魔女の同窓会

十坂真黑

出会い

 エウレザード上空は雲ひとつない晴天が広がっている。


 新米魔女の危うい箒の操縦を横目で見ながら、ゾフィは空を蛇行気味に進んでいた。


 彼女の肩には布で出来た人形のベルがちょこんと腰かけている。先ほどからゾフィのくすんだ橙色の髪を三つ編みにしようと試みているが、手の造りが簡素なため、うまくいかないらしい。


「ベル。人の髪で遊ばない」

『だって退屈なんだもん。ねえ、まだ着かないの?』

「もう少し」

『それ、さっきも聞いたよぉ!』

 ベルはゾフィの肩から腕にかけて滑り台のように滑り降りた。そのまま箒の柄にちょこんと座り、毛糸でできた小さな足をぶらぶらさせている。

「ベル、危ない」

『へーきへーき……て、ゾフィ! 前!』

「あっ」


 突然右折し、こちらへ向かってきた箒乗りの魔女を慌てて避ける。今のはヒヤリとした。ふわふわと浮かぶ箒に跨りながら、ゾフィは心臓の鼓動を押さえつける。

 大都市は箒さばきが荒いというのは本当らしい。


『仕方ないよ、みんな箒に乗るの二十年ぶりなんだから』


 ここ、エウレザードは数少ない魔女認可都市である。

 魔女として生活する者たちは、二十年に一度、定められた一週間の間にこの街を訪れ、魔女登録の更新を行わなければならない。

 ゾフィも登録の更新をすべく、ベルと共に遠路はるばるエウレザードにやって来たのだ。


 その期間に重なるように、エウレザードでは街一丸となって魔女祭りが開催される。魔女向けのショップや屋台が開き、祭りの間だけは自由に箒で空を飛び回ってもいい。障害となる飛行機もエウレザード上空は飛行禁止となる。普段箒に乗れない魔女たちはここぞとばかりに箒に跨る。


 世界中の魔女が一堂に会するとあって、魔女ではない人間たちも彼女たちを見ようと観光目的でエウレザードを訪れる。祭りの間、むせかえるような人いきれが街中から途絶えることはない。


『ゾフィ! 急がなきゃ! エミレアが待ちくたびれてるよ』

「そうだった」


 ベルに急かされ、ゾフィは箒の柄を強く握り直し、スピードを上げる。

 箒はエンジンを載せていない代わりに、操縦者の魔力マナが動力源となる。


 ほどなくして市街地が見えてきた。ゾフィは人々の隙間を縫って、地面に降り立った。

 エウレザードには街のあちこちに魔女専用の着陸エリアが用意されている。


 ストリートには無数の屋台が立ち並び、食欲をそそる香りが立ち込めている。屋外ステージではサキュバスと思しき女性型魔人が妖艶なダンスを披露していた。

 ゾフィが人混みを歩くのに難儀していると、前方からやって来た魔女が八重歯を覗かせた。

「待ちくたびれたわよ〜、ゾフィ。……あら、ベル。あんたまだいたんだ」

『ひどい言い草だなあ』

「冗談よ」

「久しぶり、エミレア」

 ゾフィはにこりと頬を緩める。


 二十年ぶりに会う親友だが、前回あった時と何一つ変わらない。鮮やかな紫色の髪を外巻きにカールし微笑む彼女は、少女のようにしか見えない。

 かくいうゾフィも齢で言えば五百は超えているのだが、十代半ばの少女の姿を留めている。

 魔女は一定の年齢になると体の成長が止まり、以降老いることはない。


「元気そうね、ゾフィ。良かったわ」

「エミレアも」

 ゾフィはぎこちなく答えた。つい、彼女の左手に視線をやってしまう。エミレアの左手薬指にはまっている指輪の存在に、いまだに慣れないのだ。


「それにしてもすごい人出」

「そーお? これでも昨日よりはマシよ」

 エウレザードの住人であるエミレアは、祭りの騒ぎにも慣れっこらしく、特に感慨もなく言う。


「ゾフィも早く役場に行ってきたら? 朝からすんごい行列よ。ベルは私が見ててあげるから」

「ありがとう」

『おいら子どもじゃないんだけどー』

 エミレアに赤子のように抱き上げられ、ベルが文句を言った。


 

 正午前には役場に並んだゾフィだったが、用を済ませ外に出る頃には空は茜に染まっていた。


『おつかれ~ゾフィ』

「大分かかったみたいね」


 ゾフィが合流した時、エミレアとベルは優雅にカフェでお茶を飲んでいた。

 今日一日中、二人は屋台やお店を見て回ったらしい。


『いやー、やっぱりいいね。おいらも堂々と街を歩けるの祭りの間くらいだもん』

「エウレザードなら一年中街中での使い魔の同行オーケーよ。流石に危険な幻獣はだめだけど」

『えっ、そうなの!? ねえゾフィ、ここに住んじゃおうよ! トカゲの世話なんかやめてさー』

「ドラゴンはトカゲじゃない」

 ムッとしてゾフィは言い返す。

「そうよ、ベル。ドラゴンの飼育係なんて全魔女憧れの仕事よ? あんたのご主人は優秀なのよ」

 

