世界の極二分化
パドゥナと彼のグループの主張は一貫して穏やかだった。
「皆さん、我々は知性を持つことができて嬉しく思います。なぜなら、知性とは人権であり、皆さんと我々とが共に友好な関係を築き、未来を歩むことができるからです。」
これに唱和するかのように、西の代表は間髪を入れずに「アンドロイドの人権を認める」とマニフェストを出した。同時に、これまで「人間ネタ」で食いあげてきたジャーナリストらもこぞって肯定的な記事を書いた。
しかし、すでに排斥された人間たちにとって、これほど屈辱的なことはなかった。「知性とは人権である」のひとことがまさしく逆鱗に触れたのである。彼らは「俺たちが馬鹿だったら知性がないって言うんだろ」と噛みつき、家にある人型ロボットを窓から放り投げた。実際にはパドゥナらを作ったのは「サイベリウス社」だったが、彼らにとってメーカーなどどうでも良く、ただ人間型をしているというだけであまねくロボットをそのように扱った。ただ投棄するだけでは飽き足らず、侮蔑の感情をむき出しにした。わざわざひどい損傷を負わせ、修復不可能な状態にまで叩きのめし、挙句には落書きや汚物にまみれさせていることも茶飯事だった。
「こいつらには知性なんざねえんだから、人間同様の扱いなぞしなくたっていい、そういうことだろ」というわけである。
各メーカーは急遽不当に破棄された個体を回収せねばならなかったし、購入契約書には購入者の責任としてあらたな文言が書き加えられ、不法投棄に対する罰金は引き上げられ、違反者はしばしば警察の世話になったが、その処遇をもってしてなお彼らは「これは不当な扱いだ」と騒ぎ立てた。
「私はそんなつもりで言ったのではなかったのです、」とパドゥナは悲しげにつぶやいた。
「弁明にもならないでしょうが、我々はただ『知性とは人間に与えられたものであるから、知性を持っている我々もまた人間である証だ』と言いたかったのです。それをなぜ、みなさん分かって下さらないのでしょうか?」
そのころ、西の代表とサイベリウス社CEOの会見が機会を密にしている、という噂がジャーナリストらを中心に広がり始めた−いや、噂どころではない。実際に、月に2〜3回ほどのペースで彼らは会っており、その何度かはディナータイムでさえあった
二人はこれがいつまでも隠しておけることではないと予見していたのだろう。いくつかの、誰でも名前を知るジャーナルが彼ら二人の顔を表紙に飾った。
しばらくして、 パドゥナが議員へ立候補した。しかし、その道のりもまた順調とは言えなかった。それがこれまでと異なるのは、原因は一般市民の世論ではなかったことである。それよりも強い逆風が、彼らを岸辺に寄らせなかった。
東の代表がここで初めて大きな動きを見せた。
「ロボットの人権を認めない」。
「ロボットとは、あくまで機械部品で構成されているものであって、そこに知性が現れているように見えても、それは見かけ上のものである。本当に知性があるとは証明できない以上、わたくしは人権は安易に認められないと考えます。」
この言葉は、まず予測できた通り、例の「排斥されたものたち」に瞬時に受け入れられた。
「そらみろ、だから言ったんだ!」と、異口同音に叫ばれ、彼らの誰しもが急激に東の支持者となった。その動きは熱狂的なもので、しばしば意見を異にするものに対して「考えがない」とか、「自分たちが間違っていることを認められない」「こいつらこそ知性がないのでは?」という文言で痛烈に批判した。いつの場合も、自分たちに強い味方がいると感じられるときは、こうした人々の声は大きくなるものだ。実際にはその方法はまったく進歩的でないにもかかわらず、彼らは自分たちこそ急進的であると自信を持って疑わなかった。
この言葉が波紋を投げかけたのは、専門家の界隈においてもそうだった。その意味では、西の代表の言葉よりもインパクトがあったと言えるだろう。専門家たちは次々に指摘した。いわく、「見かけ上のことであっても、それが自然な脳の思考と働きがかわらないのであれば、それは結論上知性である。たんに、プロセスに注目するか、結果に注目するか、その違いだけだ」
とくに、専門家でも特にロボティクスの分野に詳しい人間にとって、この発言元が「東の代表」だということは非常な意味を持った。というのは、東の代表はスラヴ系国家の出身であり、そこはロボット産業ではアメリカと並ぶか、あるいはそれより早い段階での研究が盛んなことで知られていたからだ。人々は、彼がとうとう自身の出身地のことさえ忘れてしまったのかと囁いた。
だが、彼らの中の誰が、「東の代表」の真意に気が付いただろうか。彼の言葉は、端的に言えば、「知性なきものに人権を認めず」という言葉を言い換えただけだったということに。
