第3話 残りの一線は決して超えない

 美結が外に出てそんなに時間が経っていないはず。

 そう思って外に出てみたのだが……どこにも焦げ茶の髪は見当たらなかった。


「……走りに行ったのか?なぜに……」


 ボソッと呟きながら自動ドアを潜る。


 そうして視界に入るのは――


「あ」

「え」


 入口の隣で腰をかがめている少女だった。


 慌てて手にあるものを隠すその姿は怪しいと言ったらこの上ないのだが……もうそのぶつの正体はバレている。


「お前……まじか……」

「ま、待って!?違う!違うから!!」


 慌てて赤色の物を元あった場所に戻す美結は、首と手を振りながら勢いよく腰を上げる。


「……なにがどう違うんだよ」

「だ、だって!さっき祐希が『俺がゴムを準備した』って言ったから!こ、今回は私が準備しようかなって……!」

「…………やるの前提なのおかしいだろ……」

「…………」


 ジト目を向ける俺から、美結はフィーと顔を逸らす。


「……別に期待なんてしてないし……」

「嘘つけ」

「嘘じゃないし……」


 ぷくーっと頬を膨らませる美結はポケットに手を突っ込み、


「……別に期待してないし」

「2回言ったら期待してるも同然だぞそれ」

「ふんっ!」


 そんな声とともに顔を逸らした美結は一瞬赤い箱に目を落とし、ジロッと流し目でこちらを睨みながら口を開く。


「……それで、祐希はなにしに来たの……?」

「パン粉買いに来た」

「……パン粉?」

「母さんが買い忘れたんだとさ」

「……ふーん」

「おいなに疑ってんだ」

「祐希も買いに来たんじゃないかなぁってね?」

「……買わねーよ」

「ふーん」


 チラッとポケットに視線を落としてくる美結から避けるように隣を通り抜ける。


「ポケットに財布が2あること、もうバレてるよ?」


 ピシャリと氷のように体の動きが止まった。


 不幸中の幸いなのは周りにお客さんや店員さんがいないこと。

 けれど、それ以上に不幸なのは――俺の考えを読み取られたこと。


「お買い物用の財布で買ったらバレると思って自分の財布を持ってきたんでしょ?昔からそういうところは慎重よね」

「……ついでにお菓子買おうと思っただけだ」

「なんでここまでバレたのに隠すの?」

「…………普通に恥ずいだろ」

「あ〜。そういえば祐希って恥ずかしがり屋だったね?」

「……うっせ」

「仕方ないから今回は私が買っといてあげる〜」


 そんな言葉とともに腰を曲げた美結は、一応周りを確認しながらもその赤い箱を手に取った。


「……絶対に誰にも見せるなよ」

「祐希が私んちにこれ置いて帰った時、隠し通したの私だよ?舐めないでくれる?」

「ただベッドの下に貼り付けてただけだろ」

「それでも隠し通したの!」

「はいはいすごいすごい。んじゃパン粉買ってくる」

「え?最後まで着いてきてくれないの?」


 やっと腰を上げた美結は小首を傾げながら懐疑的な言葉をかけてくる。


「今回は私が買うんじゃなかったのか……?」

「そ、そうだけど……これとそれとは違うじゃん。私にも恥じらいはあるというか……」

「誘ってきたくせに恥じらいとかあるんだな」

「あるよ……!だから着いてきて――」

「というか俺、まだやると言ってねーし」

「え?」


 ピタリと美結の動きが固まった。


 赤い箱を片手に。袖を掴もうとしていた手は宙を彷徨いながら。


「んじゃパン粉買ってくる」

「……え?」


 呆けた声が背中に届く中、加工食品のエリアへと移動した。

 もちろん、美結と一緒にレジに立つことはなく。



 ――一線を越えたのはその夜



 暗くなった部屋で、隠すように2人の体がブランケットに包まれる。


「……はぁ……」

「……ん……はぁ……」


 息と息がぶつかる。


「……んっ」


 少女の声が漏れる。


 指と指の間に絡まった手からはこの上ない力が籠もり、密着した肌から感じるのは小さく痙攣する少女の身体。


 コンビニから帰り、母さんが作った晩御飯も食べ、お風呂に入った後、静まり返った1階を確認して俺は、


「……祐希……」


 コンビニで見た普段通りの美結はどこに行ったのだろうか。


 誘った時と同じように、いたたまれない顔がそこにはあり、名前を読んだかと思えばふいっと顔を逸らす。


「…………」


 今日1日が長かった。

 あの誘いを受けた瞬間から、今の今まですべての動きが遅くなった。


「まだ、動かないで……」

「――っ」


 ギュッと手に力を込めるのは俺だけではない。


 ベッドの横にある時計が音を鳴らす。

 横目に見えるのは0:12という数字。

 いつの間にか湿った空気は俺たちの肌を蒸らす。


「……祐希……」


 再度その名前を呼ばれた時には9割の理性を失っていたと思う。


「……うん」


 更に密着するために顔を近づける。


 中学のあの時と同じように。

 俺が奪ったこいつのファーストキスを、


「……ごめん」


 目を閉じた少女に言葉を零したのは俺。


 何に対して謝ってるのかなんて、今では判別がつかない。


 けれど、思い出すのは誘われる前の『どこからが浮気?』と聞かれた時。

 その時に答えた『から』という言葉。


 俺たちの基準は――キスを最後に行った俺たちは――きっと、周りとは違うのだろう。


「うん……。これは……ちがうもんね……」


 結婚式のときにするのはこの行為ではなく、愛を誓い合うキス。


 あくまでもこの行為はを求めるものであって、愛を確かめるものではない。

 ……少なくとも、俺たちはそうだ。


 ――愛を確かめる上で大切なのは『キス』であり、浮気になるのはあくまでも『キス』


 お互いの顔を避け合って抱きしめ合う。


「……誘っちゃって、ごめんね……」

「……俺こそ、乗っかってごめん……」


 まるでなにかの合図のように『ごめん』を掛け合う俺達は



 ――家族としての一線を越えた


 ――けれど、残りの一線浮気は決して越えない

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