第一章 殲滅戦 黒岩家を撃て!(2)


 職場で、自分より若い人間と三時のおやつを食べるのは、真壁茂がギャロップから出向してきて、初めての経験だ。


 休憩用テーブルの茂の正面には、女子高生の来宮七海がいる。その華やかな笑顔が、日頃、殺風景な作業棟の空気を一変させていた。


 良いな、年下も……


 一人二個が割り当てられた高級プリンの甘さに負けない、甘美な幻想に浸ったのも束の間、彼女の左右に座った社長とその息子の仏頂面が、茂を現実に引き戻した。


 黒岩家の親子は、一年365日、いつでも諍いの種を抱えているみたいだ。


 巻き込まれるのも厭だから、茂はテーブルの端に置かれた14インチのモノクロテレビへ目を向けた。


 首相官邸からの中継で、総理が新たなテロ対策について熱く語っているが、テーブルの従業員は誰もまともに聞いていない。


 目下の所、皆の興味の対象はプリンと黒岩家の内輪揉め、そして声高らかなアカネさんのお喋りにあった。


「……だからさ、ここが今の形になる前、徳寛電機の工場だった頃からいるの、あたし。もう、生き字引って感じよね」


「アカネさん、凄いっ!」


 七海が好奇心にキラキラ目を輝かせ、アカネさんの舌を一層滑らかにする。


「VFやアビシュームの特許を取って、あっという間に大企業になったけど、ちっぽけな町工場から始まったのよ、ギャロップ。思い出すなぁ、戦後の荒廃から裸一貫で創業した寛一さんの男気」


 轍冶は深く頷いた。勘当された間柄でも、義父の事を尊敬し続けているらしい。


「あとね、宮城から集団就職で上京した頃の社長も鮮烈な印象だったわ」


「えっ、どんな感じですか?」


「それが可愛かったの、ガンテツさん。イガグリ頭の純情ボーイで丁度、今の真希君くらいの年かな?」


「……アカネさん、そういう話は、もう」


 渋い顔で耐えていた轍冶が割って入り、次はトクさんとタケちゃんが、七海の好奇心の対象になった。


「俺達ゃ、最初からツルんでる。三流大学で会って、つまんねぇから中退して」


「二人で放浪したな、世界の色んな街」


「で、日本に帰ってきてもロクな仕事が無ぇからよ、知り合いの伝手を頼んで、社長に拾ってもらった訳」


 またも目を星印にする七海の隣で、真希はポカンと口を開けていた。長い付き合いなのに、トクさん達からそんな話、一度も聞いた事が無い。


「え~、私はある健康器具の営業員をしておりまして、16年前、クビになりました。三回連続最下位だったんです、グラフにした月間の営業成績」


 職場の良心・ツネタさんは辛い思い出を、普段通りの穏やかな口調で語り出す。

 

 16年前と言うと、第二次オイルショックの後遺症で世界が同時不況に陥った時期だ。日本国内においては、ハイ・スチーム発電への移行が進む契機となった。

 

「何処に行っても、雇ってもらえなくてね。大田区を歩き回る内、もう疲れ果てて、大井の埠頭公園で海を見ていたんです。

丁度、一人目の子供が生まれる前だった。死んだら楽になるけど、今は死ねないなぁ、なんて考えていたら」


 一旦、口を閉じ、ツネタさんは上司の方を見た。


「社長が後ろから肩を叩いた」


「……そう、だったかな?」


「忘れられません、私には」


 轍冶の眉間の皺が少し浅くなる。極めて意味不明だが、見る人が見れば、彼が微笑みを浮かべたとわかる筈だ。

 

「ウチは町工場で給料安いが……来るか? 事情を聞き、社長はそう言った。営業しか知らない私に、技術は覚えれば良いと励ましてくれた」


「アンタ、覚え、悪かったけどさ」


 アカネさんの突込みは、普段と比べてトゲが無い。

 

「電験三種の資格を取った時も、仕事の後、社長は深夜まで私の勉強に付き合ってくれましたよね」


「……そうだったかな?」


「一生、忘れられるもんですか!」


 46才の元営業員は、油汚れの残る指で潤んだ目尻を拭い、鼻の横に黒い線を引いた。アカネさんが何度も頷き、意外と情にもろいトクさん達も貰い泣きを堪えている。

 