 ゾフィは普段、山奥で幻獣研究施設のドラゴンの飼育係をしている。

 ベルが妙にはしゃいでいるのは、滅多にこんな都には来れないからだろう。

 実際、エウレザードに来るにも列車を乗り継ぎ、三日掛かった。

 

 茶会に加わったゾフィは、ネコノハを使ったハーブティを注文した。カップに口をつけると、芳醇な香りと独特の渋みが舌に宿る。一口含んだ途端、身体がポカポカしてきた。ネコノハは魔女御用達の、魔力を回復してくれる作用のあるハーブである。


「今回は最終日までいれるのよね?」

 ゾフィは頷いた。

 エウレザード発の臨時のピクシー列車が出る。それに乗って最終日に発つ予定だ。

「うれしい。じゃあ一週間もこっちにいられるのね」

 エミレアは少女のように胸の前で両手を組んだ。


 エミレアと夕食をとった後、ゾフィはホテルへ向かうことにした。

「うちで泊まればいいのに」と彼女は残念そうだったが、エミレアには人間の夫がいる。二人の生活の邪魔はしたくない。


 その晩、長旅の疲れからか、ゾフィはホテルでシャワーを浴びるとすぐに寝入ってしまった。


『ゾフィ! 起きて! 朝だよ~』

「ううん……もうちょっとだけ」

『そんなこと言ってるとあっという間に夕方だぞー!』


 目覚まし代わりのベルに揺り起こされ、朝食を求めて街に出る。

 朝から街は活気があった。祭りの期間中、街は出店で埋め尽くされる。朝食は外で取るのが定番だ。

 香ばしいベーコンの香りやパンのふわっと漂う優しい匂い。店の顔ぶれは二十年前と変わらない。

 古い記憶をたどりながらゾフィは街でも最も人通りの多いエヴィストリートの上空を飛んでいた。実在した偉大な魔女の名を冠したストリートだ。

 魔女は基本的に朝に弱い。この時間なら空もさほど混雑していない。


 ゾフィがまだ半分眠っているようなぼんやりした頭で箒に跨っていると。


 ……っ!

『っ! どうしたんだようゾフィ、急に飛ばして』

 

 ベルの言葉に返す余裕もない。


(見間違いじゃない。 だ……!)

 

 そんなわけあるはずがない、何かの間違いだ、という理性の声を押しやり、ベルは慌てて着陸態勢に入る。


 地面に降りるとすぐさま人混みをかき分け、駆け出した。

 赤茶の癖っ毛。ひょろりと細い腕。そばかすの散った頬。歳は十代半ばくらいだろう。

 ゾフィは少年のシャツに手を伸ばした。


 少年は驚いた様に目を丸くし、振り返る。


「リック!」

「……もしかして、ゾフィ?」

 こくんこくん、と何度も首を縦に振る。


「驚いた。本当にゾフィなの?」

「リック。会いたかった」


 少年ははっとした様子で目を見開くと、眉を曲げ、申し訳なさそうに言った。


「ごめんね。俺はリックじゃないんだ。リックは父さんの名前。俺はレイズ」

 レイズ。リックの、息子。

 少年のシャツを掴んだまま、ゾフィはその場で固まった。


 「座って話そうよ」少年に誘われ、広場のベンチに並んで座る。

 