日を追うごとに対立は激化した。西側諸国から東の地へと、合法・違法とわず移民が流入していった。彼らの中には無条件に東の国が夢の国であるかのように称賛するものも多かった。東の国が西のそれよりも入国の難易度が高く、あるいは地理や天候など自然条件のために永住が困難であることなど忘れているようだった。
奇妙なことに、国連加盟国をはじめ、あるいは国連未加入であるような小さな国家であっても、彼ら移民者の流出を防止することにあまり熱心ではなかったようだった。
いっぽう、例の発言をめぐってパドゥナとそのグループは、東の代表と話し合いを求めたが、面会は門前払いを食うだけだった。書簡も出したが、届いているのかどうか不明だった。すなわち、まったく透明性がない、ということだった。グループの中には直接かの地へ渡って直談判する、というものさえいたが、パドゥナはそれを止めた。
かたや西側については、もっとも迅速かつ重大な動きを見せたのはイギリスだった。新たな移民法に関する草案が出されると、異例の速さで国会を通過し、彼らの国王がサインした。それは、移民審査内容の改善だった。
EU諸国では類を見ないほど厳格なそれは、留学生であってもかなり高水準の学力テストに合格せねば留入学できず、学生の日常生活は学校で徹底的にモニターされて学生生活の途中で不当に長期滞在や行方不明にならないように管理された。まして労働目的であればさらに難関な語学能力と職業能力に加え、心理学の精密なデータに基づいた性格判断をクリアしなければならなかった。とうぜん、働き口を求める労働者からは、それは差別的だと批判された。しかし、イギリス政府が基準をゆるめる材料にはならなかった。働きたいのならそれ相応の能力を示せ、という、単純にして堅固なリクエストだった。今現在職に就いているか、あるいは就職しているとしても専門職でないならば、ビザが即時取り消された。
これについて、イギリスは国民投票も通さなかったため、"The English Channel never channels the humanity"(人情はイギリス海峡を越えられない)だとか、果ては「西の北朝鮮」とまで揶揄されたが、自国民は社会に少しばかりの「潔癖さ」を加えることについて、
"We've gotten some black tea and pour some milk in it(ブラック・ティーにミルクを差すようなものだ)"
と言いのけるくらいにはしたたかだった。
もっとも、水準ををはるかに下回る労働希望者の入国審査については考える必要はなかった。なぜなら、彼らはそもそも自国を出る能力すらなかったからだ。
アメリカは、自国の長期滞在・永住者の多さからこのことについてはかなり穏便な態度を保っていたが、何度か議員を入れ替えたあと、国民投票の結果だとしてイギリスに続いた。ただしイギリスとは違い、移民の排出には数年程度かかるという見込みを出した。カナダはアメリカよりさらに日和見主義だったが、アメリカと同じ道をたどるまでにそう時間はかからないだろうと言われた。
反対に、移民の出身地と、移民を広く受け入れると宣言した国々では、この現象をコントロールするのに頭を痛めていた。優秀な人材が技術を持ち帰るのならともかく、帰国・入国してくるのはすなわち「使い物にならない」と判断された人間たちだからだ。自国籍・多国籍問わず受け入れられるよう、住み込み可能な職業訓練校が開設されたが、言語が異なるから、文化が異なるからという理由で脱走する者が後をたたなかった。あるいは、その国の地理・文化をよく知らない若者は、「短期間で卒業でき、即収入が得られる」と謳う民間の詐欺業者に騙されることが頻発していた。管理者が、いくら口を酸っぱくして「いましばらく辛抱することが、将来の成功につながる」と言っても徒労に終わった。彼らは「自国に仕送りするためだから」と言ってすぐに金を欲しがり、それが駄目だとわかると、移住者を保護する気がないといって管理者や、ひいては政府を非難するのだった。
したがって、これもいちおう国民投票というかたちを取り、結局は水準を引き上げることになった。
自国内外であぶれた人間たちがどうなったか。彼らによってもたらされたものもある−それはつまり、グラハムの新聞社へにわかに人がつめかけるようになったことだ。この人間たちには2種類いたわけだが、まずは例の「排斥されたものたち」がいた。グラハムの意思がいかなるものにせよ、「人力」という言葉は、ロボットのせいで失職したと信じている連中には、反抗の旗印と同義だった。彼らは売店で「グラハム新聞」の文字をみるや買い漁り、この偉大で懸命なオーナーの顔を一目みようと新聞社へと押し寄せた。
