ふたり、ひとり。

葉方萌生

第1話

 吹き付ける風が前髪をふわりとなびかせる。

 そのうちの数本がまつげに当たって、あっと目を瞑った。
隣を歩く浩太こうたが、私のひじから二の腕にかけてつつきながら、私たちはゆっくりと歩みを進める。
二人が付き合い始めてちょうど三年の記念日だった。
二人で行った、川辺のレストランはあまりにも幻想的な輝きに満ちていた。夜になると街明かりが水面に浮かび上がり、自動的にロマンチックな演出をつくりあげてくれる。この辺りは街並みもレトロな建物が多く見渡せば歩いているのは私たちと同じようなカップルと、近くの立派なオフィスに通うサラリーマンばかりだ。


 
特別な日だから。
奮発して踏み入れた川辺のフレンチレストランは、混みすぎず、空きすぎず、落ち着いて会話をするにはぴったりの空間だった。私はこの「特別な日」にしか行けない上等なレストランがたまらなく好きだ。みんなそうなのかもしれないけれど、実家で暮らしていた時は外食が少ない家庭だったからか、こういう食事は余計に楽しい。
 



「シェフおすすめ特別コース」で空腹を満たした私たちは、二人で夜の川辺を——駅までの道を歩いた。お店の中はあんなに煌びやかだったのに、一歩外に踏み出すと静かな夜の闇に包まれる。その中で、川面に移る光が、視線の全てをもっていった。



愛美まなみ、危ないって」


 
飲み過ぎて、ふらつく足取りなのを、浩太が支えてくれる。



「だって、久しぶりのちゃんとしたご飯だったんだよ」



「ちゃんとしたって、いつも愛美、“ちゃんとしたご飯”作ってくれてるじゃん」



「へへ」



 こういうことをさらっと言ってくれるからこそ、私はずっと心を奪われてるんだろう。
風が気持ち良い。川辺を吹く風は、海風と違ってベタつかないからいい。レストランを出た直後はかなり酔いが回っていたけれど、涼しい風に当たっていると少しずつ覚めてきた。でも、このほろ酔い状態がちょうど良いのだ。



「ねえ、もしも、もしもだよ。本当に、仮に、だよ」



「どうしたんだよ急に」



「あのね、ほんと、かるーく流してくれていいんだけど!」



「だから、なんだって」



「もしさ、私たちが結婚するとするじゃん。それで、その、子供ができたとしたら、どんな名前にしようかなーって」


 
結婚、子供。
付き合って三年目という節目に立たされた私たちにとって、ちょうど良い話題のはずだ。
いや、でももしかしたら、男の浩太にとっては重い話なのか? うーん。



「子供の名前?」


 
しかしそんな心配も喜憂だったようで、浩太は隣で「そうだなあ」と答えてくれた。


「葵とか、結衣とか?」



「それ、最近人気の子供の名前ランキングじゃん!」



「ばれた?」



 あたかも「ちゃんと二人の将来のことを考えています」というふうだったのに、なんだ、それ、ネットで調べて最初から用意してた答えじゃん。
悪態をつきながらも、でも事前にこういうことを調べていてくれたんだ、と思うとほっと心が温まる。



「そっかー。まあ確かに、可愛いよ。ランキング上位なだけあって」



「不満そうだな。愛美は、何かいい名前を考えてる?」



「うん。私はね、花音かのんがいいな」



「へえ。いいね、可愛いな」


 
花音。
響きや字面が可愛いから、という理由だけじゃない。
花音は、私の妹の名前だ。
幼い頃、亡くなってしまった妹の。
浩太には、今の今までこのことを話したことがない。もう昔のことだし、結婚することになったら、話そうと思っている。そんな日が来れば、の話だけれど。
 



 二人で幸せな夢を見ながら煌めく川辺を散歩する。最寄りの駅を二つも通り過ぎて、心ゆくまで今のこの、温かな瞬間を味わう。できるなら、このまま時間が止まってほしい。幸せな気分のまま、心地よい空気に包まれたまま。

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