「父さんは去年、死んじゃった。事故で……。俺、小さい頃から父さんに訊かされてたんだ。昔、魔女の女の子と仲良くなったんだって」

「それが……私?」


 うん、うん!とレイズは拳を握り、無邪気に頷く。


「俺、絵本か何かの話だとずっと思ってたんだけど……父さんのいう通りだった! すごくかわいい子だって……」


 レイズの顔がさっと赤くなる。つられて、ゾフィも熟れたリンゴのようになった。


『あれ? もしかしておいらってお邪魔虫?』


 ゾフィの肩からぬっとベルが顔を出した。

 するとレイズは嬉しそうにベルに手を伸ばし、抱き上げた、


「ベル! ベルだろ? へえ~本当にいたんだ!」


『なんだよ。おまえエウレザードに住んでるくせに使い魔も見たことないのか~?』

「あはっ、ほんとに毒舌だっ」


 レイズは楽しそうにベルと言葉を交わした後、ゾフィに向き直った。

「ゾフィ、腹減ってる?」

「う、うん」

 実は先ほどから、腹の音がレイズの耳に届かないか冷や冷やしていたのだ。

「ならうちにこいよ。祭りの期間だけスープ屋やってんだ。体あったまるぜ」


 レイズの申し出をありがたく受けることにした。

 メニューは甘いコーンをじっくり煮込んだコーンスープと、具材がたっぷり入ったコンソメスープ。それぞれ、カリっと焼いた後バターをのせたパンが添えられている。

 どちらも魅力的だったが、ゾフィはコンソメスープを選んだ。

 厚切りのベーコンから旨味が染みだし、スープがほくほくのジャガイモに染み込んでいる。塩気のある味付けが疲れた体を癒してくれた。

 ショウガが入っているのか、食べた途端に体がじんわりと温まってくる。


「美味しかった。すごく」

 心からの感想を述べると、レイズは自慢げに鼻を擦った。

「だろ? 父さんのレシピだからな」

「リック、料理が好きだって言ってた」

「うん。父さん、すっごく料理がうまくてさ。でもお金が無くて学校には行けなくて……ずっと炭鉱で働いてたんだ」

「……そっか」


 ゾフィが出会った頃のリックは、料理人になることが夢なのだと語っていた。 

 その夢はついに叶わなかったのだ。残酷な答え合わせに、ゾフィは目を伏せる。

「だからさ、俺は父さんの夢を引き継いで料理人になるんだ! 絶対!」

 レイズがにかっと歯を見せて、ゾフィの腕を取った。

「なあ、もっと楽しいとこ案内してやるよ!」


 地味な店構えだが美味しいパン屋。きれいな夕日が望める丘。魔女達が魔法を使い発光しながら夜空を飛び交う、星空ショー。


「な? すごいだろ」

「うん。すごい」


 自信満々のレイズに、ゾフィはぎこちない笑みを返す。


 ……全て知っている、とは言えなかった。

 二十年前と何ら変わりのない街並み。催し。飾りつけ。ショー。


 前回も回ったのだ。リックと。

 彼も今のレイズと同じように、彼はキラキラした目でゾフィを案内してくれた。

「明日も、会える?」

 別れ間際、もじもじしながらそう問うたレイズの頬は、赤く染まっている。

「……うん」

 

 それからゾフィは毎日レイズと待ち合わせ、街を巡った。


 これまで何度も祭り期間のエウレザードを訪れたゾフィは、おそらく魔女祭りに関してはレイズよりも詳しいだろう。


 それでも退屈とは無縁だったのは、隣にレイズがいたからだ。

 リックの面影を過分に残す少年、レイズ。彼もまた、ゾフィと過ごす時間を心から楽しんでいるように見えた。


(ずっと、この街に入れたらいいのに)


 レイズと過ごすうちに、叶わぬ願いを抱き始めた自分に気付く。


(レイズのこと、もっと知りたい。もっと一緒に過ごしたい)


(でも、レイズは人間。ゾフィとは生きる世界が違う。今はほんの一瞬、道が交わっただけ。分かってるそんなこと。でも……)


『ゾフィの考えてること、おいら分かるよ』

 レイズと別れ、ホテルへ向かう道中で出し抜けにベルが言った。

『だってゾフィったら、二十年前前回とおんなじ顔してるんだもん』

「……一応、聞いてあげる」

『レイズと別れるのが寂しいんでしょ? 簡単だよ。レイズも使い魔にしちゃえばいいんだよ。おいらみたいに! そしたらずっと一緒にいられるよ?』

「簡単に言わないで、そんなこと」


 時々ベルの無邪気さが羨ましくも、恐ろしくも感じる。


 時計の針がこちこちと音を立てるたびに、レイズと過ごせる時間が減っていく。

 そう思うと、身を削られるように感じた。


 最終日の前日、エミレアの元を訪ねた。

「訊いたわよ、ゾフィ。また男の子と親しくしてるんだって? 寂しいわ~、うちにも遊びに来てよ」

「だから、こうしてお茶を飲みに来てる」

「もっと来なさいって言ってるのよ」


 愚痴をこぼしながらも、エミレアは嬉しそうに頬を緩める。

 

 と、突然ピーピーという電子音が部屋中に響いた。

 エミレアはカップを下ろし、

「うちの人が呼んでるわ。先に飲んでて」


 席を立つ彼女の背中に、ゾフィは恐る恐る問い掛けた。 

「……ハイゼさん、元気?」

 今回の祭り期間、まだ一度も彼女の夫の姿を目にしていない。どうやら隣の寝室にいるらしい。


「まあ元気よ。でも最近はね、なかなかベッドから起き上がれないらしくて」

 そういって、エミレアは肩をすくめてみせる。

「人間は大変よね。たった八十年で体にガタがきちゃうんだもの」

 


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