ふたり、ひとり。
葉方萌生
第1話
吹き付ける風が前髪をふわりとなびかせる。
そのうちの数本がまつげに当たって、あっと目を瞑った。
隣を歩く
特別な日だから。 奮発して踏み入れた川辺のフレンチレストランは、混みすぎず、空きすぎず、落ち着いて会話をするにはぴったりの空間だった。私はこの「特別な日」にしか行けない上等なレストランがたまらなく好きだ。みんなそうなのかもしれないけれど、実家で暮らしていた時は外食が少ない家庭だったからか、こういう食事は余計に楽しい。
「シェフおすすめ特別コース」で空腹を満たした私たちは、二人で夜の川辺を——駅までの道を歩いた。お店の中はあんなに煌びやかだったのに、一歩外に踏み出すと静かな夜の闇に包まれる。その中で、川面に移る光が、視線の全てをもっていった。
「
飲み過ぎて、ふらつく足取りなのを、浩太が支えてくれる。
「だって、久しぶりのちゃんとしたご飯だったんだよ」
「ちゃんとしたって、いつも愛美、“ちゃんとしたご飯”作ってくれてるじゃん」
「へへ」
こういうことをさらっと言ってくれるからこそ、私はずっと心を奪われてるんだろう。 風が気持ち良い。川辺を吹く風は、海風と違ってベタつかないからいい。レストランを出た直後はかなり酔いが回っていたけれど、涼しい風に当たっていると少しずつ覚めてきた。でも、このほろ酔い状態がちょうど良いのだ。
「ねえ、もしも、もしもだよ。本当に、仮に、だよ」
「どうしたんだよ急に」
「あのね、ほんと、かるーく流してくれていいんだけど!」
「だから、なんだって」
「もしさ、私たちが結婚するとするじゃん。それで、その、子供ができたとしたら、どんな名前にしようかなーって」
結婚、子供。 付き合って三年目という節目に立たされた私たちにとって、ちょうど良い話題のはずだ。 いや、でももしかしたら、男の浩太にとっては重い話なのか? うーん。
「子供の名前?」
しかしそんな心配も喜憂だったようで、浩太は隣で「そうだなあ」と答えてくれた。
「葵とか、結衣とか?」
「それ、最近人気の子供の名前ランキングじゃん!」
「ばれた?」
あたかも「ちゃんと二人の将来のことを考えています」というふうだったのに、なんだ、それ、ネットで調べて最初から用意してた答えじゃん。 悪態をつきながらも、でも事前にこういうことを調べていてくれたんだ、と思うとほっと心が温まる。
「そっかー。まあ確かに、可愛いよ。ランキング上位なだけあって」
「不満そうだな。愛美は、何かいい名前を考えてる?」
「うん。私はね、
「へえ。いいね、可愛いな」
花音。 響きや字面が可愛いから、という理由だけじゃない。 花音は、私の妹の名前だ。 幼い頃、亡くなってしまった妹の。 浩太には、今の今までこのことを話したことがない。もう昔のことだし、結婚することになったら、話そうと思っている。そんな日が来れば、の話だけれど。
二人で幸せな夢を見ながら煌めく川辺を散歩する。最寄りの駅を二つも通り過ぎて、心ゆくまで今のこの、温かな瞬間を味わう。できるなら、このまま時間が止まってほしい。幸せな気分のまま、心地よい空気に包まれたまま。
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