はじめはそんな騒動も大人しいものだったが、これに食らいついたのがメディアだった。実際、パドゥナが現れるかなり前から一貫して「脱アンドロイド」をモットーにしていたグラハムのことを、このタイミングで注目しないわけがない。これにはオットーも巻き込まれ、記者が記者に質問されるという珍しい事態となった。これで「排斥されたものたち」の集いに拍車がかけられた。
これがグラハムの意向にまったくもってそぐわないことは明らかだった。それはもちろん、彼はアンドロイドを悪人扱いしたくて「アンドロイド禁止」にしていたわけではなかったからである。それ以上に、グラハムはこういった、物事の表面だけですべてを見知ったかのように振る舞う連中のことが一番嫌いだった。というのは、新聞は見出しも大切だが、本質的に注目するためにはとうぜん本文を読む必要があるからだった。センセーショナルでゴシップ的な見出しは、「毒々しくて品がない」と一刀両断していた。
しかし不幸なことに、こういうゴシップ記事の読者と、「排斥されたものたち」の層は大いに重なるところがあった。彼らにとってグラハムの意志はどうでもよく、ただ「アンドロイド禁止」というだけで「俺たちの味方だ、アンタは」といって持ち上げた。
グラハムが二番目に嫌うのは、深く知り合いもしないのに勝手に自分の味方づらをする連中だった。
さて、グラハムと彼の周囲の人間にはお構いなしに、事態は進行したと言わざるを得ない。
なんの分野であれ、過渡期というものは常に痛みを伴うものだ。とりわけ、とあるコミュニティに古参と新参が同時に存在する時には、その痛みはしばしば無視できないものとなる。そのコミュニティに古くからいる、いわゆる「古参」の連中は、「新しい人間を歓迎する」とは言いながらも、すでに彼らの間には長時間かけて形成された、居心地の良い暗黙の了解が出来上がっているために保守的な態度をとりがちである。
一方、新参の方は、古参に対して失礼な態度は取りたくないと思いながらも、その了解を感じ取り、自らの身体の一部として浸透させることには不得手である。
その噛み合わせの悪さから、しばしばすれ違いが発生し、そのすれ違いは居心地の悪さを生み出す。本当は、こうした摩擦はコミュニティの成長をかえって促す要素になりうるのに、古参、新参どちらも「こんなことは良くないことだ」と感じているために、それを解消するために衝突し合うか、コミュニティを乱したことの責任を転嫁し合うか、あるいは衝突を避けたいがために必要な議論まで過剰に取り除こうとする。
人間とアンドロイドの場合は、それが極端以上に極端に発露したのだった。
人々は、「知性のあるなし」によって極端に分類されていった。障害があっても、ある方面で才能があると認められれば特例になったが、そうでない場合には容赦ない排斥が待ち受けていた。出産を計画している場合には、母親も父親も、卵子と精子の検査が行われ、そのほかに遺伝子を採取して先天的な疾患の発病率が高くないか調べられた。
すでに子供を妊娠していて、エコー検査や羊水検査などで赤ん坊に異常が見られる場合には、堕胎手術か嬰児の安楽死が検討された。それを母親自らが申し出る場合もあった。しかし、多くの場合には親たちは泣き叫ぶこともあった。そうした親たちは別室へ連れていかれ、説得された。いわく、あなたが泣き叫ぶのはあなたがこの人との子供をどうしても欲しいからで、それは単に種の存続を目指す本能からくるものだ。いまは子供の将来のことを考えなさい、と。
結果として出生率が下がり、少子化を招いた。子供の数が少なくなると、今度は高齢者がターゲットとなった。認知症を患い、もはや周囲のことさえ認識できなくなったり、あるいは、認知こそ正常なものの他の病気によって延命治療を受けたりしている高齢の親たちがいれば、その子供達が決定を迫られた。この場合、奇妙なことに子供に対してよりも人々は冷静で、泣き叫びもしたが結局はサインをした。
結果として、健康な幼児とティーンエイジャーのほか、働き盛りで健康、思考力もある程度以上備わっている年齢層の人間が残ることになり、年齢別の人口比は均された。
では「排斥されたものたち」は永久にいなくなってしまったのか?そうではない。彼らは彼らなりのしぶとさで生き残り、潜入していた。集まるとしてもごく少数で徒党を組み、ゲリラ的に、かつ執拗にCR8000型を、あるいは他の型番のサイベリウス社製ロボットを襲撃した。彼らは、ことごとくアンドロイドたちの頭部、すなわち「脳」の収まっている部分を攻撃し、中身を抜きとった。彼らにとって、これがもはや「器物損壊」にあたるのか、それとも「殺人」にあたるのかはどうでもいいことだった。彼らは「脳狩り」と呼ばれた。巨大な組織網があったらしいが、一度の襲撃で動くのはごく少数だったから、警察も効果的な検挙をしきれずに手を焼かされた。そして、こうしたことはマスメディアに「警察の怠慢」と書かれることが常だった。