「……ツネタさん、そういう話は、もう」


 轍冶が頬を赤黒く染め、実にわかりにくい態度で照れた。


 しばらく誰も口を利かない。


 真希はこの手の湿っぽい雰囲気が苦手だ。でも耐えられなくなる前に、七海が職場の最年少・真壁茂へ話題を移す。


「あの……シゲルさんはギャロップから、この工場へ来られたんですよね?」


 なんとなくテレビ画面へ目をやり、首相官邸からJガイアと言う海上施設へ中継現場が移るのを眺めていた茂は、ハッとし、七海に向き直った。


「昔からの慣習でよぉ、ウチ、ずっと出向社員を受け入れてンだ。もっと大勢いた事もあるんだぜ、なぁ」


 割り込んだトクさんの太い腕が、茂をヘッドロックにとらえる。


「憎ったらしいが、出世コースなんだと。前にここにいた奴で、何人かギャロップの重役になってんだ」


「ヘヘッ、するってぇと、お前さん、さしずめインテリだな?」


「……僕、MITを卒業してます」


「MIT? 何じゃ、そりゃ」


「……マサチューセッツ工科大学……アメリカの大学です。トクさん、海外を放浪してたんでしょ?」


「知らね、そんなの」


「アホのガッコに決まってらぁ!」


 トクさんに締め付けられ、タケちゃんにくすぐられ、何とか脱出した茂は、やるせなくため息をついた。だが、七海が真希へ囁く声を聞き、彼の心は僅かに救われる。


「……真希君、シゲルさんって本当は凄いエリートなんだね」


「MITって偏差値、高いの?」


「卒業するのは、東大よりずっと難しいって聞いたよ」


「え!? 何で、そんな人が、ウチで機械の部品造ってんだ?」


 大学受験を控えている分、茂の高学歴を知った真希の眼差しが前とは違う。






 良いね、もっと尊敬して。


 ギャロップに幹部候補の研究員で入社して、急に町工場への出向を命じられた時は、そりゃ迷ったよ。

 

 でも、すぐ理解した。日本の中心、いや世界の中心が、この大田区の埋め立て地で、人知れず深い眠りについている事を……






「コラ、シゲル! ボ~っとしてんなら、残りのプリン、俺にくれ」


 敬意の欠片も無く、タケちゃんがスペシャルなおやつへ手を伸ばしてきた。すんでの所で阻止した時、アカネさんがテレビに目を留め、茂へ話しかける。


「……Jガイアか。ここさぁ、確か、美貴ちゃんがいる所だよね?」


「僕、良く知りませんけど」


「伝さんから聞いた情報だから間違いないさ。それにホラ、偉そうな自衛官の次に話し始めた背広姿の渋~いハンサム」


「トレンディドラマで、主人公の恋敵になりそうなタイプですね」


 何故か、恋敵という言葉に過剰反応し、真希がジロリとこちらを睨む。


「コイツ、前から知ってンだわ。大きい声じゃ言えないけど……」


 手招きされて茂が耳を寄せると、アカネさんは声を潜めて囁いた。


「え~っ! 亜紀さんの不倫相手!?」


 思わず飛び出す大声に轍冶が鋭く反応し、氷点下の冷たい眼差しが飛んでくる。


「シゲル、もう一回、言ってみろ」


 救いを求める茂からさり気なく目を逸らし、アカネさんはテレビへ手を伸ばして、小さめの音量を上げた。


「……即ち目下の脅威は、最早、テロリストでは無い」


 画面上の語り手・柘植統弥から発する声が、モノラルの雑音交じりで、一般作業棟に響く。


「レーザーヘッドの総力を挙げた追跡調査により、『彼岸』一味を操る侵略者の正体が、遂に判明致しました」


 侵略者という耳慣れぬ言葉に、ツネタさんは小首を傾げ、トクさんとタケちゃんは目を見合わせた。


「これをご覧下さい。遂に動き出した悪魔の正体です」


 画面に、素人が8ミリビデオで撮影したと思われる解像度の低い映像が流れる。


「あ!?」


 一目見て、轍冶も真希も、従業員達まで言葉を失った。


 あの品川テロの際、落下してくるVCの巨大な尾翼を背中で受け止め、弾き返す轍治が映し出されたのだ。

 

 鋼色に変化した轍冶の体は、モノクロの画面では漆黒の魔物に見える。まさに人間に化けていた邪悪なエイリアン、そのものの姿に。

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