前世は魔女でした!

カレヤタミエ

第1話 前世は魔女で、継母でした

 その日、私は帰路を急いでいた。


 出がけに些細なことで母と喧嘩になってしまい、日中に届いたメールも無視してしまったことを後悔していたからだ。


 夕飯は食べたいものはあるかというあたりさわりのない内容は、母の仲直りの歩み寄りだと分かっていた。分かっていたのに、その日は天気が悪くて、肌寒くて、ちょっとしたミスが続いてつまらないことでイライラしがちな日で……今返事をしたら素っ気ない言葉になってしまうだろうなんてくだらない理由と僅かな意地で、返事をしないままだった。


 そんな日に限って仕事が押してしまい、自宅の最寄り駅を出たのはいつもより遅い時間だった。


 まだ開いていたケーキ屋に入って奮発して家族の分のケーキを買った。何となく食べたくなったからと言ってさりげなく渡せば、母は仲直りの意思をくみ取ってくれると思ったし、実際にそうなるはずだった。


 その後はいつもと同じ日常が戻って来る。温和で優しい父、気が強いけどその分おおらかな母、生意気な大学生の弟と、玄関に置かれたアクアリウムで飼っている金魚のポンポン。そして去年社会人になったばかりの私の家族は、何も変わらない日常を繰り返すのだと。


 その日は天気が悪くて。

 つまらないミスが続いて。

 私は帰路を急いでいて。


 住宅街に続く細い道の信号は青だった。ビニール傘を差して早足に歩いていた私はパンプスのヒールに違和感を覚えて、横断歩道の途中で立ち止まった。


 ぐらついているけれど、自宅までそう離れていない。このままだましながら行けるだろうと再び歩き出そうとしたとき、視界を真っ白に焼く閃光が走り抜けた。


 痛みはほとんど感じなかったと思う。ただドン、と強い衝撃が全身に走ったのは伝わったし、自分の体が冗談みたいに飛んだのもなんとなく分かった。


 視界の端にケーキ屋のロゴの入った白いボックスが明後日の方向に飛んで行ったのを捉えて、ああ、よっつで二千円以上したのになんてどうでもいいことを考えてしまったのは、起きたことへの現実逃避だったのだろう。


 べちゃり、と水たまりの中に体が落ちた時には真っ白な視界とは裏腹に、目を開けているはずなのにやけに真っ暗で、何も見えなかった。


 ――罰が当たったのかな。


 家族を大事にできなかったから。


 つまらない意地ですぐに謝れなかったから。


 ちゃんと言葉にしなくてもきっと分かってくれるだろうなんて、ずるいことを考えていたから。


 走馬灯のように巡る思い出の中に、今の私と、私になる前の別の記憶が混じり合い、走り抜ける。


 私はごく普通の家庭に生まれた平凡な人間だけれど、唯一人と違っているのは、前世の記憶を持っていたことだった。


 こことは別の世界で生きていた前世の「私」は、魔女で、畑に植えてあった野菜を盗んだ夫婦の罪を命で購う代わりにもらい受けた子供を育てていた。


 薬草園は魔女にとって心臓と呼ぶにふさわしい場所だ。魔力の供給源であり、生きる糧でもある。一度は見逃した夫婦が図々しく二度目の盗みに入った時、子供を寄越せと言ったのは、それくらい大事に育てていた野菜を乱雑に引き抜かれたことに腹を立てたからだった。


 玄関から訪ねてきて、どうか妻のために野菜を分けてくれないかと頭を下げることもせず、大事な野菜を引き抜いた隣家の夫にも、一度で飽き足らずもっともっとと欲しがった強欲な妻にも、許しがたいという気持ちを抱いてしまった。


 子供は女の子で、青い瞳に美しい金髪を持った愛くるしい少女だった。


 本当は、夫婦が娘を迎えに来たら、帰してやるつもりだったのだ。


 妻のために恐ろしい魔女の庭に忍び込んだ父親も、お腹の子のために栄養を欲していた母親も、きっと子供を失ったら後悔する。自分のしたことの重大さに気づいて、頭を下げて、どうか娘を返して欲しいと懇願するだろうと。


 結局その日は来ることはなく、大事に育てた娘は彼女の両親そっくりの盗人みたいな男と通じ、魔女の元を去りたがった。


 魔女は、腹が立って、腹が立って、仕方がなかった。


 丹精込めて造り上げた庭に土足で踏み入る連中も、宝物のように育てた娘を奪われることも、どうしても許しがたくて。

 こんなに腹が立つなら、もう何も要らないと娘を放り出した。


 こんなに悲しいなら、もう何も感じたくないと、塔と心の両方を閉ざした。


 世話をしていた新しい薬草園は枯れ果てて、命脈をつなぐ命の木も枯れ落ち、そうして魔女も命を終えた。


 気が付いたら生まれていて、生きる気を失くしたら死ぬ。それが魔女の一生だ。


 永遠に生きることは簡単だったけれど、娘がいないならもう生きていたくなかった。


 今の「私」がいつから前世の記憶を持っていたのかは、思い出せない。ただずっとぼんやりと、自分は魔女であり、娘がいたことを知っていて、成長する時間と共に鮮明になっていった。


 前世の世界では、魔女には魂がないと言われていたのに、どうやらそんなこともなかったようだ。


 そうして、ごく普通の家庭に生まれ、ごく普通に愛されて育つにつれて、自分がどれほど娘にひどいことをしてしまったのか理解出来るようにもなった。


 隣家の夫婦は、狡くて卑怯な人間だったかもしれないけれど、弱くて妻のために恐ろしい魔女の庭に忍び込む愛情深さも持っていた。


 不意に出会った美しい娘を愛し、その死をほのめかされて塔から身を投げたあの男も、おそらく卑怯な一面はあっても確かに娘を愛していたのだろう。


 人の心は複雑で、矛盾する考えや感情が幾重にも重なっていて、目に見える一面だけがその人間の全てではないのだと、魔女の頃には分からなかった。


 狡い、卑怯だ、腹が立つと、そればかりにこだわって子供を奪い、可愛い娘を取り返されたくないからと塔に閉じ込めて、大事にしているつもりになっていた自分が、娘にどれだけ酷いことをしてしまったのかも、分かっていなかったし、分かろうとしなかった。


 もう世界も違う娘に償うことは出来ないけれど。


 奇跡が起きて、あの男と再び巡り合い、幸せになってくれていればと願わずにはいられない。


 ああ。

 ああ。


 前世の娘にも、今世の両親にも、まともに愛を返せないままだった。


 生まれ変わっても、愛されて暮らしていても、「私」は結局、ろくでなしなままだった。


 真っ黒な後悔が胸を塗りつぶして、やがて体に雨が当たる感触も分からなくなって。


 そうして「私」は、真っ黒な闇に飲み込まれて、二度目の死を迎えることになった。

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