アーティスト

沼田衛次

アーティスト

顔に乗った脂が気持ち悪く感じたので洗面台に向かった。眠たくはなかったが、昨日の疲れがまだ体に残っているから出来ることなら寝ていたかった。

冷水を顔にかけると油分が落ちていくのが分かって気持ちよかったが、洗顔料が切れていたので思わず顔が歪んだ。まあ、一日くらい水だけの洗顔でもいいだろうと思い、歯ブラシと絞りきった歯磨き粉に手を伸ばした。

しかし不運にも、どれほど力を入れてもクリームが出てこない。何故無くなる前に予備の分を買っていないのか自分が不思議に思えた。

しょうがないのでコンビニに向かうことにした。寝巻きのまま行くのは少々ためらいがあったが、誰も自分に興味はないだろうと言い聞かせ、結局着替えずに外に出ることにした。


レジの列が長かったので少々苛立ったが、並んでいる間にタバコも切らしていることを思い出すことができた。洗顔料と歯磨き粉、それとキャメル、合わせて1500円を超えた。財布の残りが一万を切ってしまい、肩が重くなった。いい加減バイトを始めようかとも思ったが、一応「アーティスト」としての活動で食っていけるぐらいには稼げているので、まだいいだろうと一人で納得した。


自室へ戻り、ノートパソコンを起動すると、メールが何件か届いていた。その内の一件はお世話になってる出版社からのもので、「自社の月刊雑誌に寄稿するイラストと文章の締切が近づいているので早く送れ」という内容だった。文章の方はあらかた完成しているのだが、イラストの方が全く手に付いておらず、下書きすら完成していない状態だった。昔からの癖で、頭の中のイメージがはっきりと定まらない限りペンを走らせることが出来なかった。

しばらく考えたが調子が悪いのか、ぼんやりとしたままで具体的な絵が思い浮かばない。


頭を切り替えるため、一旦外に出てタバコを咥えた。口から吹き出した煙が風に乗って消えていく。三本ほど吸い、ため息をつきながらまたパソコンの方へと向かう。

小一時間ほど椅子に座って紙に描いたりしたが、思うように納得したものが出来上がらない。スマホで他人の作品を覗いたりもしたが、ほんの少しのインスピレーションを得ただけで、大して完成には近づかなかった。

終いには飽きて、最近作り始めたボーカロイドの曲の調整に取り掛かり始めた。


動画配信サイトに「仲野康太」というチャンネル名で三曲ほどの動画を載せているが、どれも再生数は五百止まりで、収益化には繋がっていない。せめてもの生活費の足しにしようと思って始めた曲作りだが、現実は厳しかった。

「アーティスト」である自分には曲作りの才能もあるだろうと踏んでいたが、そもそも本業すら上手くいっていないのに、その分野外で成功するはずがなかった。


掛け時計をふと見ると、七時を指していた。今ある仕事は明日の自分に任せ、久しぶりに早く寝ようとした。

風呂場の扉を開け、湯を沸かした。

鏡に映った自分の髪は伸びきっていて、早く床屋に行くことをせがんでいるようだ。

「行く金があったら行くんだけどさ」

そう髪に語りかけながら、シャワーで濡らした。髪はだいぶ大人しくなった。

湯船に浸かると、膝小僧がその顔を覗かせた。

膝小僧をじっと眺めながら、締切に追われたイラストの事を考え続けた。

何か壮大で鮮やかなものが浮かびそうになったが、頭の片隅へと消えていき、再び思い起こすことはできなかった。

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アーティスト 沼田衛次 @kuroro087

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