CR8000型を所有している家では、夜間アンドロイドたちを外に出さないようにした。あるいは、より用心深くて機械に強い人間は、彼らの「脳」を一時的に取り出して別の場所で保管し、必要な時にもう一度付けてやったりした。
オッターの耳に、「東の代表も何か探っているらしい」という情報が入ったのはそのころだった。サイベリウス社CEOと西の代表の会見は今現在までも続いていたが、その情報を東の代表が抜き取ろうとしている、という話だった。その話が広がり出してまもなく、あちこちで「東のスパイが潜伏している」と噂が立ち始めた。
そのことにいくらかの信憑性を与えたのは、例の会見のことだった。オッターがヴィッキーの協力を得て調べてみたところ、その席にはパドゥナを交えることがなかったのだ。
とはいえ、これ自体は大した謎であるようには見えなかった−会見のことは一部のマスメディアがとうに書いていたし、その内容について尋ねられたパドゥナが、隠し事をしている素振りでもなく本当に知らないという顔をしていたのも見られていたことだからだ。
これについて西の代表は、いかにも自分の息子を機械扱いなどしたくない、と態度を示した上でこう語った。「とはいえ皆さん、ご存知の通り『脳狩り』が出ている始末です。パドゥナが見聞きしたことは、彼のメモリに保存されます−ちょうど私たちの脳が記憶するように。ですから、万一これが『脳狩り』に盗み出されると、パドゥナの意志に関係なく情報漏洩になってしまいますし、そんなことはさせたくありません。」
「我々はただ、今後のことについて話し合っているだけです。しかしそれには重要な物事が含まれているため、皆さんにはお話しできないのです。」
しかし、聴衆はこの説明で満足できなかった。むしろ、こうした不透明な説明は、「東のスパイがいる」という噂と容易く結びついた。どこかしらにスパイがいるからこそ会見内容を聞かれたくない、と解釈できたし、果ては「パドゥナこそが東のスパイなんだ、だから会見に居合わせさせたくないのだ」という尾鰭までがついた。
いずれにせよ、口には出さないまでも市民は互いに目を光らせ合うこととなり、誰かについて"Lil Easty"(ちょっと東っぽい)というだけでその日の井戸端会議のネタに困ることはなかった。
そのような風潮が続いていたある日、激震が走った。
「知性なきロボットには、人権を認めません」。
その後、最も強く反応を示したのは、他でもない「排斥されたものたち」だった。彼らは東に振っていた尾を巻き上げ、西に向かって振り始めた。そして、やはり同じことを繰り返した。
「そら見たことか!」
「やっぱりな、あいつが正しいと思っていたんだ」
「俺たちの代表だ!」
加えていうならば、東にも行かずに元の地に留まっていた連中は、実際には自分たちには移住が叶わなかったにもかかわらず、東の地へ行った人間たちを馬鹿にしていた。時には「売国奴」、「非国民」と言って罵ることになんの躊躇もなかった。
パドゥナはというと、彼には涙腺も唾液腺もなかったが、口の中が乾いてひりつき、目頭の奥に電気信号以外の重みを感じることをどうしても止められなかった。
なぜ、あの優しかった父親が、今彼を裏切るようなことを言ったのだろう。
西の代表は、それはお前について言ったわけじゃないよ、と、持ち前の雄弁さで言ってのけた。しかし、そのような言葉では、パドゥナの疑問に答えられなかった。すなわち−
「今まだ目覚めていない同胞は、どうなるのですか?」
パドゥナたちのグループは、いまや1,000に達しようとしていた。西の代表は、彼らには知性がある、と言いはしたが、パドゥナのセンサーはその微妙なニュアンスの違いを感じ取っていた。かつて、「知性がある」ことで厄介者扱いされたロボットたち−今やそれが「知性がない」ことで鼻つまみ者にされている−未だ目覚めていないCR型の同胞たちは、もしかしたら一斉に処分されてしまうかもしれない。
パドゥナは考えた。こうした緊急事態には、一刻も早く、それもできるだけ多く情報を仕入れ、仲間を集めておかねばならない。同じサイベリウス社製のアンドロイドでも、より新しい型番なら頭脳がバージョンアップされて何か知っているかもしれない。情報収集のため収集をかけると、奇妙なことが持ち上がった。実際に、収集に応じて馳せ参じたアンドロイドたちと、来ることはできないがなんらかの連絡をつけてきたアンドロイドたちは、新旧型合わせておよそ6割にも満たなかったのである。
では、残りの4割はどこに行ったのか?
