昏い海のドラゴンたち
原ねずみ
1. 彼女は浜辺で貝を売る
1-1
「さ、行くわよ、アモン!」
アニーは足元で跳びはねる小さな黒ぶちの犬に声をかけた。アモンと呼ばれた犬は嬉しそうにアニーを見た。黒いつぶらな瞳、濡れた鼻、たれた耳。ワン! と一声鳴くと、家を出るアニーについていく。
アニー・ベイカーは13歳。くるくるとした茶色の髪に茶色の目。背の高さは平均くらい。日に焼けているがそれは外にいることが多いからだ。今日もまた、アニーは外へ出ていく。仕事をしに。
夏の初めの美しい日だった。空は青く、空気は快い。家を出たアニーは坂道を下っていく。坂道を下りきったところに広がるのは、広く輝く海だ。
ここは海辺の小さな町だった。アニーがアモンとともに歩いているのは町の大通り。もっとも大通りといってもさほど騒がしくはない。ときおり馬車がのどかに過ぎていく。
小さな海辺の町ではあるが、海水浴場としてはほどほどに人気があった。ここの海を楽しむために、よそからお客がやってくるのだ。そしてアニーの一家はそういった人々を相手に商売をしている。化石を売っているのだ。
大通りの途中に、ひっそりとベイカー化石店がある。化石はこの町の海辺や崖で手に入れたものだ。化石を採集するのはアニーと、その兄であるジョンの仕事。ジョンは家具細工師の見習いでもあるので、そんなに頻繁には化石を探しに出かけられない。
かくして、アニーの出番となるのだ。
――――
アニーは足取り軽く坂を下っていく。アニーのペットで良き相棒、良きお供のアモンがちょこちょこと隣を歩く。
アニーの手にはカゴとハンマー。化石採取のための大事な道具だ。
行く道の先に、アニーは見知った二人を見つけた。
「ベッキー! サラ!」
アニーが声をかけると、二人ともアニーのほうを見た。双方、足早に相手のほうに寄って坂の途中で落ち合う。
ベッキーとサラはアニーの友人だ。背が高く華やかな顔立ちをしたベッキーと、小柄で大人しいサラ。3人で同じ学校に通っていたのだ。けれども2年前、アニーは学校をやめなければならなくなった。
父親が亡くなり、学校に通うためのお金が払えなくなったのだ。それでも3人は変わらず友人であった。
「アニー、今日も早くから化石取りなのね」
ベッキーが笑顔で言う。サラはしゃがみ込んでアモンの頭をなでた。アモンが嬉しそうにしっぽを振る。
「そうなの。観光シーズンがやってくるでしょ。人が増える前に、うちの店の化石も増やしておきたいの。頑張って集めなきゃ。ベッキー、あなたの出発の日ももうすぐなのよね」
「そうなのよ」
ベッキーは晴々と笑った。
ベッキーもサラも、少し前に学校を卒業している。サラは母親を手伝ってお針子をしており、ベッキーは町を出て、洋品店で働くことになっている。
「さびしくなるわ」アニーは言った。「洋品店だったらこの町にもあるのに」
「そうはいかないのよ」ベッキーは笑って言った。「私が最終的に何になりたいか……。わかっているでしょ? 奥様付きのメイドよ! 奥様付きのメイドになれば奥様のお供として世界のあちこちに旅行に行けるわ! 私、世界を旅してみたいの。でも奥様付きのメイドになるには、ファッションや着付け、洋裁についての知識が必要なのよ。そして世界中を旅するといえばそれなりの家の奥様でなければならないわけで……つまり、私の欲しい知識を得るためには、都会の、洗練されて最先端な店で修行しなければだめ、ってわけ」
冗談めかして肩をすくめるベッキーに、アニーもまた冗談めかして目をみはって見せた。
「野心が豊富でうらやましい」
「なんとでも言ってちょうだい」
「そして、美しく有能なメイドとして評判になり、奥様の見目麗しい息子と恋に落ちるのね」
ベッキーがアニーを肘でつついた。
「ばかなこと言わないで。メイドが仕えている家族の誰かと恋に落ちたら大問題よ。それに身分の問題もあるわ。私は、身分の低い娘が、身分の高い男性に遊ばれて捨てられる話をたくさん知ってるの」
「でも、ベッキーはきれいだから、ありえないことだって起こるかもしれないわ」
今まで黙っていたサラが、立ち上がり、まじめな顔で言った。
ベッキーがサラの肩を軽く抱いた。
「ありがと。あんたはいい子ね。でもその純粋さが心配になるわ」
アニーは二人を見てくすくす笑った。ベッキーはサラを離すと、アニーに問いかけた。
「あんたには野心はないの?」
「そうね……」アニーが言いよどむ。野心? 世界中を旅すること? お金持ちと結婚すること?
「世界を見て回りたいと思わない?」
「うーん……」
アニーが迷っていると、横からサラの声がした。
「私は思わないわ。私はここで、母さんとお針子をするの」
「あんたはそういうタイプだわ」
ベッキーがサラを見て、きまじめに言った。
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