと陰らせる。そうしているとアンニュイな雰囲気が加わって、またまた目を引く雰囲気になった。


「よく、気を付けてやってくれ。出歩かないように言ってもこれと決めたことは、私の言葉も聞いてくれない人だから」

「かしこまりました」

「私も出来るだけ、アーデルハイドに会いに来よう。執務の合間を縫ってのことになるが、次は忘れられないように」

「まあ、まあ、姫君もお喜びになれると思います」


 マーゴもメイドたちもぱっと表情を明るくする。


 王族の暮らしのことは今でもよく分からないけれど、父親や家族に愛されているのが姫君の進退に関わるっていうのはなんとなくイメージとして理解できる。


 前世の世界史でも、美人の娘は可愛がられていたけどそうじゃない子は適当に扱われたり、前妻の産んだ姫は王族の籍も剥奪されて不遇な暮らしを……なんて史実でもあったみたいだもんね。


 パパはまた来ると告げると上着を着てしっかりと白い手袋も嵌めて、そそくさと部屋を出て行った。デレデレしている表情からは分からなかったけれど、多分本当に忙しいんだろう。


「殿下は、姫様にメロメロでしたよね」

「姫様は本当にお可愛らしいですもの、可愛く思われないわけがないですよ!」


 ドアが閉まって少し待った後、メイドたちは華やいだ声を上げ、本当に嬉しそうだった。


 メイドたちがアーデルハイドちゃんのことを大事にしているのも本当だと思うけど、それはそれとして、仕えている主が権力を持っている人に気に入られているかどうかは、彼女たちにとっても重要な問題なんだろう、多分。


 昔はふらふらと外を出歩いて可愛い子目当てに魔女の塔によじ登るようなことをしていたのに、今のアーデルハイドちゃんのパパはすごく忙しい立場らしい。


 生まれた子供に数か月も会いに来れないほどに? って思うけれど、想像だけど、住んでいるのがお城なら、移動だけで物凄く時間がかかるかもしれない。


 王族って赤ちゃんの頃から乳母に育てられて、自分の宮殿を持っていたり、なんなら全然違う土地で成長するのもよくあることらしいし。


 魔女だった頃に暮らしていた国がどうだったかは思い出せない。多分最初から知らなかったんだと思う。近くに住んでいる人間にすら興味が無かったのだから、その国の権力者なんてなおさらだ。


 ――あんなに忙しそうで、娘とは上手く夫婦としてやっていけているのだろうか。


 ラプンツェルは溌剌とした娘で、いざという時は芯が強いけれど、普段は優しい反面流されやすく、ちょっと我慢すれば済むことははいはいと受け入れてしまう一面があった。


 それゆえに義母だった魔女の願いを聞いて塔暮らしなんて不自由な暮らしをさせてしまっていたわけだけれど。


 今はちゃんと幸せなのかな……この間の様子だと、うまく行っていない気がしてならない。


 私に会いに来るなら、どうせなら両親揃って来ればいいのに。


「ふわあ」


 あくびをすると、マーゴは眠いと判断したのだろう、すぐにベッドに戻された。

 それはそうだ。もう夜なのだ。赤ちゃんはとっくに夢の中にいる時間だ。


 夜でなくても一日の半分以上寝ているんだけどね。夜も寝るよ。赤ちゃんだもん。

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