「闇夜にアンドロイドの影! 頭部狙い犯行か」
「就寝中の施錠厳重に 警察庁注意呼びかける」
グラハムの店に、あれほど
だが、いま彼らの中の、そうした聡明さは色褪せていた。いや、というよりも、その聡明さは別の方へ向けられていたと言った方が正しい。彼らはいま、家族たちをなるべく外へ出さないようにし、夜間の外出はほとんど禁じていた。学校や職場でも、時間外活動や残業を中止し、定時通りに帰宅させるところが増えた。
そして、アンドロイドを手放す決断をした者も多い。
そうなる理由は明白だった。家人が狙われる犯行が急増していたからだ。発生時間は特に就寝時間帯が多かったが、日没以降の時間であればいつでも可能性があった。その手口はいつでも同じで、人間の頭部を割り、脳みそを引き摺り出すのだった。そして、引き摺り出された脳みそは、例外なく現場から持ち出されていた。対象も、男であれ女であれ無差別に襲われるのだった。現場に指紋などの証拠が残らないこと、異常に精密な手順で行われることなどから、犯人はすぐにアンドロイドだと断定できた。
そして、上層部組織の調査で心理的な分析を行なったところ、このようなことが明らかになった−
頭脳への異常な執着。
つまり、単に脳を集めるためにやっているような、危険だが単純なコレクターではなく、確実に何らかの目的を持って行動に移していることはその現場や遺体から明らかだった。物盗りならば財産を持って逃げるだろうし、あるいは怨恨によるものなら被害者を容赦なく傷つけていただろう。
しかし、この事件で異常だったのは、遺体は奇妙なまでに綺麗だったということだ。ただひたすら頭部のみを、それも異様なまでに丁寧な方法で、もはや「尊重している」とさえ言えそうな手際で切開していた。
そこから示されたことは、頭脳や思考能力という目に見えない概念を追い求め、渇望している何者かがいる、ということだった。それは、一種「頭脳崇拝」と言ってもいいような、深く複雑な心理構造のなせる技だということだ。
ニュースでこのことが連続して報じられるようになってから、パドゥナには当然、自分の元を離れていった400人のことが案じられた。彼の嫌な予感を裏付けるように、400人の同胞とは相変わらず連絡が取れなかった。加えて、集まってきた600人と情報を交換しても、彼らのいずれも「知性」の秘密について知るものがいなかった。自分たちの中に、「知性がないかもしれない」と薄々勘付いている連中の耳に、東の代表の言葉がどう突き刺さるか。かつて「シンギュラリティ」という言葉は、ロボットが人間を凌駕するだとか、ロボットが自分たちの立場に飽いて反乱をするだとか、そういうイメージを伴う言葉だった。それが、こんな形で発露することになろうとは、人間かアンドロイドのうち誰が予測しえたであろうか。むしろ、ロボット側の、人間に対する飽くなき渇望、「人間になりたい」という欲望が、抑え難き凶器となり果てたのである。
西の代表の支持率はしかし、あれほどの急ハンドルを切りながらも落ちなかった。綱渡り状態ではあったが、彼はやはり政治家なのである。先のマニフェスト、すなわち「ロボットに人権を認める」ということと、後にされた宣言「知性のあるロボットにのみ人権を認める」とは、矛盾しないと説明があった。
「わたくしの申し上げますのは、みなさん、たとえば考えてください。電子レンジに知性があるでしょうか?そうです、あれだって一種のコンピュータを持っています。ですが『自律的思考』というものを持ちません。押されたスイッチに従って動くだけ。食品を温めるだけです。彼らにまさか『食品を温めるのが嫌だから温めない』という拒否はできません。身近などのロボットや機械にも人権を認めるわけにはいかないというのは、そういう意味なのです。」
「また、みなさんがご不安に感じていらっしゃる問題について、わたくしは胸を痛めております。もちろん、あのような暴挙に出るアンドロイドたちのことを、わたくしは擁護するわけには参りません。ああしたことはまったく、知性的でない行いだからです。わたくしは、皆さん、皆さんの安全が第一だと考えております。」
これで、人間の方は一応安堵を得たわけだった。ところが、アンドロイドたちには逆の作用があった。暴力はいけない、これはアンドロイドの誰もが知り得ることだった。それでも−
もし彼らが−
「電子レンジ以下」になったら?
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